第28話 浮雲羊ハーパー

 我が主君テムジンが治めるキヤトの国。平原。清らかな風が流れる牧草地帯を馬が走る。奪い返したコデエアラルの地。人々は牧場を作り、私はジャージ姿で、そこに集められた羊を眺めていた。


 浮雲ヒツジが雲のようにふわふわと浮く。足をジタバタとさせ、地面スレスレをのったりと移動している。


 彼らは浮かぬ羊が居ようと、それが現世のヒツジがだろうとも共存していくのだろう。たとえ、馬が居ようと駱駝が居よう構わずに彼らは草を食み、糞を垂れ、そしてまた草を食むのだ。


 サチャベキの民がキヤトの民として生きている。


          ○


 東の空より、はためく翼。馬体が降り立ち、一層に力強い馬蹄の音色が草原に響く。


「見よ!ダイル。わが馬人バジンもとうとう馬翼バヨクへと育ったぞ」


 馬人は短命である。馬に生まれ、ヒトに成り、やがて人ならざる体に成りて、馬体から翼が生え、空を滑空する馬翼となる。そうなれば、声は届くも言葉が返ってくる事はない。


「コデエアラルはどうだ」


 馬翼を自慢気に乗りこなすテムジンの背中は、少しだけ哀愁を感じさせた。栗色の馬体から美しく羽根が生えている。かつての愛らしい馬人スズカの姿を、もう見ることはできない。ふくよかな身体を……。私は馬の顔を撫でた。


「わたしは男の子ですよ」


 そう言っているように聞こえた。昔みたいに優しく、そっと言われた気がした。私のセンチメンタルな恋心をくすぐる様に……


 珍友ボルチュの馬人も英国紳士のようであって牡馬であり美馬人であった。そして、スズカもまた、牡馬であり可憐な美馬人であった。馬人は男女の見分けがつかない。


ーー何故、馬人は男も女も、皆かわゆいのだ!


 主君が意味なさげに「おっぱい!」と言った。私は少々、苛立った。


「コデエアラルの地は平定しました。このまま主君は、その先、ジャンダランの領地まで奪い取るつもりですか?」

「奪い取る……コデエアラルはもともとキヤトの地。今回は、それを返してもらったまでのこと。ジャンダラン領は関係はない」


 主君は踵を返すようにパカラと翼を有する馬を反転させる。


「ジャンダラン領を治めるジャムカ氏が、消息を絶っていると聞きます」

「いつものことだ。アイツは俺と似て野宿を好む。深く考えるな。オマエは、もう少し自分を知るべきだ」


 呟くように言うと走り去って行った。


          ○


 己を知るとは如何に……


 牧場に浮雲ヒツジが漂っている。あるヒツジは昔から、この地に住んでた事を威張って主張するのだろう。そこに新たな羊がやって来て「向こうの山の先から来たんだぜ」なんて言う。そうすると、もの珍しさに「スゲ〜な」なんて声があがり、ワラワラと集まりだす。


「外の世界は、どんなだい」


 一匹の浮雲ヒツジが訪ねる。そこに群衆ができ始める。もし、私が羊であるならば、そんな群衆には族さないだろう。かと言って「昔はな、昔、この地はな」と、皆を引き止める古老の羊をなぐさめたりもしない。


 ……私は広い牧場を見渡した。


 ぽうんぽうんと弾む浮雲ヒツジの群れを、馬人のウララが追い立てている。薄桃色のワンピースを揺らして、先程まで遠い異国の地に思いを馳せていたであろう浮雲ヒツジ達が、小さなバジンの身体に弾かれる。ヒツジはビリヤード玉のように連鎖的に弾けた。


 ある羊は柵に当たり跳ね返る。ある羊は、他の羊たちを巻き込んで、運動エネルギーを伝播させる。そして、ある羊は、そんなことも知らぬ存ぜぬで牧場の中央、モリモリと元気な糞を垂れることに必死になっている。


「あの羊こそ、私だ!」

「バカか。オマエは人間だよ」

「なんだ、エアルか」


 ツンとした馬人。幼少期、風のように駆けると言われ付けられた雌馬も、今のなっては絵描きに目覚め、のんべんたらりんの生活でござる。


「何だとは軽薄ね。まだ拗ねてんの」

「うるさい」


 アブミ、いや、今はアチと名乗る乙女の一矢。土塊の首筋に突き刺さる光の矢には重力を無視した輝かしい鉄鍋。「何ぞ!何ぞ?」と慌てふためくサチャベキが蔓でグルグル巻きになった鉄鍋を……詳しくは27話を読みたまえ。


 私は彼女に助けられたのだった。


 我が願いに答えしは、神々しい程の爆裂だった。地面から迫り上がる石壁に守られた私は見たのだ。巨大な土塊乙女に握り潰されそうになった私を、彼女の一矢が救ってくれた。


「これぞ愛の力だ」

「ワタシの力よ」


「……聞いている。あの作戦はエアルが考えたそうだな」

「そうよ。かつて魔草花によって匈奴は火の海と化した。貴方の好きな下ネタ馬人の話を利用したわ」

「なるほど、ちんちんを利用したと」

「下ネタさいてー」


「いや、オマエが言わせたんだろ」


          ○


「それより、ワタシの貸してた本わ?」

「アレは本ではない。同人誌と言うのだ」


「どっちでも良いじゃん」

「良くない。あれはハレンチだ」


 カッコ可愛い牡馬人ぼばじんたちの組んず解れつを本だと言ってしまったら、駅前の有害図書ポストはパンパンになってしまう。


「っで、どこにやったの?」


 私は返答を拒み牧場の奥に目をやった。楽しそうにヒツジを追いかけるウララが手を振る。私も手を振りかえす。女は愛嬌なのだ。そして、男は度胸。愛嬌の素晴らしさをビシッと、この馬人に教えて差し上げねばならない。


「エアルさん。愛嬌の素晴らしさを……ぐぇ」


 胸ぐらを掴まれる。睨め付けられる。


「……で、どこにやったの?」


 エアルもウララと同じ雌馬だと言うのに愛嬌がなくてイケナイね。私は掴まれていた手を振り解き、ない襟を正す素振りを見せる。スンッと背筋に軸があるようにして、ピシャリと言い放った。


「金國の女王に献上した」


 バチン、チンと二発。私の頬には痛みが走る。近くに咲いていた野生の魔草花が、ポウンと熱を出して淡く燃えて消えた。

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