第116話 音楽が消える季節

 その日の翻訳作業を終えて、俺は教会からミズナラの大木まで移動した。

 壁に近い所に生えてる上に木の陰に隠れるので通りから移動したことが見えないから、この木が移動ポイントとしては一番いいだろう。

 家にも近いし、壁と木の間に人ひとり入れる空間があるのも丁度いい。


 あ、雪が降ってきた……

 シュリィイーレに、本格的な冬が始まった合図だ。

 よーっし!

 今日のスイーツはほかほかココアと、温かいケーキとかにしようかなっ!



「ただいまー! 雪が降ってきたよー」

「あら、それじゃあ少し早めに店を開けようか」

「うん、支度するね!」

 開店時間を前倒しして、お客さんが早めに帰れるようにする。

 雪が積もっちゃうと、難民が出るからね。


 手早く支度をして、店を開けると同時に何人か入ってきた。

「良かったぜ、早めに開けてくれて……」

「いらっしゃい、デルフィーさん」

「雪になっちまったから、今日はもう終いだなぁ」

「今はなんの作業をしてるの?」


 デルフィーさんは夏場は錆山ガイドなのだが、冬場は道路とか水路の経年劣化検査や補修をして回っている。

 だが、町のメンテナンスも、雪が降ってきたら一旦終了なのである。


「南東・緑通りの道の整備だな。あそこは市場行きのでかい馬車が通るから、すぐに道が磨り減っちまうんだよ」

「ああー、根菜の馬車とか、重いもんねぇ」


 そんな話をしながら給仕をしていたら、珍しくトリティティスさんがやってきた。

 音楽家のトリティティスさんがここら辺にいるなんて、なんかイベントの下調べかな?


「やあ、久しぶりだね、タクト君」

「こんにちは、トリティティスさん。この辺で何かるの?」

「いや、リンゲルスの家に集まって練習をしていたんだよ。帰るところで降り出されてしまったのでね」

 リンゲルスさんは楽団のひとりだ。

 たしか、マンドリンみたいな楽器を使っていたな。


「そうなんだ……楽器、濡れなかった?」

「ああ……ちょっとだけ濡れてしまったかなぁ」

「じゃあ、帰りはこの袋に入れてよ。大きいし、雨でも雪でも中のものは濡れないからさ」


 レトルト大量買いの人にあげている、トートバッグである。

 雨の日でも中身が濡れないように魔法が付与されているので、とてもご好評いただいているのである。

「おお、これは助かる! ありがとう! ちゃんと返しに来るよ」

「いいよ。この袋は沢山あるから」

「では、ありがたくいただくとしよう。楽器を入れるのにちょうどいいね」


 食事を食べてもらいながら、音楽家さん達の冬場の活動を聞いたりしていたのだが、やっぱり、練習ばかりだそうだ。

 そうだよなぁ。

 演奏会ができないんだから。


「冬になると毎年、町から音楽がなくなってしまうのだよ……本当に、寂しい季節さ」


 音楽……そうだよな……こちらには、そういう媒体が全くない。

 ラジオもないし、音を届けられるものがないのだ。


 でもラジオは発信者がいなくてはいけないし、好きな時に好きな音楽をというわけにはいかない。

 CDとか無理だし……いや、記録媒体は作れるんじゃないか?

 円盤形である必要はない。

 USBメモリーみたいなものでいい。


 特定のものに『音楽を付与』……それ、できるんじゃないか?


 大きくなくていい。

 一曲につきひとつのメモリーで、電池みたいに『音楽を溜めておく』ものを作る。

 それを器具に差し込んで音が再生されるようにすれば……再生機があれば、それぞれの家で好きな音楽を、好きな時に聴けるのではないか?


 演奏家に音楽を録音させてもらい、録音データの入ったものを販売すれば演奏家の収入になる。

 でも、再生音楽より絶対に生演奏の方がいいに決まっているから、春夏にはその『本物の音楽』を聞きたがる人が増えるんじゃないか?

 家庭で音楽を楽しんでもらえる道具があれば、いままで演奏会に行かなかった人達だって音楽が身近になる。


 問題は再生機だ。

 付与した音楽を再生するにしても家庭で邪魔にならないサイズで、使いやすいものでなくてはダメだ。

 冬場に別のことにエネルギーを裂く余裕がない人だとしても、気軽に聞ける道具……

 箱……?

 音楽の、箱。

 オルゴール?


 動作は、蓋の開け閉めだけ。

 その箱にメモリーを差し込んでおけばその記録された音楽が聞こえる。

 メモリーを入れ替えることによって、一台で何曲も聴ける。

 使っていないメモリーは、その箱に収納できるようにすればいい。


 箱の外観のデザインだって、いろいろと工夫できる。

 石細工でも、木工細工でも、金属でも。

 高級にだってできるし、素朴にもできる。



 トリティティスさんを工房の奥に引っ張っていって、俺の中で勝手に走り出したアイディアを捲し立てた。

 多分興奮気味だったから、すっげー解りづらかったかもしれない。

 でも、トリティティスさんも瞳を輝かせて、同意してくれたのである。


「素晴らしい……素晴らしい思いつきだ! しかし、音楽を溜めておくなんてことができるのかい?」

「その魔法は、俺ができるように考えます。トリティティスさん、他の演奏家さん達の意見とかを聞いてもらえますか?」

「解った。なんだろう、冬だというのに、こんなにも胸が熱くなったのは初めてだ!」

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