第194話 外典

『スサルオーラ』の名を出してから、セインさんとビィクティアムさんの険しい顔は緩まない。

 無言のままのふたりに、俺は教会の一室に連れて行かれた。

 さっきまでいた聖堂脇の部屋でも、方陣門のある部屋でもない。

 ここは……司書室だろうか?


「どうしたんですか? なんで急にこんな所へ……」

 ビィクティアムさんが【境界魔法】を展開した。

 そんなに、聞かれちゃまずいことなのか?

「その名を、何処で知った?」

「至れるものの神典に二カ所、神話の四冊目に一カ所書かれていたんですよ」

 セインさんとビィクティアムさんは顔を見合わせて、あり得ない……と口にした。


「その名は『暗黒に沈むものの名』だ。書かれているはずなど、あり得ないのだよ」

「いいえ、間違いなく、その『音』は書かれています。ただ、なんの物語にも関わっていないので『意味のない単語』として扱われていました」

「さっき言ったふたつの名が? 意味のないものとして扱われていたというのは……どういうことなんだ……?」


 どうにも、話がしづらい。

 あのふたつの名が口に出してはいけない『忌み名』なのか?


「その名前が、他に記載されているものがあるんですね? 見せてもらうことは、できませんか? もし……俺の予想通りなら、聖神司祭様方全員にお話ししなくてはいけないし、ビィクティアムさんには、皇王陛下に至急お伝え願いたいのです」


 セインさんに皆さんを呼んできて欲しいと頼み、俺とビィクティアムさんはここで待つことになった。

 改めて【境界魔法】が張られ、ビィクティアムさんから『スサルオーラ教義信者』のことが語られた。


「主神はスサルオーラであり、シシリアテスを簒奪者と罵る反教会の者達だ。強硬な手段をとることが多く、スサルオーラを闇に閉じ込めたとされる賢神一位の信徒を幾人も殺害している」

 うわー……ヤバイ系の狂信者達だ……

 なるほど……それは、警戒されてしまうのも当然だな。

 でも『闇に閉じ込めた』っていうのは、どっから来ているんだ?


「『外典げてん』だ。その文書もんじょは古代文字なのだが、その内容があまりにどの神典、神話からもかけ離れ過ぎていたために『偽書』とされた。だが数カ所、神典と重なる言葉が記されており、完全な『偽書』とも言い切れぬということで『外典』と呼ばれている」

「その『外典』はここに?」

「ああ……今、ドミナティア神司祭が方々に話してくれているだろう。魔法を切る。不用意にその名を口にするなよ」

「はい」


 少しして、セインさんと聖神司祭様方がいらっしゃった。

 俺はお呼び立てしてしまった無礼を詫び、絶対に今後の教会と神典に関わる大切なことだから聞いて欲しいとお願いした。

 ビィクティアムさんの審問会で議長を務めていた、彼らの中で一番在職が長く格の高い神司祭であるリンディエン神司祭から了承をいただけ、皆さんも同意してくれた。


「突然申し訳ございません。やっと、訳文を書いていた時の疑問が解けたので、どうしても早急にお伝えしたいのです」

「疑問とは……? まさか、あの訳文が完全ではないと?」

 ハウルエクセム神司祭から不安げな声が漏れたが、それについては否定した。

 訳文は決して間違っていない。


「俺の疑問は、今ここにある七冊の原典ではありません。原典は……あと二冊あるはずだ、ということです」

 セインさんの顔色が、さっと変わった。

 聖神司祭達の驚愕の表情からも、今まで全くその二冊が表に出たことのないものだと解る。

 他の神司祭様方も、驚愕の面持ちで聞いてくる。


「なぜ……『あと二冊』と、言い切れるのです?」

「古代文字の……原典の表紙をご覧いただければ、説明できます」


 原典七冊の表紙を上にして並べてもらい、九芒星の頂点の色について話していく。

「……確かに……足りないですね」

「一番最初の一冊と最後の一冊がない……ということなのですか?」

「はい。実は、以前ドミナティア神司祭が仰有っていたことが、ずっと引っかかっていました。『神々が降り立った大地はどなたが創ったのだろう』と……」


 どの国の神話にも、まずは『大地』を創るところから始まるものが多い。

 そしてそこから、全てが生まれていくのだ。

 なのに、最も肝心な『大地』、つまり『国生み』にまったく触れられていないのはおかしいのだ。

 主神が大地の神であるにも拘わらず、だ。


「あるのです。その『大地』と『海』を創った神々の神典が。絶対に。そして現存する最終巻と思われている神話の四冊目の最後も、あまりに唐突すぎる終わり方なのです」

「それは……実はわたくしも気になっておりました。何故なにゆえ、いきなり天光の光がなくなった夕刻になった途端に終わっているのか……と」

 声を上げたナルセーエラ神司祭に、幾人かの神司祭様も同意する。


「もう一冊、『夜』の描かれている神話があるはずなのです。そうでなければ、世界が循環しない」

「『循環』……?」


 そう、時間と空間を作った神々が人々の手を借りて『上手く世界を廻すためにいろいろと作り上げていく』のが神話の大筋であり、神話の一冊目が明け方から始まっているのだから、次の朝を迎えなくては『まわっている』ことにならないのである。


 神話に出て来る英傑達は、その神々のお創りになったものを人々のために役立てるように尽力したり、それを妨げる悪しき魔獣達と戦って大地と信仰を護る様子が描かれている。

 その英傑と扶翼達が、神々の瞳である星々が照らす夜に抱かれて癒される物語が語られて然るべきなのだ。


「解った。タクト、俺は先に陛下に奏上する」

「セラフィエムス卿? 解った……とは……」

「ナルセーエラ神司祭殿、この度の彼の叙勲は『原典を翻訳し、正典を完成させた』ことを讃えるものです。しかし、あと二冊あると解った。ならば……まだ『正典』の全てが、完成してはいない。ここで陛下が『完成』としてしまったら、残りの原典を探すこともできなくなり、正しい神々の言葉を損なうことになりましょう」


「そ、そうです! それは、そんなことは許されない!」

 リンディエン神司祭が叫ぶと、同意の声が多数上がる。

「もし後の世で偶然にでもその二冊が発見されたとしたら、陛下は神の言葉を切り捨てた愚王と誹られることとなり、皇家の歴史を汚す。教会も同様です。タクト、俺が聞くべきはここまでで大丈夫だな?」

「はい。よろしくお願いいたします」


 ビィクティアムさんは、風のように去って行ってしまった。

 流石に、理解と判断が早い。



「それにしても……どうして今日、それを確信されたのですか?」

 そう尋ねてきたレイエルス神司祭は、この中で唯一従者の家系の方だ。

 だがその他の従者家系とは一線を画す……らしい。

「皇宮中庭の、主神像の台座に書かれている文字を読んだからです」

「……! あれが、あの文字が読めたのですか? あれは古代文字でも『意味のないもの』ではなかったのですか?」


「まずはその『文字』ですが……あれは、古代文字ではありません。その説明の前に『外典』を見せていただけませんか? そこに書かれている文字が、鍵となる可能性があるのです」


 全員が軽く頷いてくれて、リンディエン神司祭が外典の場所に案内してくれた。

 ばらばらの羊皮紙に、掠れや汚れが目立つがなんとか文字は読める……という状態のもので八枚ほどの文書。

 机の上に並べてもらったその文書は、どちらの文字かこのままでは判別がつかないほどだが、俺には『赤く』見えている。


 俺は八枚の新しい羊皮紙を取り出して、一枚ずつ外典の上に置いていく。

 紙を置きながら、原書に触れてコレクション内に複製を入れていく。

 もしもの時の安全策……と、あとで検証するため。


「何をなさるのです?」

「上に載せた新しい羊皮紙に俺が魔力を流すと、下に置かれている文書の文字が写し取られるのですよ」

「スズヤ卿、それは【文字魔法】なのかね?」

「はい。全ての文字は正確に、鮮やかに写し取られます。この外典の原文はもの凄く古いので、不用意に触れたりすると壊れてしまうかもしれませんからね」

 写し取られた文字を原文と比較してもらい、聖神司祭様方が間違いない、と認めてくれた。


「やっぱり、思った通りです。この文字は『古代文字』ではなく、更に前の時代と思われるものですね」

「なんですって……! 古代文字より前の時代の文字……なんて、あったのですか?」

「ええ、この文字が古代文字の元となったものでしょう。おそらく、原文は石板に彫られていたはず。それを写したものが、外典の世代のもの。その外典の時代の遙か後に書かれたのが、原典……つまり、今の原典はその前の時代の文字……俺は、便宜上『前・古代文字』と言っていますが、その『前・古代文字』で書かれたものを訳したものと考えられます」


 神典と神話は、二度、翻訳されているのだ。

 前・古代文字から古代文字へ、そして古代文字から俺の訳す前の現代文字版へ。

 その二回の翻訳時に、誤訳・誤写があって曲解された部分が生まれたのだ。


「ですから『前・古代文字』の原典……うーん、言いづらいですねぇ……『聖典』とでもしますか。その『聖典』から訳された古代文字の『原典』が七冊しかなかったのは、その時点で既に二冊、行方が解らなかったのではないかと思います。それほど時が流れてから、古代文字の使われていた時代に『原典』に訳された。でも『前・古代文字』を完全に訳しきれず、解らない部分はそのままの表記を残して書いた。ですが元々がとても似ている文字を使用していたため、古代文字の『原典』から現代文字に訳した最初の時に、大きく読み間違いが起こった」


「訳文の相違はそうした理由ですか……確かにそれが一番、可能性としてあろうことかと思いますし、納得できますね」

 ナルセーエラ神司祭が、神妙な面持ちで呟く。

「しかも、『古代文字』として書き写したために、書き間違いまで起こっているのです。だから『意味』がなくなってしまった」

「スズヤ卿、その『外典』は……読めるのですか?」

「はい」


 赤く見える『前・古代文字』の『外典』。

 これは『神典』の一冊目に違いない。

 俺は『外典』を読み上げた。


 ここの部分の内容は、スサルオーラ神が『宗神』と呼ばれる主神の対の神であり、海の護り神で他の神々に愛されていたこと。

 そしてその半身、同体に住まうもうひとつの神格『スサエレーザ』が深くアールサイトス神を愛していたこと。

 夜に神々が安寧の中で眠りにつくことができるよう、スサルオーラ神が夜の世界を守っていることが書かれていたのである。


「『宗神』は『主神』とほぼ同格の意味です。しかも古代文字だと思って訳すと『大元の神』と言う意味を持つ。だから、スサルオーラ神が主であると主張する者が現れたんですね」

「スサエレーザ……とは? 初めて聞く名前です」

「スサルオーラ神の別名です。至れるものの神典にも、スサルオーラ神とスサエレーザ神の名前の記載があります」


「し、神典に……ですって? 今まで神典にその名があったなんて一言も……」

「それは俺が訳した段階で、スサルオーラ神の名前を知らなかったために、『その音』で表記された単語が何を指すのか解らなかったからです。でもちゃんと、その『音』の単語は書いてありますよ」

「ああ……確かにいくつか、古代文字のままの言葉がありましたな。そうか、それが……名前だったのですね」

 神司祭様方は半信半疑ながらも、少しずつ受け入れてくれている。


「スズヤ卿、この外典の訳ですと、スサルオーラ神とスサエレーザ……神ですか? その二柱が、同じ身体を共有しているかのようですが……?」

「主神もそうですよ。皇宮の彫像に書かれていた文字はその名前です。表から見ると男性神『シシリアテス』、裏は女神『シシリアティア』と記されていました」


 おお、神司祭様方が今までになく戸惑っていらっしゃる……

 そりゃそうだよなぁ……

 雌雄同体とか、無性別とか、同じ身体に心がふたつとか、噂でも聞いたことないだろうしなぁ。

 俺が勝手に定義付けしちゃったら……怒られるかなぁ。

 でも、この考え方で大筋は間違っていないと思うんだよね。


「主神と宗神は対の神です。そして、ひとつの身体にふたつの神格があり、ふたつの性別を有する精神とどちらの性別でもない身体……ということは『完成体』であるということです」

『完全体』っていうのはちょっと違うかな、と思ったので『完成』にした。

「主神が司るのは『昼間・大地』、宗神が司るのは『夜・海』。ふたつの時間と空間を治めるためにひとつの身体にふたつの神格を有した『完成体』として、この世界の全てを支えているんですよ」


 まぁ、この辺は発表するにしては、まだ証拠が足りない。

 神々を人間と同じ形として考えているから、混乱するんだよね。

 そもそも何処にも『神と人間は同じ形』と書かれていないのに、彫像が全てヒト型なのは、その方が親しみが湧くからなんだろうなぁ。


「その根拠は、まだ名前だけなのだね?」

「『聖典』が全て揃えば、解ると思われます。だから、この辺りの話はまだ聖神司祭様方の内だけで留めておいてください」

 これに関しては、皆様同意のようだ。

 そりゃあ、説明できないもの。


「それにしても……スサルオーラ神が、そのように穏やかな神であったとは……信じ難いです」

「しかし、スズヤ卿の訳された通りであるならば、あの八枚の文書は『神典』の神々となんら違いのないものだ」

「なぜ、あのような過激な思想の元になったのでしょうか?」


 それに関しては心当たりがある。

「『前・古代文字』を『古代文字』だと思い込んで、翻訳したからだと思いますよ」


 古代文字として訳すと、確かにスサルオーラは『闇に閉じ込められた』と訳せてしまうのだ。

 そして『愛するアールサイトス』は『憎むべきアールサイトス』に読めるし、『安寧』なんて『死の床』と読めてしまうという恐ろしさ……

 愛と憎しみは表裏一体、死は安らかな眠り……なんていう意訳で、言葉が変化したなんて思いたくない。


「この『外典』は、神典の最初の一冊の一部だと思います。最初の一冊に描かれているのは、主神と宗神の物語でしょうから」

 これが発見された場所に残りの文書がある可能性もあるし、どこかの教会にシュリィイーレの時のように隠されていることも考えられる。

 全てを早く、正しく、訳したい。

 なので、俺は改めて聖神司祭様方に向き直ってお願いした。


「この八枚の訳文だけでも、発表してもらうことはできませんか? スサルオーラ神の、神々に愛される宗神の汚名だけでも雪ぎたい」

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