第364話 開放日

 法制から頼まれていた清書も仕上がり、教官育成講座のテキストもできあがった。

 テキストはビィクティアムさんに内容の過不足がないかを確認してもらい、承認いただけたら受講者分の量産に入る。


 教官用は薄い紙で作ったから本としては分厚くはないけど、百ページ越えちゃいましたと言って渡した。

 ビィクティアムさんは少しこめかみを抑えていたのだが、頼んできたのはそちらなのでその辺はご了承いただくことにした。

 どの世界でも『教官』は、騎士試験研修生に教えること以上の知識と理解が求められるので、どうしても覚えてもらうことが増えるから仕方ないのだ。


 外門改修最後の南門完成まではあと少しだから、全てできあがったら祝典でもやるのかと思ったがそういうことはしないらしい。

 ……よくよく考えれば、そうだ。

 ここは直轄地であって、工事を主導したビィクティアムさんの領地ではない。


 陛下がいらして某かのスピーチをなさるのならばいざ知らず、ビィクティアムさんが『ご苦労さん』なんてことを大っぴらに言っていい場所ではないのだ。

 表向きは『皇王陛下の命でこの地の守護を固めるための改修工事を代行した』だけなのだから。

 まぁ、誰もがそうでないことなど知ってはいるが。

 それにしても、陛下って全然皇宮から出ないんだな。



 警戒された『大雨の報せ』があった水不足についても、予想よりはマシであった。

 あれからいつもの夏の半分以下の水量まで下がってしまったのは五日間ほどで、『湧泉の方陣』でのリカバリーで足りる程度だったのだ。


 水は問題なく町中に行き渡り、畑や果樹園にも影響なく最悪の事態は起こらなかった。

 そして今日は、短いシュリィイーレの盛夏が残暑へと移り始める朔月さくつきの六日……


 去年、俺が盛大にやらかしてから、丁度一年が経つのである。


 あのルビーを使って、古代の水源奥に入ったのは朔月さくつき・七日。

 カルラスの三角錐から飛び出した光が目撃されたのも、王都の旧教会から魔効素が吹き上げたのもその日だ。


 神典や神話には、この日のことは何も記されてはいなかった。

 旧教会の隠し部屋にあったチリから復元した『覚書』のようなものにも、日付が読み取れる部分はなかった。


 もし今日の深夜、日付が変わる時や明日の夜、八日になる前までに何もなければ、去年のことはただの偶然かもしれない。

 だけど、今年も『何か』があったら……と、警戒……いや、期待? しているのだ。


 と、いうことで、今晩はこっそり抜け出して上空から見てみよう、と思っているのだ。

 俺やビィクティアムさんが神斎術を獲得してしまったせいで、変化があるかもしれないし。


 実はガイエスがセレステで見つけた『場所が指定されていない移動方陣』ってのが、もしかしたら『移動日限定』なのではないか……とも考えている。

 そして、限定されるのであれば『朔月さくつき・七日』なのでは? と。

 その日が『特異日』だとしたら、セレステの方陣に移動先が示されるのではないのだろうか。


 移動先に三角錐があるとは限らないが、もしあるとしたら他の三基と一緒で魔力不足をおこし魔瘴素が漏れているんじゃないかと思うんだよ。

『生命の書』に記されている神斎術はあと、ふたつ。

 だとしたら、少なくともあと二カ所は三角錐がありそうな気がする。

 なんだか、俺的には『石板修復工事請負工務店』みたいな気分なのである。

 修繕工事は、絶対に早くやった方がいいに決まっている。



 さて、深夜である。

 七日に日付が変わるまで、あと四半刻さんじゅっぷんほど。

 暗視モードにしてあるので、地形もバッチリ上空から確認できる。

 指示しなくても神眼で魔効素とか魔瘴素が視えるようになったのは、なかなか楽でいい。


 エナドリを数本持ち、魔効素ドーピングを確認したらまずはカルラスに転移。

 上空へと舞い上がる。

 この辺はまだまだ夏の真っ盛りって感じなのだが、流石に夜中の上空の空気は少し冷たく感じる。


 ……こんなに、上の方まで来たのは初めてだな。

 空気が随分薄いので、海中の時のように大気供給の指示をしておこう。

 こうしてみると、イスグロリエスト皇国って、結構でかいなぁ……


 見下ろしているとぼんやりと魔効素色みどりいろが濃くなってくる場所がいくつか出て来た。

 日付が変わる頃、魔効素が立ち上っているのは……

 王都の真ん中辺りのは、旧教会だろう。

 遙か北の方、多分、マントリエルの北方ヴァイエールト山脈の麓辺りからひとつ、カルラスからだとほぼ真西のエルディエラからもひとつ。


 その少し南……おそらくリデリア島付近からひとつ、カタエレリエラの南端と思われる場所からひとつ、そして……カルラスからも。

 すげー……吹き上がった魔効素が皇国中を覆っていくかのように渦巻いて降り注ぎ続けている。


 もしかして、朔月さくつき・七日は魔効素を地上に供給する『開放日』なのかな?

 そういえば俺が王都の魔効素が少ないと感じたのは、望月ぼうつき二十日……先月の終盤に入る頃だ。

 カタエレリエラの魔効素についても、俺が行ったのは先月始めだったし。

 夏場は皇国中に一番、魔効素の少ない時期なのかもしれない。


 おっ、カルラスの三角錐上部が光り出したぞ。

 球状の光がぽーん、と夜空に飛び上がり、北東方向へ。

 セラフィラントの海岸線をなぞるように北上して……すっ、と地上に吸い込まれた。


 俺は光を追って、その地へと飛ぶ。

 これ、毎年飛んでるのかな?

 なんで今まで誰も、あのおじいさん以外気付いていないんだろう?

 それとも、俺が湿原から入った三角錐を直したから?

 いや、極大方陣解放かな?

 うーむ、原因は解らんがとにかく、行ってみなくては。


 まだ地上にその光が、仄かに留まっている。

 その場所へ急降下。

 教会?

 その東側には港が見え、いくつものドックに建造中と思われる船が。


 セレステだ。

 ビィクティアムさんが撮影してきてくれたムービーに映っていた、あのドックが見える。

 と、いうことは、あのほんのり光っている教会の真ん中辺りは……おそらくあの方陣。

 近付いて見ると周りが壁に囲まれ、一方向だけ扉が付けられた中庭になっている。


 随分と、古い教会みたいだ。

 この中庭は壁が表の石積とまったく違う、切り込み接ぎの石積だ。

 窓が一切ない。


 カルラスから飛び出した光が留まっていたが、すすすーーーっと地中に吸い込まれて消えた。

 目を懲らすと……方陣が見え、指定されていなかったはずの『移動先』が書き込まれている。

 やっぱり、移動日指定か。

 そう思いつつ、方陣の上に立つ。


 恒例の魔力搾取がはじまり、周りが光に包まれて……移動先は真っ暗な地下と思われる場所。

 素早く二十センチほど浮き上がり、明かりを灯す。

 魔効素と魔瘴素が入り交じる空気。

 切り込み接ぎの壁と、石畳、そしてドーム状の天井はお馴染みの光景だ。

 中央には、予想通り三角錐。


 うっわー……リデリア島並みに魔瘴素漏れまくりだなぁ。

 周りの壁全体が、黒ずんでいる。

 だが、カルラス程ではなく、表までは漏れ出していなそうな色だ。


 全体の造りもリデリア島にそっくりだし、規模も同じくらい。

 三角錐に寄ってみると、なんと俺から見えなかった二面が既に割れて地面もグズグズ。

 沈み込んだ地面のせいか、右に傾いた石板は今にも倒れそうだが、残った一面になんとか支えられている。


 見えている面に書かれているのは、神話の三巻みたいだな。

 反対側の九芒方陣には、やはり何も石が嵌められていないが刳り抜いたような形跡はない。


 辺りを見回すと……あった……けど、割れている。

 琥珀だ。

 ……中に魔瘴素がちろちろと、炎がくすぶっているかのように見える。


 受け止めきれなくなって割れてしまったのだろうか。

 琥珀は硬度も低いし、石っていうより樹脂化石だもんなぁ。

 この場合はどうしたらいいんだろう?


 とにかく、先に石板と三角錐の修理保全と、この室内の浄化&強化だ。

 石板は九芒方陣側の下部だけがボロボロになっていたが、反対側にまでは侵食が進んでおらず補修と強化をした後に、魔瘴素から魔効素への変換吸収を付与。

 取り敢えず琥珀がなくても、魔瘴素が漏れ出さないようにした。


 さて、その琥珀だが、修理したもので大丈夫なのだろうか?

 くっつけて成形した物を石板に嵌め込んでみるが、すぐにぽろりと落ちてしまう。

 サイズが小さくなってしまっているのか?

 溶けちゃっているとか?


 視ると……どうやら全体にも亀裂や孔ができているようなので、油を使って埋める。

 アマニ油がいいってどっかに書いてあった気がするので、急遽コレクションからお買い上げ。

 うん、綺麗になったぞ。


 でも、やっぱりダメだった。

 嵌め込んですぐにまた、ふたつに割れてしまった。


 もうこの琥珀では神斎術を支えることも、魔瘴素を抑えることもできないということなのかもしれない。

 代替品……琥珀はいくつか持ってはいるが、この琥珀に近い組成の物なんてあったかなぁ。


 持っていた琥珀全てを並べて見比べて視るが、全然近いものがない。

 錆山産とは、根本的に違う物なのだ。

 植生が違う場所の琥珀ってことなんだろう……どーすっかなぁ……

 あ、もう一個、あったぞ。


 ガイエスにもらった香炉の、植物の種が入った琥珀。

 早速取り出して並べ、見比べて視る。

 うん、一番近い気がする。

 だけど、大きさ的に絶対にこの種子が入ったままになってしまうだろう。

 それでも、大丈夫なのかな?


 この種、なんの種だろう?

 鑑定をかけてみると、なんと、火焔菜ビーツの種であった。

 これはむしろ、この種が入っていた方がいいのではないか?


 この琥珀から得られる神斎術は『焰熱溶解』。

 炎の魔法である。

『火焰』の名を持つこの種は、相応しいのでは?


 大きさをしっかり確認して、なるべく歪みのない球になるよう成形していく。

 できた琥珀を石板に嵌め込むと、あの青い光がふわっと沸き上がり部屋を満たした。


 おおっ、魔瘴素が全く見えなくなったぞ!

 迷宮で魔瘴素を変換し続けてきた魔具の一部だからだろうか、もの凄く琥珀自体が輝きを増している。


 この神斎術は……止めておこう。

 絶対に、完璧に、攻撃魔法だ。

 反対側に書かれている文字も全て読めたし、記録も済んだことだし……そのまま三角錐を完全に修繕して閉じることにした。

『重燃の加護』ってのは気になるが、絶対に明かせない系の魔法なのは間違いないのだ。

 いつか、どこかの誰かに授けてあげてくださいね、神様達。


 一応、アフターサービスで点検に来られるように三角錐の内側に転移目標だけ書いておいとましましょうか。

 ガイエスには琥珀のお礼に、なんか方陣を送ってあげよう。

 あいつそろそろ、ペイエーレル島から戻ってこないかな?

 イマイチ面白い鉱石がないんだよなぁ、あそこ。


 セレステの教会方陣門の上に転移して、辺りを見回す。

 まだ夜は深く、立ち上る魔効素が緑色の柱に見える。

 あれ?

 今まで出ていなかったロカエの北側……海上からも魔効素が立ち上り始めたぞ。


 もしかして、さっきの三角錐……海底にあったのかな?

 じゃあ、溢れていた魔瘴素は、海に流れていたのかも。

 深かったから、海上まで届いていなかったんだろうな。

 うん、間に合って良かった。


 ふと思い立って、王都の旧教会へ転移し上空へと垂直に舞い上がる。

 かなり上の方から、イスグロリエスト皇国全体を見下ろす。

 立ち上っている魔効素は、皇国の外へは流れておらず全て中心……この王都旧教会へと渦を巻くように流れ込んでいる。


 その中にすっぽりと皇国が……いや、一部、はみ出している。

 ウァラクの西側と、シュリィイーレである。

 錆山からの恩恵で普段の魔効素は皇国内のどこよりも多いが、むしろこの地から王都への吹き出し孔がない方が不思議だ。

 俺は錆山に転移で戻り、もう一度飛び上がる。

 なんだか、違和感がある。


 今、魔効素が吹き上がっているのは、王都を中心に皇国全体を囲むように六カ所。

 なぜ、ウァラクの西とシュリィイーレだけを、外す必要があったんだ?


 おっと、これ以上は眠る時間がなくなってしまう。

 今日も絶対に昼間は忙しいだろうから、午前中寝こけている訳にはいかない。

 今晩またちょっと、様子見しよう。

 エナドリ飲んでから、寝ようかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る