キンモクセイの甘い香りが漂って
烏川 ハル
第1話
「えっ、こんな人形が1万円もするの?」
「あら、だってこれビスクドールよ。それくらい当然だわ」
ガラスケースに近づけていた顔を僕の方に向けて、桃子が笑う。ふんわりとした甘い香りが、彼女の髪から漂ってきた。
僕と桃子は、その日もいつものように、ぶらぶらとウィンドウショッピングを楽しんでいた。
適当な店でお茶したり食事したり、雑貨屋や洋服屋を見て回ったり。大学生の僕たちには相応しい、あまりお金のかからないデートだ。
とはいえ、いつもいつも同じところでは同じ品物しか並んでいないので、今日のウィンドウショッピングは、大通りから一つ二つ奥に入った裏道がメイン。その辺りになると店も少なくなるが、民家の間に挟まれたアンティークショップを見つけて、僕たちは入ってみたのだった。
「ビスクドールといっても、プラスチックだかセルロイドだかの普通の人形だろ? ただ、ちょっと着ているものがアンティークっぽいだけで……」
並んでいる人形たちは、ゴスロリというほどではないが、そんな感じのヒラヒラした洋服に包まれていた。子供の頃に玩具屋で見た女の子向けの人形と違う点は、ただそれだけ。僕の目には、そう映ってしまったのだが……。
「順次くんの目は節穴かしら? これ、プラスチックでもセルロイドでもないわ。だってビスクドールだもん」
苦笑いを浮かべて、桃子が解説する。
ビスク・ドールの『ビスク』はフランス語由来で、お菓子の『ビスケット』と同じ。「二度焼き」という意味の『
「へえ。じゃあ、あんまり遊び甲斐なさそうだね。迂闊に扱って落としたら、簡単に割れそうだし……」
「だから、そういう人形じゃないのよ。こうして飾って楽しむものなの。だけど……」
桃子の声に、不思議そうな響きが混ざる。
「……ここのビスクドール、ちょっと普通とは違うわね。『青い目のお人形さん』って言葉もあるように、普通は髪の色も目の色も、外人風なんだけど……」
彼女の言葉に興味を惹かれて、改めて注視してみる。
フランス語由来だったり、衣装がゴスロリに似ていたりするくせに、どことなく和風の雰囲気があった。桃子が言うように、髪や目の色が日本人のそれだからだろう。
「うちのビスクドールは特別ですからね」
背後からの声にビクッとして振り向くと、小柄な老婆が立っていた。喪服を彷彿とさせるような黒衣であり、全体的にゆったりとした服のせいか、裾の長いスカートのせいか、魔法使いのローブのような印象もある。
「あら! やっぱりそうなんですね?」
気さくに話しかける桃子。
僕たちは、あくまでもウィンドウショッピングであり、今日この店にお金を落とす買い物客ではない。だから僕は店の人と接するのは気まずく感じるのだが、そういう気後れをしないのは、桃子の魅力の一つだった。
「はい。だからこそ、遠方から買いに来てくださる愛好家の方々もおられるのですよ。ヒッヒッヒ……」
老婆の笑い方は、それこそ魔法使いを思わせるものであり、失礼ながら、昔読んだ童話の悪い魔女が、自然と頭に浮かぶのだった。
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