ネクローシス

Brain B.

1.ネクローシスからアポトーシスへ

日本人の高邁な精神も、現実的な見通しによって基礎づけられた政策を缺く場合には一場のお人好しとして軽くあしらはれることになるであろう。我々は狭隘な日本人に成りたくはない。我々は東亞的なすくなくとも日支を包越するほどの大きな精神を有った日本人になりたいと思うが、これが決して好人物的な日本人となることを意味するのでないことは心得て置くべきである。

――新明正道,1941,『思想への欲求』三笠書房



 

「日本だけではやっていけない」



このような状況を理解している人は、どれぐらい存在しているだろうか。


そもそも、統計データ等の客観的な指標を見るまでもなく、「グローバル化」という言葉と現象が周知されている現代においては、“自国だけ完結するような政治経済体制”などは存在できないのは自明の理である。


しかしながら、大小のメディアを問わず、そこに登場する政治家(大臣経験者を含む)、学者、企業家、専門職、技術者等の発言からは「日本だけでやっていける」という意識(以下「想像的優位意識」とする)が透けて見えてくる。


一例を挙げると、元通商産業省事務次官である福川伸次は「日本社会には本来、自助共助、自己研鑽(けんさん)、相互信頼、秩序尊重、そして文化重視、異文化共存、自然との共生、自然美の尊重という価値意識が息づいてきた。これは農耕社会の発展とともに日本が長年にわたり築き上げてきた特色で、私はこれを「日本力(ジャパニリビティ)」と呼ぶ。匠の技といわれる「モノづくり」のすばらしさ、自然の美と人工の技が融和した日本庭園、「もったいない」心に象徴される自然との共存などがそれである。」 (1)と述べ、現実とは乖離した「日本力」という形なき幻想を口にしている。


もちろん、彼らも“自国だけで完結するような政治経済体制”などを想定して、このような想像的優位意識をもっているわけではないだろう。


だが、バブル時代にあったような「ジャパンアズナンバーワン」(2) という意識が発言の根底にあるような人も珍しくない。


ところが、2020年初頭から始まった「コロナ禍」によって「日本だけではやっていけない」という意識を持つ人が一般的に増えてきたように思える。


これは、世界規模で同時発生している災厄への不安と、その災厄の前にあまりに無力な日本(人)という姿が露呈したからではないか。


戦後、日本(人)が形成し、一度は国際社会から承認されたように思える“自信”の自己融解=壊死(necrosis)である。そこで、本稿では、このような意識を「ネクローシス(necrosis)」と呼ぶことにする。


このまま「ジャパンアズナンバーワン」という想像的優位意識に囚われながらネクローシスを進行させていくと、“自信”の自己融解が「日本=“身体”」全体の自己融解へと拡がっていくだろう。その結果、「日本=“身体”」は、機能停止する。


だからこそ、我々日本人は、ネクローシスという非建設的な自己融解をアポトーシス(Apoptosis)(3) という建設的な自己融解へと転換させなければならない。


本節冒頭に元東北大学社会学講座主任教授として日本の社会学を牽引した新明正道の戦前の著書から引用を記した。


この文章から新明は、当時の日本の精神的状況にも巣くっている想像的優位性に対して警鐘を鳴らしているとも読み取れる。


つまり、日本は、令和で「昭和」を繰り返しており、このままいけば、戦前と同様に未来には大きな“崩壊”が予感されるということである。



●脚注

(1) 福井伸次『国際的な存在感低下を憂う “日本力”再生に取り組もう』SankeiBiz(2021.5.20 05:53)

 https://www.sankeibiz.jp/macro/news/210520/mca2105200553006-n1.htm


(2)『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)は、社会学者エズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル(Ezra Feivel Vogel)による1979年の著書であるが、日本経済の最盛期(1980年代の安定成長期からバブル景気)を象徴的に表す語として用いられている。


(3)本文では、アポトーシスを「プログラム化された自己融解」とし、ネクローシスの対義語として使用している。ネクローシスとは異なり、アポトーシスは、いわばイノベーションと換言できるものである。


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