タスク
瀬田 乃安
第1話 まさか・・・
五年二組 担任の千種智子は、クラスで起こっていたイジメ問題が解決したことをクラス日誌に書いていた。学校からイジメを無くしたいと思って教師になり、イジメを無くすために今まで頑張ってきたことが少し報われたようで嬉しくもあった。そんな充実した時間を吹き飛ばすかのように、学年主任の岩波京子が教室に飛び込んできた。
「千種先生、大変です。今、五年二組の菅原君のお母さんから電話があって、菅原君が自殺をほのめかす手紙を机に残して家を出たそうです。一応、警察には連絡したそうですので学校でも探して欲しいと依頼がありました」
「ななな何で・・・」
それは、まさに天国から地獄に突き落とされたというのがピッタリの状況だった。解決したと思い込んでいたイジメが一転していじめっ子の自殺?という結末。しかし、次の瞬間、「そんなことあるわけがない。そんなことさせてたまるもんですか」と血相変えて教室を出て行った。行きそうな場所はいくつか心当たりがあった。こういうところは流石と言えるかもしれない。クラス三十名全員の趣味・趣向などの個人情報を常日頃より関心を持って聞き出しており、今回のイジメ問題の張本人であった菅原幹雄のことは特にしっかりと頭に入っていた。
最初に浮かんだのは、学校帰りに塾に行くと称して三回に一回は行っているこの町最大のゲームセンター。次に考えられるのが、休日にクラスメートとよく行くスーパーのゲームコーナー、それと今回のイジメ事件の現場となった公園。パッと思い浮かんだのがこの三つ。いずれも学校からはさほど遠くなく何とかなるという思いがあった。
しかし、最初のゲームセンター、次のスーパーのゲームコーナー、そして最後の公園も隈なく探すが見つからない。当初あった自信はいつの間にか消え去り、焦りを感じ始めたころ、携帯電話が鳴る。相手は学年主任の岩波。
「二組の今田君に聞いたんだけど、菅原君は『こうなったら電車でも止めてやるか』って言ってたらしいの。駅のホームとか踏み切りにいるかもしれないわ」
と冷静だが危機迫る岩波の情報。ひとり学校に残り、クラスメートに片っ端から電話して情報収集していたようだ。
「そんなこと言われても、この付近にはJRと私鉄の駅だけでも三つもあるし、踏み切りは幾つあるかも知らない。一体どう探せばいいの」と思わず岩波に文句を言う。
「千種先生、何言ってるの。私も今から学校を出て探してみるし、他の先生たちも既にJRと私鉄の駅に分かれて向かっているの。もっと、しっかりしなさい。とりあえず、思いつく踏切を探してみて」
そう言われ、少し落ち着きを取り戻した千種は
「すみません。やれるだけの事はやってみます」
と言って一番近い、商店街の横の踏み切りに向かった。
そこは、別名開かずの踏み切り。JRと私鉄が隣接する踏切である。踏み切り自体の幅も長く、約四十メートルほどある。現場に着くと帰宅ラッシュ時間ということもあり、遮断機は降りたままで、遮断機の手前には大勢の人と車が並んでいた。人並みを強引に掻き分け先頭に出ると反対側の人並みが見えた。目を凝らして菅原を探す。探しながらも、ココで見つけてもどうしたら良いか分からず、ビクビクしながら『どうか反対側にだけはいないように』と願いながら必死に探した。
人生とはままならないものである。見つかって欲しいと思って探すときには見つからないが、見つかって欲しくないと思いながら探すと見つかるものだ。そして、反対側の人並みを掻き分け先頭に立ち遮断機に手を掛ける少年を見つけてしまうのである。まだ、遮断機を潜る様子はない。しかし、その姿は行き交う電車で頻繁に掻き消されていく。
それは、今にも菅原が本当に掻き消されていくことを連想させるかのようだ。その切れ間に姿が見える度に少しホッとしながらも、「菅原君、戻りなさい」と大きな声で叫ぶが、警報機や電車の音に掻き消され聞こえるはずもない。その何とも無力感を感じる状況はやがて最も恐れている状況を引き寄せる形で目に入ってきた。
菅原は意を決したのだろう。遂に遮断機を潜り始める。その電車の切れ間から見えるまるでパラパラ漫画のような光景。「止めなさいー」と届かぬ声を掛け続けるしかない自分が何とも悔しい。大声で張り上げようとして既に声にはなっていない。叫びすぎて咳き込みながら、最後に思うのは「神様、どうか助けてください」であった。
そういう思いで見つめていると、菅原を追って踏み切りに入る薄汚れたマントに破れた帽子を被ったホームレス風の老人の姿が目に入って来た。その老人は、菅原の耳元で何かを囁いているように見える。不思議なのは、その危機的状況において、決して手を使って強引に止めようとはしていないのだ。
「あのねーどうせ止めるのなら、力あるんだから強引に手で引き戻しなさいよ」
思わずそう叫ぶ千種。その光景はやがて行き交う何本もの電車によって消されてしまった。その何本もの電車が行き交った末、それはまるで花火の終演を示すように遮断機が上がる。それと同時に、反対側の人たちも待ちわびて、一斉に踏み切りを渡り始める。それらの人ごみによって菅原の様子はどうなったのか全く見えなかったが、とりあえず一目散に走り出した。反対側に辿り着いたが、菅原の姿はない。「まさか」とも思ったが、もし電車に引かれていたら、大騒ぎになるだろうし、そういう感じがないので、きっと助かったのではないかと少し安堵の表情になる。
しばらく、辺りをキョロキョロしていると、アイスクリームを食べながらホームレス風の老人と歩いてくる菅原が目に入った。この春、発売された話題のアイス「PARM」をニコニコしながらほうばっていた。
「菅原君・・」と大声で叫びながら駆け寄る千種。ニコニコアイスを食べている様子に、その先の言葉が出ない。
「心配ないからな・・峠は越えたかな・・」と意味不明の言葉を放つホームレス風のじいさん。その言葉にハッとして
「もしかして、菅原君を助けてくれたのですか?」と聞くと
「いやー何ね、新しく売り出されたアイスの話をしただけですわ。この子はアイスクリームが大好きだったようで」
と『えっ?』と首をかしげたくなるような答えが返って来た。
「いずれにしても、ありがとうございました」早々に老人に礼を言うと、みんなが心配している学校へ菅原を連れて戻った。
学校に戻ると、連絡を受けていた教頭を筆頭に全教員が出迎える。もちろん、その中心には、目を真っ赤に腫らした菅原の母・奈美子がいた。
「幹雄ちゃん、一体何があったの?何であんなことしたの?」
と無事な我が子を見詰めながら肩に手を置き体を揺らしながら聞く。
「ゴメン、母さん」と謝ると
「どうして、幹雄ちゃんが謝らなければならないの?」
と母・妙子は周りを囲む教師達を睨みながら声を荒立てた。その声に直ぐ反応したのは学年主任の岩波であった。
「菅原さん、本当に申し訳ありません。どうして、このような状況になったのか。これから徹底的に検証し、お母様が納得いただけるような結果を出しますので、今日のところはとりあえず・・」と言葉を濁す。
「わかりました。幹雄も疲れているみたいなので帰りますが、納得いく答えを是非お聞かせください」
と言って学校を後にした。その後姿に教師一同深々と頭を下げ、菅原親子を見送ると
「ふーっ」とため息をついて岩波が顔を上げた。
「教頭先生、千種先生を交えて三人でとことん話し合いたいのですが・・・」
と、自分の発言の責任を取るべく早々に対応しようとする姿勢を見せる。それに対して、教頭の瀬戸口は
「まあまあ・・、とりあえず、我々も今日のところは一旦帰りましょう。先生方も疲れているようですし、千種先生も冷静になって振り返ってみる時間も必要でしょうから・・」
とにこやかに全員を諭すように言った。
「教頭先生・・それじゃ示しがつかないでしょう」と言いたげな目をしていたが、その言葉を自ら飲み込んで、千種への厳しい視線を投げかけながら
「分りました。教頭先生がそうおっしゃるなら、今日のところは帰りましょう」
と渋々同意した。重い足取りで学校を後にする千種であった。
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