第2話 四次元的並行世界モデリング
「お兄ちゃん。起きて!」
「アヤメ、俺は起きてるぞ」
「ヨシにぃじゃない!見てわかるでしょ。ダイにぃを起こしてるの」
鬱らと霞む目、微睡みの中で懐かしい声が響いてた。フワリと身体は軽い。私は死んだのか。あぁそうだ死んだのだ。紛れもなく間違う余地すらもなく自称イケメン与一は死んだのだ。
「こらこら、死人を粗末に扱うな、我が妹よ」
「そう言ったって、兄ちゃんの修士論文を手伝うとは言ったけど武が悪すぎるよ」
「そう言うな妹よ。私が確変後の赤玉保留くらい妹に頼りに頼り切って大船でいた気概はどうする」
「知ったこっちゃないわよ。だいたい大学の修士論文を中校生の妹に手伝わせるってどういう事よ」
アヤメと呼ばれる女はブツブツと苦言を漏らしながら、目の前の透明な筒に不細工な棒を突っ込みグルグルとかき混ぜている。白地の壁に囲まれた部屋。黒く薄っぺらな長机の上に置かれた透明筒の中は夜闇を包み込んだかの様に黒い靄が渦巻いていた。兄と呼ばれる男はカタカタと音を鳴らし机の上の怪しげない箱と睨めっこをしては「うーむ」と時より唸り、座して黒い液体を啜ったりしている。箱の表面には複雑なかな混じりの文字が浮かび上がっていて、唯一読めたのは「異世界構築論文」という文字であった。
私は床に臥していた。正確に言えば私の身体が床に臥している。その私の身体をアヤメがツンツンと棒で突き、時より私の頬をぺちぺちと叩いている。そんな少し滑稽な姿を私の視点は少し離れた所から眺めていた。地べたに這い蹲るようにしつ見上げていた。あともう少しで少女のパンツが覗ける、そんな頃合いだった。
○
流川彩芽は途方に暮れていた。長兄が異世界構築論文を研究課題にしたまでは未来があったと推察する。ベイズ統計学を熟知した兄貴なら、壱と零の空間から世界を構築するのは容易い。モデリングまでは難なく仕上げ、私ながら圧巻し兄を見直すまでとはいかずともキモいとは思わなくなるかもと思ったのは甘かったのかもしれない。雑多、床に転がる色彩を失ったひび割れた真空管を横目に溜息が溢れた。実験は前進も後退もせずに時間だけが失われていた。そして、見直す事はなくキモいものはキモいという私なりの結果が出た。
「モデリングは完璧なんでしょ」
「たぶん」
「じゃあ、なんでこうなるの?」
「核がないからしゃーない」
核とは魂である。マクドゥーガル医師の伝えたこの21グラムの魂が世界に波及するかに異世界モデリングの未来は託される。要は生ける英雄が必要なのだ。伝説ではなくNPCのような作られたではなくが重要である。私達兄妹は転生素材となる輝かしい魂を求めていた。そして、何の因縁か私が中学入学と同時に消失した二つ歳上の次兄と瓜二つの人物が目の前にいる。それも転生材料としてだ。
長兄はこの現実を目の当たりにして本腰を入れたようである。実際は昨日卒論担当教授が来て「次は後がない、ダメなら留年ね」と言ったのが大きな原因かもしれない。長兄も「俺は脅しには屈しない。留年してでも実験を成功させてやる!」と言っていたが、教授が帰るや否や「緊張」と蚊の鳴くような声を漏らしトイレに駆け込んでいったのを思い出す。
長兄は確率論だけに置いて優れている。これは幼少期の馬鹿父の教えが生きていることは否めないが、一家離散した挙句、私がこうして兄を手伝う事になった原因も少なからず父にあるのであまり褒めたことでは無い。にしても瓜二つな兄弟である。気持ちが悪い。反吐が出る。
不思議そうにPCから顔を覗かせる長兄、馬と共に横で項垂れる次兄。馬面鹿面おバカ面を垂れ流し、現役浪人の様に覇気がない。それでいて「俺ってもしかしてカッコいいんじゃない」「能ある鷹は爪を隠す。俺はまだ本気出してないだけ」などという救いようのない阿保であるから堪らなく蹴りたい背中であることは否めない。あえてもう一度言う。キモい者はキモい。
「バカ兄、これはどういうこと」
「多重世界から魂のサルベージを行った。そしたら偶々大輔が釣れたわけだ。まさか前世が那須与一とは人は見た目にも中身にもよらないものだな」
では人とは何なんだ。
「じゃあ、この馬と馬……のような女の子は」
「この魂もまた新たな世界を想像する逸材なのだよ」
世界に息吹きを入れる。長兄の語る魂の補完である。癪ではあるがこの言葉がピッタンコなことにはカンカン然り、こんな言葉を耳にすれば次兄は必ずや意味不明にも関わらず胸を熱くさせ、鼻穴を大きく膨らませハシャギ出すであろう。それに応じ長兄は「クケケ」と不敵な笑みを浮かべること間違いなく、光、闇、邪、魂、そんな言葉に胸躍らせるのが兄達に根深く潜む病気であり阿保の骨頂である。
○
まず、馬耳の可愛らしい馬風女子。その魂を真空管へと放つ。長兄がモデリングしたパラレルワールドには存在し得ない綺麗な女性であった。馬は普通の馬であった。次兄もまた普通……いや、普通以下の兄だった。
私は地べたに這い蹲るように蠢くダイ兄の魂を網で掬う。ジタバタする青の炎に足蹴りしつつ動きが鈍った瞬間に真空管に押し込んだ。掬い取った魂、汚れ多き蒼き混濁の魂、それでも偽りなきダイ兄の魂である。
次兄は救いようもない阿保だが、私にとっては掛替えの無い兄であり、救いたい阿保でもある。
ここに私達の願いを次兄に託す。そして、願わくば次兄に祝福を。
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