第186話 オイスター狂想曲
従業員さんに頼みこまれ、俺は牡蠣を持ってまず食品組合へ行った。
そこで組合長に会ったのだが……なんか、イメージと違った。
もっと鍛冶師組合のおっさん達みたいに、売られた喧嘩は倍で買う! みたいなタイプかと思っていたのだ。
しかし目の前にいるおじさんはひょろりと背が高い、どちらかというと線の細い気弱な感じに見えた。
「見た目に騙されないでください……組合長は穏やかそうに見えて、凄く頑固なんです……」
と、事前に聞かされていたのだが、確かにこの風貌だと絶対に言い返してきたりしないように感じる。
「申し訳ありませんね。うちの不手際で……」
うーん、喋り方もそんなに激しく言い合いするタイプに感じないんだけど……
「あのクソ野郎の言い分に屈したとあっては、怒りで夜眠れなくなるところでしたので、とても助かりますよ」
前言撤回。
口、悪っ!
穏やかに口調を変えず、薄笑いで悪態をつくなんて怖すぎ。
「なんでこんな無茶なことになったのか、もう一度聞いてもいいですか?」
「シュリィイーレを馬鹿にされたのですよ? 腹が立って当然でしょう」
「腹が立つのは解ります。でも、それはあなたの個人的な感情ですよね? なのになんで奔走しているのは従業員さんで、あなたは何もしていないんです? あなたが腹を立てたのなら、あなた自身がなんとかすべきじゃないんですか?」
生意気なやつだと思われたっていいし、無礼だと思われても構わない。
上司の感情にまかせた行動で、部下が割を食うのは間違っていると思ったからどうしても聞きたかった。
あんたは、何をしていたんだ、と。
「……聞いていれば、みんなだって腹を立てたはずです」
「つまり、あなた以外、聞いていなかったのですよね? 上司が感情にまかせて怒り出したら、部下は同調するしかないじゃないですか。それにみんなが腹を立てたからといって、張本人であるあなたが動かなくていい理由にはならないと思いますが?」
こんなこと、組合の人達は絶対に言えないだろう。
俺は部外者で、今、この人の欲しいものを持っているという立場だから図々しく言えるのである。
「せめて、あなた自身が俺の所に牡蠣を譲って欲しいと言って来ていたら、俺だってこんなことは言いません。調理師組合に牡蠣料理を頼んだのだって、あなたじゃないんでしょ? 他人にやらせておいて、故郷の誇りも何も語る資格なんかないですよ」
これだけ言えば、俺は完全に悪役である。
憶測で相手を責め立てているのだから。
だが、どうやら本当にこの組合長は命令していただけで、何もしていないらしい。
従業員達は、誰ひとり組合長を庇おうとしない。
自分達も腹が立ったんですよ、と言い出す人も誰ひとりいない。
「君に……謝れと?」
「そんなこと言ってないでしょう? 謝罪するなら、あなたがそうすべきなのは、従業員さん達に対してですよ。俺じゃない」
この人にそれは、できないんだろうな。
まぁ、謝らせたい訳じゃない。
「別に皆さんも謝罪なんて求めていないと思いますので必要ありませんが、せめてここから先はあなた自身が動いてください」
「私に……どうしろと言うんだ」
「調理師組合で事の顛末を全て話して、その客人に振る舞う料理を作ってもらえるように交渉を纏めてきてください」
この発言に組合長は顔を歪ませ、さっきの従業員さんは焦りながら俺の手を掴んできた。
「君が作ってくれるんじゃないのか? 牡蠣料理ができる人なんて、君ぐらいしかいないんだよ!」
「いいえ、俺は調理はしません」
キッパリと断る。
巻き込まれるのはゴメンだからな。
「でも、組合長さんがちゃんと調理師組合と話をつけて、料理人を連れて来てくださったらその方に牡蠣の特性や解毒方法、俺の知っている食べ方のいくつかをお伝えします。料理はその人に作ってもらってください」
そう、その方がちゃんとした料理ができる。
俺の『加工』『錬成』でない、きちんとした『調理』で作られた牡蠣料理になる。
「君だって調理師だろう? すべきことをしないなんて……」
何を勘違いしているんだ、この組合長は。
「は? 俺がこの件で『すべきこと』なんて、ひとつもありませんよ。俺は『善意で仕方なく自分の所有物を譲ってあげる部外者』です」
「……!」
「で? どうするんですか? 交渉に行かないというなら、この話は終わりです。俺はこの牡蠣を持って帰って、自分で美味しくいただきますから」
「……行ってくる。そいつを引き留めておけ!」
「まーた、人にやらせて。俺にここを出て行って欲しくないなら、早く交渉を纏めて戻ってくればいいんですよ。全部、あなた次第です」
おおーめっちゃ睨まれたー。
うーん、俺って結構、嫌がらせの達人かも。
怒りにまかせて、凄い勢いで組合事務所を飛び出した組合長の背中を二階の窓から眺めていた従業員が呟く。
「……行きました……ね?」
「ええ、本当に行ったみたいです」
「はぁーーーーっ、緊張した……」
おやおや、皆さんそんなにほっとしたような顔をして。
まだこれからじゃないですか。
「ごめん。君に嫌な役回りをさせてしまった……本当なら、僕達が声を上げるべきなのに」
「いえいえ、上司にたてつくのは大変ですからね」
「こう言ったら……申し訳ないんだけど……スッキリした。ありがとう」
他の人達も苦笑いをしている。
結構皆さん、我慢していたんだね。
偉いなぁ。
大人だなぁ。
でも、そういう『大人』なら、俺は要らないや。
暫くして、組合長が戻ってくるとまた皆さん借りてきた猫状態。
現状を打破しようなんて人は、いないらしい。
組合長がお隣の調理師組合から連れてきたのは、調理師組合の副組合長だ。
「こんにちは、ラウェルクさん」
「おいおい、クソ生意気なガキってのは、タクトのことかよ」
そう、ラウェルクさんはうちの常連さんのひとりだ。
デルフィーさんの幼なじみで、よくふたりで食事に来てくれるのである。
おっと、組合長が目を剝いているぞ。
「し、知り合いなのか?」
「ああ、俺の贔屓の食堂の……ほら、話しただろう? 調理師でもないのに『皇室認定品』の菓子を作ったやつがいるって。こいつのことだよ」
「えっ? 調理師じゃないのかっ?」
「だから、言ったじゃないですか。『俺は調理はしない』って」
勝手に思い込んでたあんたが悪い。
どーせ悪口並べ立てて、俺を調理師組合から除名しろとでも言ったんだろ。
「で、どうせまた
あ、ラウェルクさん、解っていらっしゃる。
ということはいつもこういう問題を起こしている訳か、と組合長に冷ややかな視線を向けるとばつが悪そうにそっぽを向いた。
俺は簡潔に説明して、ラウェルクさんに来てもらった事情も話した。
組合長は、むすっとしたままだ。
大きく溜息をついたが、ラウェルクさんは結局組合長を助けてやることにしたようだ。
「しょうがねぇなぁ……とりあえず、事情は解った。タクト、教えてくれ。俺が作る」
ラウェルクさんなら、きっと美味しく仕上げるんだろうなぁ。
「じゃあ、美味しい料理ができたら、今度食べさせてくださいね?」
「おまえが牡蠣を持って来てくれたら、いつでも作ってやるよ」
よーし!
ラウェルクさんの店は、結構お高めの『リストランテ』って感じだから入りにくかったんだよねー。
これで、メイリーンさんとのデートに使えるぞ。
俺は約束通り牡蠣の特性、成分、毒の種類や解毒方法、俺が知っている食べ方などを伝えた。
「なるほど『海の乳』って言われるくらい、滋養があるのか。すげぇ貝だな」
「毒さえなくしてしまえば、これほど美味い貝はなかなかありませんよ。セラフィラントの岩牡蠣は今が一番美味しい時期ですし、俺の持ってきた物は下処理済ですから毒性もありません」
「なら、そのまま酸味の強い果実で食えるのか?」
「はい。牡蠣が好きな人は、生食が一番だって言いますね。でもこの食感が嫌だって言う人もいますから、火を通して加工した方が一般的には食べやすいと思います」
「おまえは海の物にも詳しいんだなぁ……魚も好きなのか?」
「ええ、以前いた所では、よく食べていました。シュリィイーレでは、なかなか手に入らないのが残念ですね」
たまに、鰤の照り焼きが恋しくなるんだよなぁ。
鯖の味噌煮とか、光り物の鮨とか……
あー、美味い烏賊ソーメンとか食べたいなー!
そして牡蠣講座は終了、持ってきた牡蠣を渡して代金を受け取ったら俺の出番はお終いだ。
俺はさっさと、食品組合の事務所を後にする。
もう二度と来たくないね。
今回の件で、食品組合の組合長からは嫌われちゃっただろうなぁ。
食堂に不利益なことが出て来たら……真っ先に、あの組合長を疑うことにしよう。
ラウェルクさんには、今度会った時にどんな料理にしたのか聞いてみようっと。
後日、ラウェルクさんに聞いたところによると、その客人は本当に牡蠣料理を出してきたということ自体に驚いていたようだったらしい。
そして、料理は絶賛され、組合長の怒りも収まったのだとか。
なんにしても食べ物でリベンジするとか、もう懲り懲りである。
食べ物は人を幸せにするためにあるもので、争い事の道具にされるなんてのは間違っているのだ。
「それで、どんな料理にしたんです?」
「ああ、おまえが一番好きだって言ってたやつだよ」
え?
牡蠣フライ?
マジか!
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