第185話 食材活用

 ビィクティアムさんが仕事に戻り、チーズ作りは後半戦。

 練り込みとプレスである。

 じっくり圧力をかけながらホエイを抜き、練り上げ、またホエイを抜き、形を整えていく。

 丸い木枠と四角い木枠で二種類のチーズにする。

 最後のプレスは丸一日なので、一旦ここでチーズは終了。


 明日、絞りきったカードを型から取りだして塩漬けにするのだが、塩の量を変えて作るのである。

 丸い方と四角い方で洗い方や熟成期間も変える。

 どんなチーズになるか楽しみだ。


 そうだ、ホエイは乾燥させてパウダー状にしておこう。

 お菓子やパンに使えるからね。



 そして乳製品作成第二ラウンド。

 残してあった牛乳から、生クリームとバターを作るのである。

 今も市場で乳製品は買えるが、量が圧倒的に少なかった。

 だがしかし!

 今後はセラフィラントから、定期的に牛乳が供給されるのだ!


 あちらの世界で一般的に市販されている牛乳と違って、こちらの物は当然均質化などされていないので、遠心分離すれば生クリームの取り出しが可能だ。

 遠心分離は【文字魔法】でちょちょいである。

 これでクリームと脱脂乳に分かれた。


 脱脂乳は粉状にしておけば、これもパンやお菓子に使える。

 所謂、スキムミルクである。


 クリームをふたつの容器に分けて、ひとつは空気と水分を取りながら練り上げていく。

 はい、バターのできあがり。

 無塩と加塩を作っておこう。


 もうひとつは均質化を行い、粒子径を揃えておく。

 うーん『液体調整』便利。


 これでオイルオフなどがなく、酸性素材にも混ざりやすい生クリームになったはず。

 コーヒーに入れても分離しないやつね。

 コーヒー、ないけど。


 そして牛乳としても、一缶取っておこう。

 うんうん、これはなかなかいいんじゃないか?


 ここまでやって、はた、と手を止めて考えてしまった。

 ……やっぱり、俺がやってるのって加工とか錬成だな。

 これは明らかに調理じゃないや。

 うん。



 乳製品製造が一段落したところで、夕食の準備時間になった。

 今日のメニューはもう決まっているので、明日辺りに牡蠣を使ったものを出していいか母さんに確認した。

 なんだか、あまり反応がよくない。


「牡蠣? そうだねぇ……あれは好みが結構分かれるから……どんな料理にするんだい?」

「衣を付けて、油で揚げようと思って。この間、美味しい野菜の酢漬けをもらったでしょう? あれと卵黄の調味料で食べると美味しいんだよ」

 俺的には、牡蠣フライにタルタルソースは必須なのである。


「牡蠣は、酢や酸味のある果実で食べるものだと思っていたけど……火を通したら小さくなっちゃうだろう?」

「衣が付いていればそんなに縮こまらないし、食感も良くなると思うんだけど」

 そこまで言うなら作ってごらん、と言われたので試作品を食べてから決めてもらうことにした。

 ノロウィルスや貝毒、腸炎ビブリオは完全に除去済なので心配ないから生でも多分平気だが、俺自身が生よりフライの方が好きなのだ。


 牡蠣フライとタルタルソースを作り、父さんと母さんに食べてもらった。

 父さんは凄く気に入ってくれたのだが、母さんの反応はイマイチだった……

 うーん、やっぱり食べ慣れていない海のものは好みが分かれるか。


 しかしやっぱり食べてもらいたいので、メイン料理の付け合わせとして一皿に二個だけ乗せてもらうことにした。

 これでもっと食べたいと言ってくれる人がいれば、ランチ時にフライ盛り合わせの一品として出すのもありだ。


 結果は……六対四くらいで、牡蠣が食べたい派が多かったのだが、微妙である。

 正直、これではメインには据えられない。

 うー美味しいのにー!

 やはり、シュリィイーレでは海のものはイマイチなのだ。

 いいもん、俺が食べるもん。


 牡蠣殻は有機石灰なので、塩分を抜き、砕いて畑の肥料にする。

 そういえば昔、牡蠣の殻にカリグラフィーで名前を入れてくれって依頼があったっけ。

 漁師さんの結婚披露宴で、座席のネームプレートにするって言っていたなぁ。

 いくつかそのまま取っておいてもいいか。



 そして、最後に残ったのは大豆。

 地下に納めた大豆を前に、腕組みなどしながら思案する。


 醤油を作りたいところだが、残念ながら現在はスペースと麹菌がない。

 地下の秘密工房は、今はチーズが最優先なのである。

 同じ理由で、納豆も無理。


 納豆菌はこちらにも存在するが、チーズ作っているところで納豆は大敵だ。

 防菌を施している廊下を通るから大丈夫だとは思うが、チーズ部屋の中には防菌はしていない。

 菌がいなくなったら、美味しいチーズはできないからね。


 この植物性プロテインである大豆を何にしようか……と考えていると、どうしても俺は豆腐が食べたくなるのである。

 だが、豆腐は今暫く待ち、である。

 次のセラフィラントとの取引で、海水が手に入ってからだ。


 そう、苦汁にがりを、海水から取るのである。

 勿論それだけではない。

 海水にはいろいろなものが含まれているのだ。

 よし、豆乳だけは作っておこう。

 苦汁ができたら、真っ先に豆腐にするのだ。


 現状、大豆は煮豆として食するのが一番いいような状態だ。

 そうだ、もやしを育てておこうかな。

 もやしは大変有用な素材だし、地下でたいしたスペースも要らず育てられる。

 どうせならちゃんと育てて枝豆を作るのもいいが、陽の当たる場所は苺でいっぱいだ。

 物理的理由でいろいろと妥協しなくてはならないという状況は、綺麗なインク瓶をずらりと並べたいのに部屋がなくて苦悩していたあの頃を思い出す。



 翌日、チーズのプレスが終了したので塩漬け開始。

 濃度を変えた塩水にそれぞれ漬けて、五時間から八時間冷暗所に放置。

 その後は水気をしっかり拭いたら、熟成に入るのだ。


 毎日ひっくり返して、カビが付かないように。

 表面が乾いたら塩水とか、ハーブを漬け込んだワインとかで表面を軽くブラッシングして磨く。

 これを数ヶ月、繰り返すのである。

 ひっくり返すのは自動でできるように魔法付与してあるが、状態を見ながら磨くので結局、毎日お世話をするのだ。


 楽しみだなーっ!

 どんなチーズにできあがるだろう。




「は? 牡蠣を譲って欲しい?」


 翌日、訪ねてきた食品組合の従業員が、牡蠣を買い取らせて欲しいと言ってきた。

 まだ沢山あるから構わないけど……牡蠣が好きな人でもいるのか?


「先日、こちらに牡蠣が届けられたと噂で聞きまして……実はうちの組合長なんですが……あるお客様のために牡蠣を取り寄せたのですが、運んでくる途中で……駄目にしてしまったようで……」

 ああ、海産物は輸送が難しいからねぇ。

 話を聞くとどうやら生食をご希望のようで、だったらシュリィイーレじゃなくてセラフィラントに行けばいいのにと思ったのだが。


 その痩せこけた使いの従業員さんは、なんで自分が、という風情を醸し出しつつ溜息を吐く。

「多分、嫌がらせなんですよ……うちの組合長、悪い人ではないんですけど……その、気が短いというか……」

 訪ねてきたお客に、こんな所じゃ海のものなど知らないだろうに、食品組合なんて名乗っているのは図々しい……的なことを言われたんだとか。

 この町の人にありがちなパターンだ。

 なんだか、鍛冶師組合のおじさん達を思い出す。


 だけど、今のこの人の口調やテンションからは、全然怒りも悔しさも感じない。

 その組合長が、ひとりでキリキリしているだけなのだろうか。

 もしかしたらある程度は揶揄された部分もあるのだろうが、きっとそこまであからさまな侮蔑ではなかったのじゃないかな。


 でもここが内陸の山間で、特に食材が豊富な土地でもないということに多少のコンプレックスもあったのだろう。

 大きく出ちゃって引っ込みがつかなくなって、売り言葉に買い言葉で……って事態が悪化した、みたいな感じ?


「それで、海の食材だって問題なく手に入るんだって話になってしまって……なんでか解らないんですが……牡蠣ってことに……」

 この従業員さん、相当振り回されたんだろうなぁ……可哀想に。

 きっと牡蠣に白羽の矢が立ったのは、今の時期がセラフィラントの岩牡蠣の旬だからだ。


 セラフィラントから、岩牡蠣がシュリィイーレに入ってきたことはない。

 暖かくなったこの時期は輸送が難しい上に、セラフィラントでしか採れないから高価なのだ。

 ウィルスや貝毒の処理を適切に行えなければ、危険なこともある食べ物である。

 技量や知識を見るには、いいケースなのかもしれない。


「解りました。俺が自分で料理しようと思っていただけなので、お譲りしますよ」

「え? 君は……牡蠣の料理ができるの?」

「え? まさか……皆さん、できないとか?」


 あ、目を逸らした……

 ダメじゃん!

 素材があったって全然ダメじゃん、それじゃ!


「実は調理師組合でも牡蠣の調理方法を詳しく知っている人って、いなくて………」

 もうっ!

 それ、馬鹿にされても仕方ないじゃないか!

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