四次元的異界モデリング

プロローグ 〜真人と馬人〜

第1話 代理代理責任転嫁合戦

 元暦2年、イエスを神とさすれば1185年である。ちらちらと小雪が舞い散りそうな寒風厳しい曇天であった。我が主君、源義経は四国屋島に陣をしいていた平氏を背後から攻めたて、慌てた平氏はわらわらと船で海に逃れる。そして追い詰めたる源氏と追われたる平氏は荒波を挟み、互いに対峙する形となった。北風が吹き荒れ、岸にはドドゥと高波が打ち付けている。


 二刻三刻と時は過ぎるも互いに動きはない。時と共に鼠色の雲が散り散りに流れ、その隙間から光が差し込む。陽が傾き出した刻であった。沖から立派に飾った一艘の小舟が近づくのが見て取れた。乗るは栗毛色の髪を垂らした乙女。目が飛び出すかの如く私は凝視した。遠くの海上でも分かるほど見目は麗しく、美しく着飾った乙女は日の丸を描いた扇を竿の先端につけて立つ。後から知るに、この乙女こそ千本アブミであったのであろう。この後死する私には確かめようのない事実である。「この扇を弓で射落としてみよ」という相手敵平氏からの挑戦と受け取り、我が主君義経が「俺は無理」と一言。代理に継ぐ代理を立てる為の話は一端の兵まで轟いた。


          ○


 義経は弓の名手那須家長男、光隆を呼び寄せた。年は十以上も離れているが私の兄にあたる。


「あの扇を射て」

「無理に御座います」


 長兄は極度の緊張に弱かった。腹を押さえた長兄はスタコラと廁へ退散した。那須家の偉業は鍛錬のみで伝えられている。練習では十二分に発揮されるその実力も、人の目が入る大舞台となれば突発性腹下し症候群を患い「廁は何処ぞ、廁は何処ぞ」と魑魅魍魎のように彷徨い蠢く。そして、その力は一子相伝に伝えられ、殿の一声に那須家一同が腹を下し、廁が列を成したというのは後世語られる事なき真実である。


          ○


 そこで、唯一立っていたのは私であった。私こそ那須与一質隆である。遠く未来にて弓の名手とは与一と名高く名を刻んだ有名武人の一人である。家来からは「美形ですねぇ」と言われたことがあるようなないような。鼻筋は高く脚はすらりと長い。勿論いち個人の意見ではあるが……読者御一等はそのように想像して頂いて構わない。


 私は初めこそ辞退した。そりゃそうだ。「外したらマジ容赦しないから」と権力を押しつけてくるのだ。


「じゃあ、辞退します」と理知的な私。

「あっ、めんご、めんご。今の冗談」軽い義経

「でも、嫌です。皆の前で恥をかく」

「でも、当てたら英雄だよ」

「あぁそうゆーの、いりませんので」


 押し問答が二刻ほど続いた。「他の者でも名手はいるでしょ」と問いただす。義経がギロリと辺りを見渡すと側近達もまた廁へ急いだ。廁に列をなす偉丈夫達を夕凪に弱まる風が優しく靡く。


「分かった。もし射抜いたら船上の娘をオマエにやろう」

「致し方なし。那須家の名誉の為にも、この与一が一肌二肌も、何なら全裸で」

「いや、服は着ろ。着たのち粛清しろ」

 気づけばあの時、義経は私に大切な事を教えようとしていたのかもしれない。


          ○


 私は英雄となるべく意を決した。このとき与一は弱冠十五歳、油の乗ったナイスガイであったと後世に語り継がれるであろう。

 時は夕刻を少し過ぎ、海の水はちべたい。馬に跨り万全で望んだ大一番、唯一の欠点は私が乗る馬が駄馬であった事だ。義経から譲り受けたる愛馬、邪王号バルキトと呼ばれる馬(義経だけがそう呼んでいた)は言わずと知れた駄馬であった事に今となってようやく気づく。因みに刄流鬼斗と書いてバルキトと呼ぶのだそうだ。全くどうでもいいことだ。


「すまんな」と腹を抑えて一つ上の兄、為隆が労う。「お兄ちゃん、その馬で大丈夫?」と不安に駆られた妹を私は強く抱きしめようとしてハラリとかわされた。十一男という不遇の誕生を迎えた自分に、兄弟兄妹なんてものは体裁でしかなかった。兄弟仲良く幸せになるには八男くらいが限度である。それでも、歳で六つ上の兄の為隆と二つ下の妹とは、愛情を育んで今に至る。私は「任せんしゃい」と一言、堂々とバルキトと共に荒波を闊歩した。


          ○


 バルキトと共に荒波に立つ。私には勝算があった。下人を呼び「この馬に糸を巻きつけ的まで泳ぎ弓の上に糸を結べ」と指示を出す。扇から張られた糸と私が右手に持つ鏑矢に仕込んだ輪っかに糸を通す。するとあら不思議、矢は糸を辿りスイスイと的を目掛けて走る算段となる。「あら卑怯ね」と罵るなかれ、種明かしをした魔術ほど呆気ないものはない。しかし、その発想こそが賢者の行き着く叡智であり、糸を伝う矢の如くスルスルと明るい未来を手繰り寄せるのだ。願わくば栗毛の乙女とチュッチュムラムラである。


「冷たいのは嫌だよぅ」と弱音を吐く下人を桃色書物で誘惑し奮い立たせた。それでも、呪術師が相対する小鬼のような面妖をした私が唯一信頼する下人は「嫌よ、イヤイヤ」としぶりに渋る、その仕草すら奇怪なり。「ならば!」と私は秘蔵の馬人絵巻を追加した。馬人とは海より外、隋より遥か先の国に存在すると伝う馬耳のような耳をピョコりんと出した可愛らしい乙女である。馬人絵巻はその可憐な馬耳乙女達を描いたストーリー仕立ての桃色青春群像書物である。未来で言う萌えに近しい。


          ○


 さて悩ましきは駄馬である。駄馬たる所以は確たるや。落ち着きがない、万年鼻垂れ、そして穴ぼこである。バルキトの茶けた肌と漆黒の立髪のルックスは抜群に良く、何かとカッコつけたがる男児に非常に愛されてはいるが、やはり駄馬である。この愛される駄馬達は繁殖力は異常に強いくせして生存率はめっぽう低い。その理由は、まさに穴ぼこである。自ら穴を掘ることを生きがいとするのか、駄馬は気付けば自らも抜け出せぬほど掘り進み埋もれてはやがて死ぬ。まさに墓穴ぼけつを掘るとはこの事。そして、今まさに潮騒と共に、馬の背丈がズンズンと低く下がっていく。「時が惜しい」弓を力強く握った。


          ○


 沖には平氏が一面に船を並べ、陸では源氏が轡を並べて見守っていた。目の先。遠く浮かぶ舟は揺り上げられ揺り戻されては、扇は少しも静止などしてくれはせず。にも関わらず馬はせっせと穴ぼこを掘り進め具足に水が染みてちべたい。廁の行列は未だ収まる気配はなく「なんだ、なんだ」と意味も無く並ぶものが現れる始末である。


 私は目を閉じて「南無八幡大菩薩、とりわけわが国の神々、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真ん中を射させてくれ給え。いやそれより栗毛乙女とのチュッチュムラムラな毎日を送らせた給え」と念じて目を見開いてみると、風はいくぶん弱まり的の扇も射やすくなっているではないか。船の先端から妖怪変化の小鬼のような手が伸びた。


 鏑矢を取ってつがえては十分に引き絞ってひょうと放った。矢は十二束三伏で弓は強い。鏑矢は、浦一体に鳴り響くほどに長いうなりをたてながら正確に扇の要から一寸ほど離れたところを射切った。鏑矢はそのまま飛んで勢いで糸が切れ海に落ち、扇は空に舞い上がったのち風に一もみ二もみもまれ、サッと海に散り落ちた。紅色の扇は夕日のように輝いて白波の上に漂い浮き沈みする。沖の平氏も陸の源氏も、これには等しく感動したところで、私と馬は糸で結ばれながら共に埋没した。「何故、馬だけを結ばなかった」下人を叱る余生もなし、無念、私のチュッチュムラムラな人生は梅雨と消えた。

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