60分間の朝

緑のキツネ

第1話 60分間の朝

「おはよう」

その言葉で僕は振り返る。

木は海老色のように静かに輝いていた。

太陽はまだ少ししか登っていない。

空はまだ薄暗い。

そんな中、彼女の笑顔が輝いて見えた。

久しぶりに聞くことが出来た。

彼女が眠ってから何日が経ったのか。

数えてもなかった。

ただ彼女に会うために通い続けた。

僕は彼女の話を楽しみにしていた。

アイスクリームの話も東京の話。

雑学混じりの話を聞くだけなのに。

何でこんなにも楽しみに思っているのか。

多分、僕は彼女の事が好きなんだろう。

心の中ではずっと否定してきた。

でも、不思議なことに否定すればするほど、

彼女の事を好きなってしまう。

君と初めて出会ったあの日から、

僕の人生は大きく変わったのかもしれない。

君がいなかったら僕は

平凡な毎日を送ってたかもしれない。

君がいなかったら生きることを諦めて

自殺していたかもしれないら。

それぐらい僕は学校が嫌だった。

でも、今では君に会うことだけが

生きがいだ。

本当に君には感謝している。

君と最初に出会ったのはまだ蝉が鳴いている

残暑が厳しい秋の日だった。




長い夏休みが終わってしまった。

つい最近、夏休みが始まったのに。

これからまた憂鬱な1週間が

始まると考えると、休みたくなる。

そんな事を思いながら、友達と話していた。

友だちの話によると、

「今日から転校生が来るらしい」という噂が

学校中に広まっているらしい。

それが本当か嘘かも分からない。

ただ、僕には興味のない事だった。

僕は昔から友達が少ないし、

恋もした事がない。

そもそも僕には恋をする事が

分からなかった。

恋とは何なのか。いつ自覚するのか。

地獄の始業式が終わり、

ホームルームが始まった。

先生が勉強しろと散々言ってくる。

高校生になって何回聞いたか。

僕は先生の話を頭に軽く流しながら、

空を見ていた。

今日は雲ひとつない快晴だった。

その時、ガラガラとドアの音がした。

振り向くとそこには1人の女子高生がいた。

この人が噂の転校生なのか。

とても美人で高嶺の花のように感じた。

先生から自己紹介するように言われた彼女は

「初めまして。私は佐野由梨です。

1時間だけですが、よろしくお願いします」

その時、時が止まったような感じがした。

先生が何か話していたが、

何も聞こえなかった。

心臓の鼓動が目に見えた。

この感覚は何なのか。

ふと、我に帰るとそこには彼女がいた。

僕の隣の席はずっと空いていた。

前に誰がいたかは知らない。

そこだけ1人なので席替えではハズレ席

と言われている。

でも、今日のこの瞬間、

それは当たり席へとなった気がした。

「よろしくね」

目があった時、僕の顔が熱くなった。

返事がしばらくできなかった。

この感情は何なのか。

怒りでも悲しみでもない。

そうだ。これは恋なのかもしれない。

そう思った。目を逸らしながら

「よろしく」

と言ったが、その声は届いていたのか。

少し不安になっていた。

ガタン

不吉な音がした。

隣を見ると、彼女が倒れていた。

突然のことすぎて頭が回らなかった。

保健室に急いで向かったが、

彼女の姿は無かった。

気になって、

僕は先生に話を聞いた。

「佐野さんは大丈夫なんですか?」

すると、先生は呆れて僕に向かって

「佐野さんは1時間しか起きることができない

病気を持っていて、

学校にも行けなかったから

思い出づくりとして1時間だけ転校してきた。

少しだけ時間が延びる薬を飲んでいたけど

効き目が無くてもう病院に戻ったよ」

僕は静かに職員室を後にした。

彼女に会いたい。もっと話したい。

土曜日になり、僕は病院に向かった。

どこの病院かわからなかったので、

近くの大きな病院を全て回ることにした。

そして、ついに彼女がいる病院を見つけた。

それは県で一番の大きな病院だった。

病室に向かうと、彼女は寝込んでいた。

看護師に詳しい事を聞くと、

彼女は朝の7時から8時までしか

起きることが出来ない病気らしい。

次の日、

僕は毎朝6時に起きて病院に向かった。

病室に入ると彼女は起きていた。

「初めまして。僕の名前は……」

名前を言おうとしたときした時、

彼女が被せてきた。

「あの時の少年か。よろしくね。

それより、私話したいことが沢山あるの。

それを毎日聞いてほしいなー」

何を言ってるんだ?

急に起きて話を聞けなんて。

話したいことってなんなんだろう?

疑問だらけだったがひとまず

聞くことにした。

「分かった」

「アイスクリームって美味しいよね?」

「う…うん」

「北海道に行ったらもっと美味しいのが

食べれるのかな」

いざ聞いてみると本当に

どうでも良い話だった。

「行ってみたいな。北海道に」

「退院したら一緒に行こう」

勝手に口から溢れていた。

「ありがとう」

彼女は笑ってくれた。

それから毎日彼女の話を聞いた。

例えば、オリンピックの話や学校の話、

野球の話などどれもしょうもない話

ばっかりだった。

それでも、彼女はとても嬉しそうだった。

それから1年が経ったある日、

看護師が僕の近くにやってきた。

「彼女の余命はあと1週間です」

それを聞いた瞬間、僕は絶望した。

急いで彼女の元に向かったが、

彼女は笑っていた。

「何かやりたい事はないの?」

「今からやってもどうせ遅いし。

外には出れないし。

だから私はずっと君とここで話したい」

僕は涙を拭って彼女と話した。

「今日は……」

彼女はノートを取り出した。

「そのノートは何なの?」

「秘密だよ」


次の日、彼女は時間になっても目を覚さなかった。

それから毎日、僕は彼女の元に向かった。





木は海老色のように染まり、

太陽が街を照らし始めた薄暗い朝。

「おはよう」

この言葉が僕の脳裏に響き渡る。

今僕はここで彼女の声を

ひさしぶりに聴いた。

振り返ると彼女が座っていた。

僕の目には涙が出ていた。

また会えたことの喜び。

これからも一緒にいられる喜び。

彼女のことが好きだから。

そんな思いが全て

この4文字に込められていた。

僕はその涙を拭って

「おはよう」と元気よく言った。

この60分間は僕にとって最高の朝になった。


次の日、病室に行くと彼女はいなかった。

彼女の机の上には一冊のノートがあった。

そのノートには「話したい事リスト」

と書かれていた。

そのノートを手に取り、

1ページめくってみると、

そこには沢山の言葉が消されていた。

しかし、半分から先は

まだ消されていなかった。

きっとまだ話し足りなかったのだろう。

もっと話したかった。

もっと一緒にいたかった。

そう、悔やんでも仕方ない。

僕が君の倍生きてみせる。

君のノートを胸ポケットに入れて、

「おはよう、また明日ね」

誰もいない病室に響き渡った。

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60分間の朝 緑のキツネ @midori-myfriend

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