第180.5話 大変!な人々
▶レンドルクス工房
「大変! 大変なの!」
「どうしたんだ、トリセア?」
「タ、タクトくんが、タクトくんにっ」
「おいおい、落ち着けって。タクトがどうしたんだよ?」
「タクトくんに、婚約者がいるの!」
「……トリセア……そう言う冗談は……」
「冗談じゃないわよ! タクトくん本人から聞いたんだから! たった今!」
「あいつ……成人したばかりだろう? 適性年齢前になんつーうらやま……いや、それの何が大変なんだよ?」
「タクトくんの商品の購買層半分は、タクトくんのことが好きな女の子達なのよ? 彼女とか恋人とか、ましてや婚約者がいるなんて知られたら、そういう子達が買わなくなるじゃない!」
「あ、なるほど。でもよー、こればっかりはなぁ」
「だから、彼の意匠印の物は取り敢えず生産を止めて。今ある在庫も、あの意匠印の物から先に売るわ」
「お、おう……でもよ、そんなにいきなり変わるもんかね?」
「当たり前でしょ? 『身近で手の届きそうな素敵な人』ってのがタクトくんの立ち位置なのに、もう絶対に手が届かないって解ったら、完全に冷めちゃう子達が沢山いるわ」
「そういうもん……なのかぁ……女って」
「何、言ってるの。男だってたいして変わらないわよ。むしろ手に入らないのに、追いかけ続ける方が気持ち悪いわ」
「そう……なのかねぇ……」
▶セラフィラント
「なんだと? 二種だけだと? 何処にもないのか? ウェスカゼル」
「はい、セラフィラント内では苺は現在、二種のみしか生産されてないと……ロンデェエストには、まだ何種かあるようですが……」
「くっ……! セラフィラントの物でなければ意味がない! 無念……! 牡蠣はどうだ?」
「あの貝は確かに旨いのですが、毒性があります。慣れない者に正しく食せるとは思えません……本当に欲しがっていらっしゃるのでしょうか?」
「専用の容器まで送ってきたのだから、間違いあるまい。採れるのはどれくらいだ?」
「今の時期でしたら、牡蠣はあの容器いっぱいに用意できます」
「うむ、では……大豆はどうだ?」
「大豆は問題ございません。ですが、あの豆も家畜の飼料でございます。よろしいのでしょうか?」
「何に使うかは、見当がつかん。しかし、シュリィイーレには未知の技術がある。新たな利用法が判れば、我が領内でも取り入れればよい」
「はい、では全て用意いたします」
「さて、港湾長。届いた『不銹鋼』はどうだ?」
「素晴らしいですね。あれ程腐食に強いとは……港湾関連施設全てに、使用したいと思っております」
「加工にはどちらが良い?」
「塊より板状の方が汎用性が高いですが、溶解させて成形するのであれば塊です。あの金属は溶解させてから固め直しても、まったく特性が変わらないのです! 奇跡の金属でございます」
「艤装には、溶解させて成形するものが多いのだろうが……」
「板状のものを三割程増やしていただけると、その方が加工工程が早くなります」
「ううむ、こちらの要請を通すには……やはりあと一種、苺の苗を用意せねば……!」
「旦那様、レクサナ湖近くで、少量ですが栽培している場所があったかと……今一度探してみます!」
「頼むぞ! 皇家では用意できなくとも、わがセラフィラントであれば可能であると知らしめておかねばならん!」
「ははっ!」
「流石は『神域の金属』の対価だ。なかなか手強い!」
▶王都聖教会
「これで全ての原典の訳文が揃った……ということですね」
「はい」
「それにしても素晴らしい。この文字そのものも美しく、力を感じます」
「ええ、それにしても、これまでの神典と差異がある部分も多い上に、今までのものにはなかった記載もかなりありますな……」
「おそらく、今までの者達は不完全な知識で訳したり、文字の掠れなどで書き写す度に誤った箇所が増えてしまったのではないでしょうか。この度完全な『原典』があったればこそ、このように美しく完璧な訳文ができあがったのです」
「左様、この訳は確かに正しいとわたくしも支持致します。原典と照らし合わせても全く作為的な、惑わすような部分がありません」
「ハウルエクセム神司祭のご意見を、私も支持いたします。以前の神典は伝わっている地域によって違う表現の記載などがあり、本来の文章とかけ離れた解釈や誤解を生むものも多かった」
「その通りですな。だからこそ、神を疑う者達まで現れる始末。この『原典』の訳文こそが正しく唯一の神典であると考えます」
「お待ちください。いくらなんでも結論を急ぎ過ぎていらっしゃる。この訳文は確かに素晴らしいが、正しいとは限らない」
「正しさは、皆様がお読みいただければ、お判りいただけましょう」
「いえ、もっと確実な方法で証明すべきでしょう。神典そのものに訊ねてみればよろしいのでは?」
「あの『原典審判』ですか?」
「いいえ、真にこの訳文が『正典』であるのなら、何ものにも汚されぬはず。そうですよね? ドミナティア神司祭」
「ええ、その通りです」
「この訳文を……どうすると? サラレア神司祭」
「まことの『正典』ならば、こうしても穢れはしない」
「サラレア神司祭! 何をするのです!」
「泥墨など掛けたら、羊皮紙が色を吸ってしまいます!」
「皆様、案ずることはありません。よーくご覧ください」
「な、なんだと? 馬鹿な……!」
「おお! 泥墨だけが……流れていく!」
「文字は全く消えてもいないし、汚れてもいない!」
「そんなはずはない! なんらかの魔法がかけられているのかっ?」
「いいえ、そんな魔法はかけられてはおりません。それはわたくし、ナルセーエラが保証いたします」
「こ、こんなもの、正しい筈がない……! なぜ破れないっ?」
「それはこの訳文が『真なる正典』であるからです。神々の物を人は壊せない」
「うるさい! こんなもの!」
ボッ!
「なんと……サラレアの炎ですら……この訳文を葬ることができないとは……」
「これが、これこそが『正典』! 真に正しき神の言葉です!」
「失礼いたします、聖神司祭様方!」
「皇宮近衛がなぜこの場に……?」
「サラレア神司祭、あなたには神仕を許可なく教会から外に出した容疑がかかっております。その件と今回の『正典』に対する不敬、併せて伺うこととなりますのでこのまま拘束させていただきます」
「なんだと! この私になんという無礼……」
「サラレア神司祭、いや、サラレア・ラフォレスト! スサルオーラ教義信者であるあなたは教会の裏切り者だ!」
「……し、神司祭にスサルオーラ教義信者が……?」
「た、大変な事態になってしまいました……」
「近衛殿、それはまことのことで?」
「はい、捕らえました仲間の神仕から、全てを聞いております。その他の教会内部の裏切り者達も捕縛済みでございます」
「これは、皇王陛下の御采配でございます」
「『神典』は裏切り者を炙り出し、我らに正義を示された……」
「この訳文、間違いなく『真に正しき神典』、『正典』であると聖議会は結論します。異議のある者は?」
「……異議なし、と認めこの『正典』の普及と教義の浸透を、我が皇国教会の至上命題とします!」
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