舞踏会の夜に想う④
どれくらい躍り、学友と談笑をしたのだろうか。
気持ちのよい疲労感の中、講堂のすぐ横に広がる庭園に出たミシェルは空いているベンチに腰を下ろすと、ほうっと息をついた。
ダンスで火照った体を撫でる夜風が気持ちよく、こんな日もたまには良いかもと思いながら、目の前に立つキースを見上げる。
「何か、飲み物を持ってくるか?」
「……大丈夫。ドレスがきついから、そんなに飲んだり食べたりって気分じゃないし。ねぇ、それより、キース、どういうことなの?」
「ん?」
「ダンスも慣れていたし、他の学生に声をかけられた時の交わし方だって、手慣れていて」
「まるで、貴族みたい、か?」
そう言って笑ったキースは彼女の目の前にしゃがむと、おもむろにその細い足首を掴んだ。
「痛っ……」
「あー、やっぱりな」
そっと靴を脱がせると、痛々しく赤くなった足が夜風にさらされた。踵の高い慣れない靴で靴擦れを起こしたのだ。
「そっちもか? これでよく踊ったな。痛かっただろう」
「……楽しくて、気づかなかった」
「こんなに擦りむいてるのに?」
ミシェルが視線をそらして言うと、キースは可笑しそうに笑う。それに「だって」と呟いたミシェルは口を閉ざした。
──悔しいけど、キース、カッコいいんだもん。
見とれていたなんて口が裂けても言うもんか。そんなことを考えながらも、ふと彼とネヴィンの会話が脳裏を掠めた。
「ねぇ、キース。クインシーって──」
一つ思い当たる公爵家を思い浮かべながら、ミシェルが尋ねようと口を開けると、彼の人差し指がその柔らかい唇に押し当てられた。
「それさ、聞かなかったことにしてくれる?」
そう言われ、どうしたら良いのか分からずにキースを見つめたミシェルは、彼の指が離れると「分かった」と頷いた。
しかし、もやもやとしたものが胸に残り、楽しかった気持ちが冷めていくような、悲しいような、言葉に言い表せない思いに苦しくなり、小さな手でショールを握りしめた。
「ねぇ、キース」
「なに?」
「……また、一緒に冒険いける、よね?」
どうしてそんなことを聞いたのだろうか。口をついて出た疑問に疑問を抱きながら、ミシェルは吊るされたカンテラの明かりに照らされる綺麗な顔を見つめた。
「当たり前だろ。まだまだ一緒に冒険したいって話したの忘れたのか?」
「忘れてない!」
「それじゃ、まずは……その足、さっさと治せよ」
そう言うが早いか、行動に出るのが早かったか、キースはミシェルを横抱きにして抱え上げた。
「ちょっ、キース!」
「その足じゃ、歩けないでしょ?」
「で、でも……」
急な浮遊感に、思わずキースの首にしがみついたミシェルは周囲の視線を感じ、顔を真っ赤にした。
口籠っていると、少し離れたところから「ミシェル!」と名を呼ばれて顔を上げた。
ドレスの裾を持ち上げたアリシアと、パークスが近づいてきた。
「具合でも悪くなったの?」
「足、擦りむいちゃって……」
「あら、それは無理しない方がいいわね。馬車を呼びましょう」
そう言ってアリシアがパークスを振り返ると、キースはその必要はないと断りを入れた。
「月も綺麗なことだし、歩いて送りたいと思います。ロンマロリー校長の邸宅は近いですから」
「そう? 夜のお散歩だなんて素敵ね。パークスにも見習ってほしいものだわ」
「……アリシア、俺の筋肉のなさを分かって言ってるだろう」
げんなりとしたパークスは、ミシェルに「お大事に」と言うと、アリシアと共に二人を正門まで送ることにした。
歩きながら、ミシェルとアリシアは舞踏会での楽しかった気持ちを共有しながら、他愛もない会話を続け、男二人は黙ってその様子を見ていた。
そして、門の手前にたどり着くと、アリシアは視線をキースに向けた。
「ところでキースさん」
「キースでいいですよ、アリシア嬢」
「では、キース。もうその堅苦しいしゃべり方、やめてもらえるかしら? ミシェルから聞いていたあなたと別人すぎて、ずっと笑いを堪えるのが大変だったのよ」
ふふっと笑ったアリシアは、一瞬きょとんとしたキースが間を置いた後に、にっと口元を吊り上げるのを見ると、満足そうに「バンクロフトをご贔屓に」と言って二人を見送った。
ちらほらと帰り始める学生と、行きかう馬車を横目にキースは息を吐き、腕の中のミシェルに話しかけた。
「お前、バンクロフトのお嬢さんに、俺のことなんて話してたの?」
「巻き煙草とお酒と甘いものが大好きな、不良ハーフエルフ」
「うっわ、酷い言い方。こんな色男捕まえて、それってどうなの?」
傷つくなと心にないことを言いながら笑うキースを見上げたミシェルは「だって」と呟く。
「ん?」
「私の知ってるキースは、イケメンでも御伽噺の王子様でもないもん」
キースの肩口に顔をうずめてそう言ったミシェルは、彼が可笑しそうに笑いながら「違いねぇ」と言うのを聞き、微かに鼻をかすめた煙草と香水の入り混じった香りに瞳を閉じた。
月も星も、街中の街灯の輝きにも目を向けず、ただその香りを忘れないように呼吸を繰り返す。
「ミシェル?……寝ちまったか」
呼ぶ声が遠くなり、自分のとは異なる鼓動がやけに大きく聞こえた。
ぼんやりとしていく意識の中、この穏やかな夜がずっと続けばいいのにと思いながら、ミシェルは口元に満ち足りた笑みを浮かべた。
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