第203話 『自由』

 その男は語った。

 どれほど自分が努力を重ねてきたか。

 どれほど自分が犠牲を払ってきたか。

 どれほど自分が虐げられてきたか。

 どれほど、どれほど……


「つまり、ただの八つ当たりか」


 俺がそう言うと、怒りを更に増大させたかのように真っ赤になった。

 目の前に落ちていた、給仕の者達が放り出していったトレーを拾い上げながら、俺は言葉を続けた。


「思い通りにならなくて、望み通りにならなくて、癇癪起こして人のせいにしたって訳だ」

 ゆっくりと近寄る。

「信仰してもいない神を利用して、不当な扱いに嘆いていた人々を扇動して、自分の欲求を満たそうとした」

 持っているトレーの裏側に加工魔法で取っ手をつけ、盾のように構える。


「自分が如何に無能で、馬鹿でくだらない人間かを認めたくなくて、暴力に頼った」

 トレー盾に強化魔法を付与し、右手に持つ。

 歩幅を変えることなく、真っ直ぐ近寄っていくとやつは数歩、後ずさった。


「甘ったれてんじゃねーよ! クソ野郎が!」


 トレーをセットした右手で、思いっきりぶん殴った。

 俺が物理攻撃に出るとは思わなかったのか、避けることがまったくできなかったようだ。

 まともにトレーが頬に入ったので、どうやらやつの歯が何本か逝ったっぽい。

 吹っ飛んで仰向けに倒れたが、慌てて上体を起こしたやつの顔に鼻血と口から溢れた血がダラダラと垂れている。


「そんなくっだらねーことのために、俺の大切な人達を傷つけやがったのか!」

「くっ、くだらない……だとっ! この私の苦しみがきさまなどに……」

「わっからねーよ。解りたくもない。努力した? 見当違いのことしてただけの自己満足だろ。だから結果が出ねーんだよ。この世界の神々はめっちゃくちゃ採点甘いんだぞ? 俺がいた所なんて魔法はおろか、適性なんか死ぬまで、いや、死んだとしても教えてくれないんだからな!」


 そうだよ。

 こんなに恵まれた所で生きてて、図々しいにもほどがある!

 やつの正面に立ち、トレーと【重力魔法】で押さえつけて立ち上がれないようにしながら俺は思いっきり怒鳴り散らす。


「子供の頃からガンガンに勉強させられて、学校行ったら苛められたって教師は見て見ぬ振りだし、それでも成績上げろって言われるし、将来役に立つかどうかも解らずにただ教え込まれたことをちゃんと覚えていたとしても、卒業前に何に適性があるかなんて知りもしないのに自分に合った職を決めろって言われて、いざ働き始めたら全然今までいた環境と違う規範の社会で、勉強したことの半分も役に立たなかったりする初めてのことやらされて、成果を出せって言われるんだぞ! 神様なんて適性も何も教えてくれないし、どれだけできてるかとか他にどんな才能があるかなんて何ひとつ情報与えられなくて、それなのに死んだら良くできたとか全然ダメだったとか裁判にかけられるんだぞ? こっちの神様達なんて職業教えてくれたり、正しく努力すりゃ技能も魔法もちゃんとどんなものが手に入ったかまで連絡してくれて、魔力量とか限界値まで知らせてくれるし、適性なくたって頑張ったらちゃんとできるようにしてくれるんだぞ! どんだけ優しいんだよ! こっちの神々!」


 い、いかん、あまりのことに息継ぎなしで捲し立ててしまった。

 酸素……すぅー……はーーーーっ、すぅぅぅぅ、はぁぁぁぁぁ……


「……それでも、何も自分で決められないより……わ、私は……! 私は! 自由に生きたいだけなんだ!」

「かっこつけて言い切ってんじゃねーよ、ボケッ!」

 思いっきり小突く。

「てめーが求めているのは『自由』じゃない。『自分勝手』だ。『自由』にはちゃんと制約がある。それを守った上で自分が決めたことの責任を、自分で取ることのできる者だけが『自由』でいられるんだよ」

「ここには、私の価値を正しく理解できる者がいないだけだ!」

「じゃあ、ひとりでどこへなりとも行けばいい! 他人の人生荒らしてんじゃねぇっ!」


 そうだ、こんなやつどこにでも行っちまえばいい!

 魔力が、俺の右手に溜まっていくのが解る。


「きさまの『時間』を奪えば、私にその聖属性加護が宿る! それを手に入れたらこんな所から出て行ってやるさ!」


 そう叫んだやつは俺に向かって『時間』を奪うための魔法を発動した……のだろう。

 しかし、ほぼ同時に放った俺の魔法とぶつかったのか、かき消えてしまった。

 そんなにどこかへ行きたいというなら『どこか』へ送ってやる、そう思って俺が発動したのは【次元魔法】だった。


 目の前に、白く渦が巻いている『何か』があった。

 魔法はそこに吸い込まれたのか?


「お、おお……! 時空の門が開いた! 神域へと至る『門』が!」

 やつは突然走り出し、その白い渦の中に飛び込んでいった。

 逃がした!

 俺がそう思って一歩近寄った瞬間。

 風が吹き上がり、あたりの物が巻き上げられて、白い穴の奥から……声が聞こえた。



〈うわぁぁぁぁっ……K軒の弁当がぁぁぁぁぁぁぁ……〉



 ん?

 なんだかとっても馴染みのある単語が聞こえたぞ?

『K軒の弁当』

 ……あれ?

 もしかして、あの声、俺?


 俺が落ちたあの黒い穴って……今あいつが飛び込んだ、白い渦の出口?

【次元魔法】は別の場所に繋がったんじゃなくて……『別の世界』と繋がった?

 俺がいた、あの世界の次元に?

 あいつがあっちに行ったことで、俺がこっちに弾き飛ばされたの?


 でも、ここにあの日の俺が来なかったってことは、あいつの【時間魔法】が次元の渦に吸い込まれたから、俺を過去に飛ばしたのか?

 それとも出口がふたつできてて、あの日の俺はそっちに飛び出した?

 時間を退行する魔法が、俺自身にも影響して若返ったとか?


 全部推測というか憶測の域を出ないし、正しい答えは解らない。

 だが、あの声は絶対に『俺』だという確信はある。

 K軒の弁当のことを叫びながら時空を超えるなんて、俺以外に考えられないという情けない自信だが。


 えーと、頑張れ、俺。

 これからの日々は、結構楽しいぞ。


 白い渦はかき消え、何事もなかったように……という訳にはいかないが、取り敢えず落ち着いた。

 ふと、足元を見ると何かが落ちている。

 身分証入れだ。

 あいつの物か。


 取りだしてみると、文字がみるみる薄くなっていった。

 かろうじて読み取れたのは、カラムという名と二百十三という年齢。

 だが、それもすぐに見えなくなり、身分証から全ての文字が消え去った。

 きっと、この世界からいなくなったからだろう。

 どうやら、やつは『自由』になったらしい。


 でも、あっちの世界で絶対にあいつ、生きるのつらいだろうなぁ……

 なんせ、まったく魔法のない世界なんだから。

『自由』の代償に気付いた時にはもう遅い。

 きっと、こっちに帰ってくることはできないだろうから。



 日本・鈴谷家 〉〉〉〉


(ここは、どこだ? ああ……なんだか空気が違う)

(暗い……夕方なのか? なぜ光が入らない?)

(何もない……ここは部屋なのか? 床が……植物? ああ、窓がある。外に出られるぞ)


(外にも……木が植わっているだけで……)

(……! 身分証がない……そうか、私は解放されたのだ! やはりここは神域なのだ!)

(ああ、暗くなってきた。灯りを……なんだ? 魔法が発動しない?)


(おかしい……おかしい! 何ひとつ、魔法が、使えない!)

(足が痛い)

(腕が、上がらない)


 ピンポーーン


(なんだ? なんの音だ?)


「あれー? 鈴谷先生、いないのかなぁ」

「庭の方じゃない?」


(子供の声だ! なんと言っているのかまったく解らないが……どこの言葉だ? 神の……古代語か?)

(声が出ない。息苦しい……)

(もう、歩けない……痛い……いや、痛くは、ない)

(手が! ……私の指が! ない、なくなっていく! なぜだ、なぜだ、な……ぜ……)


「えー? 誰もいないよぉ?」

「あら、土が盛り上がっているのかしら? 砂? どこにも居ないわねぇ、鈴谷さん」

「おかーさん、お腹空いたよー」

「そうね……明日にしましょうか」


「……変ね、なんでここまで来たんだったかしら?」

「鈴谷先生だよ!」

「すずや……? 誰……?」

「えー……と、この、お家の……お家、ここにあったよね?」

「お家? どこに? 長谷川さんの隣は……横田さんでしょう?」

「あれ……? 誰だっけ?」


「今日は何にしようか?」

「オムライスー!」

「じゃあ、早く帰りましょうね」



(か、えり……た……)

(……)

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