第207話 家
その日、俺は大事なことを忘れていたと気付いたので、朝も早よから衛兵隊東門詰め所にやってきた。
「え? ビィクティアムさん、今日はいないんですか?」
えええーっ!
いつでも絶対に、ここにいるって思っていたのに!
あ、王都なのかな?
まだあの式典から五日だから……事後処理に追われているとか。
「昨日の夜、王都から戻ったばかりで今日は休みなんですよ」
オルフェリードさんの言葉に、驚愕が隠せない。
休み?
ビィクティアムさん、休むことなんてあるのか?
「驚くのも無理はないよね……長官は働き過ぎってくらい働くから。まぁ……途中いなくなることもあるけどね」
「ビィクティアムさんと『休み』って言葉が全然結びつかないですよ、俺」
「僕らも休んでくださいって言ってるんだけど、長官は……じっとしていられないみたいで……」
オルフェリードさんは、そんなに働きたいなんて信じられない……という表情。
無趣味な、仕事人間の典型なのだろうか……
ワーカホリック気味だとは思っていたけど、お休みも大切だと知っていただかなくては身体を壊すよ。
「じゃあ、また今度にしようかなぁ。折角休みなのに悪いよな」
「いや、むしろ会って、話でもしてあげてくれないか? 長官、家では本当にひとりっきりで使用人もおいていないからね」
お貴族様なのに、使用人いないの?
そっか……寝るためだけの家で、食事も全部外ってんなら必要ないか。
掃除とかは、魔法を付与しておけば必要ないもんなぁ。
「それと……実は結構、あの式典と舞踏会のことで落ち込んでるんですよ」
「ビィクティアムさんが? 落ち込むことなんてありましたっけ?」
「君を守りきれなかったって……ね」
「あれはビィクティアムさんのせいじゃないでしょう? 皇宮警備がだらしなかったってだけで……あ、失礼」
『だらしない』は言い過ぎか。
本心だけど。
オルフェリードさんは、ちょっと苦笑いを浮かべている。
「そうなんだけどね。ほら、あの人は責任感が強過ぎると言うか、頑張り過ぎると言うか。それに自分では失態だと思っているのに、陛下からもまったく小言すらなかったらしくてね」
「怒られなかったから……落ち込んでるんですか?」
普通、逆だと思うんだけど。
「長官は、失敗したとしても誰も怒れない立場の人でしょう? だから、自分がいつの間にか道を踏み外してしまっていても、止めてくれる人がいないって知ってるんだよ」
ああ、そうだよな。
ビィクティアムさんを叱ったり、止めたりできるのはセラフィラント公と陛下くらいなのだ、身分階位的に。
本当に真面目なんだよなぁ、ビィクティアムさんは……
そういう人は道を踏み外すなんてないだろうと思うから、気にし過ぎじゃないかなぁ。
「……解りました。じゃあ、会いに行ってみます。で、思いっきり怒ってあげましょう!」
「いや、あんまり怒らないであげて。普通に接してくれれば……」
「いいえ、あの程度のことでグチグチしてるなんて、情けない! ガッツリと言ってやりますよ!」
本当に、普通にね! と何度も繰り返すオルフェリードさんにヒラヒラと手を振って、俺は詰め所を後にした。
しっかり怒ってやる!
……なーんてね。
そんなつもりは、全然ないんだけどね。
だって、俺の目的はお強請りだもん。
オルフェリードさんに教えてもらったビィクティアムさんの家の前までやってきた。
東・白通りは、自営業の少ない住宅街だ。
きっと大きめの邸宅なのだろうと思っていたが、予想よりはコンパクトな家だった。
とは言っても、俺の家の四倍くらいはありそうだが。
この広さで、使用人なしって……
見たところろくな魔法付与もされていないみたいだし、普通なら快適とは言えない部分を使用人で補うのではないだろうか。
そう思いつつ、玄関の呼び鈴を鳴らす。
……
……
もう一回鳴らさないと聞こえないのかと思って扉に近づいた時に、急に開いて慌てて避けた。
「タクト?」
「おはようございます、ビィクティアムさん。お休みなのにすみません」
「いや、それは構わないが……まぁ、入れ。何もないがな」
白いシャツに、衛兵隊制服のズボン。
私服とは言い難いビィクティアムさんが、俺を中へと招き入れてくれた。
エントランスからの一階部分は広めの部屋がいくつかありそうだが、多分この家の殆どの部屋は使用していないのだろう。
灯りさえ、点けていないみたいだ。
「すまんな。俺ひとりだから、なんのもてなしもできん」
「それは構いませんが……もしかして、寝室以外はまったく使っていないんですか?」
「ああ、五日か六日に一度くらいしか戻らないからな」
ビィクティアムさんは、まるで当たり前というようにさらっと怖いことを言う。
この人、やっぱり詰め所に泊まっているんだ……
駄目だよ!
そんなんじゃ、身体が休まらないでしょ!
「本当は官舎にでも入りたいところなんだが、権威がどーのとかいろいろ煩くて。仕方なくここを借りている」
なるほど……だから愛着も湧かないし、居心地もよくないからどんどん帰らなくなって、更に休めない場所になっている……と。
「じゃあ、引っ越しましょうよ」
「……面倒くさい。どうせ、ろくに帰らないんだし」
「だから! 帰って寛げる家に引っ越さないと! 身体を休めなきゃ頭は働かないし、魔力だってきちんと回復しませんよ!」
げんなりとして、面倒くさそうな顔を見せる。
この人、自分のことにめちゃくちゃ無頓着なタイプだ。
そりゃあ『生活』なんて整っていて当たり前のお貴族様環境だったなら、健康も誰かが気にして管理してくれるだろうけど、今のこの状況は絶対よくない!
「今日は休みですよね? なら、今日中に決めちゃいましょう!」
「おい、なんか用事があって来たんじゃないのか?」
「そんなもん、後でいいですっ! まず住環境を整えないと! 心も体も安まる場所を作らないと、人はどんどん駄目になっちゃうんですよ!」
特にビィクティアムさんみたいに真面目過ぎる人は、『休息』の取り方が下手な人が多いんだ。
そして、自分は『休まなくても大丈夫』なんて思い込んでいるから、余計に危険だ。
無理矢理にでも、仲介屋に連れて行こう。
シュリィイーレは直轄地だからなのか、他でもそうなのかは知らないけど個人的に土地を買うことはできない。
組合や、衛兵隊などの団体で買うことができるだけである。
なので個人宅や工房、店なども全てが借地で、上物だけが購入対象だ。
だがなぜか地下は、特になんの規定もないのである。
……だから俺が、好き放題している訳だが……
うん、怒られたら元に戻そう。
ビィクティアムさんが今住んでいる南東地区は、商人や引退したお年寄りなどが悠々自適で暮らす住宅街。
経済的に裕福な人が多く、貴族の傍流と思われる人も暮らしているからあの辺りを借りたのだろう。
でも、居心地のよくない家なら、権威とかプライドなんてものに拘っている場合ではないのだ。
この家を購入しているのなら快適リフォームをするのだが、賃貸ではそれはできない。
だいたいこの辺りは『使用人がいる』ことが前提の邸宅だ。
家に戻ればいつも快適に整備されてて、自動的に食事が出て来て、出掛ける時は馬か馬車を使う。
そういう生活をする人達の、住まう場所なのだ。
だから、周りに小売店なんてほぼないし、歩いて行ける範囲に外食できるようなレストランもない。
こんな所で、まったく自炊しない人がひとり暮らしなんて自殺行為である。
「タクト、俺のことはいい。家なんて必要ない」
「いいえっ! 絶対に必要です! 安心できる場所で眠って、ちゃんと心も体も休めて、明日を楽しみに思えるようじゃなくちゃ!」
「安心……か」
「そうですよ。ビィクティアムさんの心と体が万全じゃなくちゃ、俺が心置きなくいろいろお願いできないじゃないですか」
「なんだよ、それ」
やっと、笑った。
「食事はうちの食堂で最高のものをご用意できますから、住環境を整えれば完璧です。そしたら俺はなんの遠慮もなく『衛兵さんを振り切ったご褒美』を請求できます」
「え?」
「ほらっ! 前に約束したじゃないですか。俺に護衛の衛兵さん達が付いて来られなかったら、なんでもお願い叶えてくれるって」
「……その報告、誰からも受け取っていないが……?」
「ええぇー? えーと……ビィクティアムさんが、牛乳とか苺の苗を持ってきてくれる五日前くらい……だったかな」
「その頃は、ディレイルとダリューか……あいつらーっ!」
おいおい、シフト全部覚えてるのかよ、凄いなこの人……
「怒るのは後にしてください。まずは家、決めちゃいますよ!」
「お、おう……」
俺は腕を掴んでかなり無理矢理、ビィクティアムさんを表に引きずり出して仲介の店へと向かった。
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