第7話

追い求めた先にあるもの①

 魔術学校は、諸侯の邸宅や国の要人の仮住まいなどが集まる治安のよい地区にある。ミシェルが下宿しているロンマロリー邸はが建つのは、その地区から少し離れた職人通りにほど近い場所だった。


 マルヴィナに借りた鍵で屋敷の扉を開けたアリシアは、ミシェルの自室を目指して階段を駆け上がった。

 部屋に乱れはなかった。文机の上はいくらか物が散乱しているが荒らされた形跡はなく、通学に使っている鞄も見当たらない。つまり、彼女はこの部屋に戻る前に何者かに浚われた可能性があるということ。

 部屋の中に入ったアニーは物珍しそうに見まわしていた。


「ここがミシェルの部屋? 意外と地味というか、お嬢様っぽくないわね」

「帰ってないな」

「何で分かるのよ」

「見りゃ分かるだろう。荒らされてねぇ」

「本当にそれだけ? あ、まさか、あんた来たことあるわけ? 年頃の娘の部屋に入ったていうの? やらしー!」

「うるせぇな。今はそんなことどうでも良いだろう」


 耳元で騒ぐなと言いたそうな面持ちのキースは、アニーから離れると閉ざされた窓に手をかけ、それを押し開けた。

 不機嫌極まりない後ろ姿にわざとらしく「おー怖っ」と言ったアニーはアリシアを振り返った。

 彼女は小さなドレッサーの前に立っていた。

 台の上には色取り取りのリボンが入れられた箱と、小さな化粧水瓶、そして櫛が置かれていた。その櫛を手にすると、絡まる赤毛を一本抜きとる。


「髪の毛?」


 不思議そうにアリシアの動きを見ていたアニーは、それをどうするのかと尋ねた。


「魔力は全身を流れています。髪の先までくまなく。なので、この髪にも残留魔力があるんです。これをまず分解します」

「……で、それどう使うの?」

「薬液に溶けた魔力を使って、魔力の元ミシェルを探し出します」


 真剣そのもののアリシアであったが、アニーは結局のところ何をするのか見当もつかずに「そう、任せたわ」とだけ言ってキースを振り返った。

 キースはこちらに全く興味がなさそうに窓を見ていた。いや、窓のそばに飾られた小さなカンテラを見ていた。


 風が入り込み、小さな薔薇のカンテラがゆらゆらと揺れる。それを目に留めたアニーは思わずこの場に不釣り合いな笑みを浮かべた。


「ふふっ、ミシェルも女の子ね」

「どこをどう見たって女だろうが」

「バカね。そんな生物学的なことじゃないわよ」


 ため息をついたアニーは説教の一つでもしてやろかと思った。だが、揺れるカンテラが、それはやめてと言っているような気がして、思いとどまる。それでも、何か一言くらい言わずにはいられない彼女は──


「ねぇ、キース。ミシェルを祭りに連れて行ってやりなよ」

「星祭りか?」

「そうよ。きっと、喜ぶわよ」

「……見つからなきゃ行きようもないだろう」


 全く意味を理解していないキースに「この鈍感!」と叫びたい気持ちをぐっとこらえたアニーは、アリシアに視線を戻した。


 アリシアの肩にかけられていた鞄は下ろされ、開けられたまま彼女の足元に置かれていた。

 何をしているのかと覗き込むと、彼女の手に握られた小さなガラスの瓶が目に映った。よく見ればドレッサーにも、先ほどまではなかった瓶がいくつか並んでいる。


 手の中で軽く振られた瓶には透明な液が満たされていた。おそらくそれが、アリシアの言って薬液なのだろう。

 蓋が回し開けられ、中にミシェルの髪が一本浸される。そして、すぐに蓋が閉められた。幾度か振られたその中で、赤毛は次第に溶けて液体と混ざり合った。


 無色だった液体が、キラキラと赤い輝きを放つ。


 蓋を外された小瓶がドレッサーに置かれる。それに、アリシアの手が翳されると、中の液体がこぷりと沸きあがるように泡立った。


朧朧ろうろうたる眠りし力、我が声を聴き、汝、純麗じゅんれいなるはねを得て風を捉え──」


 ほわんと光が小瓶を覆うと、中の液体が体積を増して外に溢れ出した。しかし、それはドレッサーに落ちることなく、シャボンの様に膨れ上がる。


「その翅を羽ばたかせよ」


 光の中、溢れた液体は蝶の姿となりひらりと舞い上がった。


なんじのあるべき場所へ……さぁ、お行きなさい!」


 アリシアが高らかに唱えると、赤く光る蝶は開かれた窓から外へとひらりひらりと飛んでいった。


「あれを追えばいいんだな!」

「はい!」

「仕組みはよく分かんないけど、これなら楽勝ね」

「あぁ、先に行く!」


 そう言って、窓枠に足をかけたキースは軽やかに外へ飛んだ。


「私達も追うわよ!」


 アリシアの荷物を掴み、彼女の手を引いたアニーは階段を駆け下り、外に飛び出した。

 空を見上げれば、キラキラと赤い光が風に乗って帯となっている。その先を見れば随分前をキースが駆けていた。


 一度、大きな通りに出る。そこは魔術学校に通じる道だが、蝶は学校には向かわずに袋小路へと入っていった。

 先を走るキースを追いながら、アニーは「この先って何だっけ?」とアリシアに尋ねた。


「この先は、職人通りがあります」

「職人通りなら、人通りも多いんじゃない?」

「……でも、職人通りには地下があります」

「あー、連絡通路とか搬入に使ってるやつね。それ、匂うわね」


 ミシェルがどういう形で連れ出されたかは分からないが、赤い蝶が袋小路を縫うように飛んでいくのを見ると人目を避けて移動したのだろう。

 走り通しでアリシアの息が上がってきた頃、赤い蝶は職人通りの上を何度も行き来するようになった。ついには道を見失ったのか、通りの裏手で翅を休めてしまった。


 どういうことだろうかと足を止めたアリシアは首を傾げると、ぐるりと辺りを見回した。

 職人通りからは賑やかな声が聞こえるが、裏手になるこの場所に人影はない。


「このどこかに、ミシェルがいるのは間違いないのだけど……魔力が足らなかったのかしら」

「魔法で隠されてるとかはないの?」


 ミシェルと共に探索に出た時のことを、ふとアニーは思い出した。何度か彼女と遺跡の探索に赴いたことがあったが、その時、隠された通路を探し出すのに魔法を使ったのを見たことがあったのだ。


「あり得ますね」

「魔法で隠されてるなら、魔法で見つけるのが定石でしょ?」

「試してみます」


 頷いたアリシアが辺りを探るように歩き始めると、丁度、キースが合流した。


「なぁ、職人通りのアーケードって、上がれるんじゃなかったか?」

「そうね。外付けの階段もあるんじゃない?」

「上から様子を探ろうかと思ったんだが」


 職人通りを見上げるキースに釣られ、アニーとアリシアも上を見る。

 アーチ状の屋根に覆われている職人通りの上には、両側の商店を繋ぐための通路がいくつか設置されている。幅の広い通路には低木や花が植えられたプランターなども置かれていて、店舗兼住宅である店の住人たちの交流の場にもなっている。訪れた客が使用することはほぼない上に、日中はこの一帯の住人もあまり行き来しない場所だ。


「その階段が見当たらねぇんだよ」


 キースがそう告げるのと、アリシアが建物の周辺を覆う木々を指さすのは同時だった。


光風こうふう暗風あんぷう、迷いし冥暗めいあんをあるべき処へ導き駆けよ」


 アリシアの澄んだ声が響き、その細い指が宙に文字を刻むと、ふわりと風が舞い上がった。

 スカートの裾がはためき、彼女の下ろされた前髪がふわりと持ち上がった。


「混迷する光華こうかの一片、汝、あるべき処に戻りたまえ」


 ザアァッと音を立てて職人通りの裏手を覆い隠していた木々が揺れる。そして、揺れた枝木は、糸が解れていくようにキラキラと光の欠片となった。ガラスの破片のように輝く細かなそれは、風に乗って舞い上がる。


 シャンッと音を立てて光は霧散し、視界が開けて古い石造りの階段が現れた。


 赤い蝶が、休めていた翅を再び動かした。階段を上るように、ひらりひらりと舞う。

 三人は顔を見合わせると、蝶を追って階段を駆け上がっていった。

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