舞踏会の夜に想う②
舞踏会当日、夕暮れ前の自室で姿見に向き合うミシェルは顔を真っ赤に染めた。
ふんだんにフリルが重ねられた薄桃色のドレスには、細やかなバラの刺繍が施され、ひとたび裾を揺らすとまるで花弁が舞うようである。
日頃二つに分けて高く結んでいる髪も、今夜はふんわりと結い上げられ、ドレスの刺繍に合わせた薔薇の花があしらわれていた。その耳と胸元でも、愛らしい薔薇の装飾品が嫌味なく輝き、全身が見事に美しい花弁で飾り立てられている。
「なんか、恥ずかしい」
「可愛いわよ、ミシェルちゃん」
「マル先生……やっぱり、行くのやめようかな」
すでに意気消沈なミシェルは、着替えを手伝ったマルヴィナを振り返った。それだけで、コルセットできゅうきゅうに締め上げられた胃が悲鳴を上げそうになる。
アニーではないが、これではまともに食事は出来ないだろうと分かり、せっかくの美味しいデザートもお預けになると考えると、ミシェルはさらに気持ちが沈んだ。
もう一度鏡を覗き込み、無意識に胸元を見た。
大きく開いた胸元は薔薇の花を模した飾りとレースで覆われているが、少しでもずれたら小さな胸のふくらみが覗き見れそうだ。
「せめて、もうちょっと大きかったらなぁ……はぁ、お腹も苦しくて、気持ち悪くなりそうだし」
胸元を押さえ「やっぱりドレスは苦手」と小さく呟いたミシェルは何度目になるか分からないため息を盛大にこぼした。
「せっかく着たんだから、頑張って!」
ミシェルの肩にショールをかけたマルヴィナは、彼女の手を引くと部屋を出た。
いつもより踵の高い靴になれず、堪らず顔をしかめそうになったミシェルは連れられてきた応接室に入ると、驚きのあまりに赤い唇を小さく開いた。
布張りの椅子でくつろぐのは、ロンマロリーとキースだ。
だが、キースの装いはいつものと異なり、黒地に銀糸で刺繍が施された礼装だった。
静かに振り返ったキースは手にしていたカップをソーサーに戻すとふわりと微笑んで立ち上がる。その胸元を飾る白いタイにも銀糸で細かな刺繍が施されており、飾りピンはミシェルの胸元の薔薇とよく似たものだった。
──おそろいみたいで……何だか、すごく恥ずかしい。
どこかで選択を間違ったのではないか。アニーの言うとおりに逃げてれば良かったのではないか。どうしよう、どんな顔でいればいいのか分からない。
混乱の渦の中で眩暈を感じてふらついたミシェルはマルヴィナの手をぎゅっと握った。それに少しばかり驚きの表情を浮かべたマルヴィナは微笑むと、ロンマロリーに声をかける。
「お待たせしました。おじいさま、どうかしら?」
「うむ、なかなかではないか。ラウエルが見たら泣いて喜ぶぞ」
「ふふふっ、ラウエル様に後でお礼のお手紙を差し上げなくてはなりませんね」
「お、お父様には、私から手紙を書きます」
「あら、そう? でもそうね、色々と報告もあるでしょうからね」
意味深に笑ってキースを見たマルヴィナだったが、その意図が分からず、ミシェルはつぶらな瞳を瞬いた。
「不本意ではあるが、ミシェルを頼むぞ、青年」
「お任せください」
恭しく首を垂れて一礼をしたキースは、無駄のない動きでミシェルに歩み寄ると手を差し伸べた。
「参りましょう、ミシェル嬢」
重ねた手は白い手袋に隠れていて、まるで御伽噺に出てくる王子のような所作に、ミシェルは言葉を失った。
馬車に乗りこんでから、ちらりと横顔を盗み見ると、横に撫でつけられた金糸の髪がはらりと落ちた。それをそっと耳にかける仕草も、日頃のような粗っぽさは微塵もない。
視線に気づいたキースは小首を傾げて「どうしましたか?」尋ねた。
声は同じだというのに、いつもの軽い口調でないだけで、これほどまで別人のように感じてしまうものなのか。
まるで狐につままれたような面持ちでいたミシェルは、彼の口がにっと吊り上がるのを見て目を見開いた。
──あ、いつもの、キースだ。
ミシェルがほっと息をつくと、声を潜めたキースは「なんとかなるもんだろ?」と、砕けた物言いで尋ねる。そして、彼女の髪に手を伸ばしかけ、いつものように頭を撫でそうになり手を止めた。
そんなことをしたら、せっかくの髪飾りが台無しなのはさすがに分かり、行き場のない手を引っ込めたキースは苦笑を見せた。
「キース、だよね?」
「マーヴィンに見えるか?」
「見えないけど……ね、その礼服だってどうしたのよ」
「これか? 自前だけど。あー、ちょっとデザインが古いのは勘弁な」
「自前って……ねぇ、キース、あなたって──」
何者、と尋ねようとしたとき、馬車が速度を落とした。
魔術学校が近いのだと気づき、ミシェルは肩を強張らせる。
「そう緊張するなよ。デビュタントの練習だと思えばいいんじゃないの?」
「……うん」
どうしてそんなに堂々と出来るのか。社交界に詳しい様子にも疑問を抱いたミシェルだったが、それ以上に初めての舞踏会を思うと、頭が真っ白になりそうであった。何よりも、ネヴィンに会うことを考えると気が重く、いつになく言葉数が少なくなった。
小さな唇が消えそうなため息を吐くのを見て、キースはさてどうしたものかと首を捻るが、ミシェルの機嫌をとる方法は、一つしか思い浮かばなかった。
「終わったら、タルト食いに行こうな」
「うん……チーズタルトがいい」
「それなら、バンクロフトだな」
キースの予想通りにお菓子に乗ったミシェルは頷くと、まずはアリシアを探そうと思い立った。
もう後戻りは出来ないのだ。それなら、どう乗り切るかだ。
──味方は多いに越したことはない。
己を鼓舞するように「よしっ」と呟いたミシェルは唇を引き結んで顔を上げた。
俯き加減だった顔が上を向いた様子に、キースは口角を上げる。そして、止められた馬車の扉がしばらくして開くと「さぁ、行くか」とミシェルに声をかけた。
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