不穏不審少女 05
「報告書の作成は、優先致しますか?」
エスク・ユヴェルヴァールとステル・テイオンが立ち並ぶ。二人はいつもより少し困った表情だ。
指揮官の執務室。三人の他には誰も居ない。刻と共に朝日が昇り、窓から眩しい程の光が差し込むとエスクは斜幕を引いた。
光が遮られ、室内は薄い闇に包まれる。
「…そうだな」
団長であるヴァルヴォアールは、珍しく疲弊を顕わにしていた。嘗ては戦場で連戦した日々でも、隙も疲労も部下に見せる事は無かったのだ。珍しいそれに、エスクとステルは顔を見合わせる。
「優先順位は特に構わない。二人に任せる。最秘匿扱いで。それに伴い、ミギノの監視と行動制限を行え」
「〔数字持ち〕に関しては」
「行動制限を誓約≪グランデルーサ≫で取っている。施設内での監視は不要だ」
団長の言葉に、ステルは眉間に軽く皺を寄せたが何も言わなかった。
「ミギノの聴取、尋問に関しては全て私が行う。これに関しては、私が誓約≪グランデルーサ≫をかけられている」
それに部下の二人は息を詰めたが、短い了承の言葉を残し執務室を後にする。扉が閉まると、フロウは溜息をはいた。ただでさえ忙しい時期に、突然現れた問題の対応を考えなくてはならない。
今回驚くべき事は、不審者のミギノだけではなかった。敵対派閥大聖堂院に所属する玉狩りのエルヴィーが、天教院派閥の軍の〔誓約〕を受け入れたことだ。
〔誓約〕は天に縛られる絶対の拘束。
派閥が違う者では、絶対に避けるべきものである。今回は基地内という狭い範囲の誓約だが、大聖堂院の魔法士が、これを受けるとは思っていなかった。いくらフロウとエルヴィーが私的に娼館仲間とはいっても、それはあくまで表面上の話しなのだ。
〔数字持ち〕の人形と、騎士団は懇意になりようがない。
帝都での遭遇も滅多にない。フロウのように、数字持ちと積極的に関わり合う者はそもそも少ないのだ。騎士団と大聖堂院は常に対立関係にあり、ステルのように嫌悪をぶつける者はまだましな方だった。
大抵は居ない者として存在を否定する。
感情を表に出さない〔数字持ち〕は不気味だからだ。大聖堂院に組する魔戦士と魔法士の玉狩りは〔数字〕を持ち、聖導士にどんな訓練を受けたのか、一様に人形のように表情も感情も消されたと言われている。攻撃魔法を多用し戦闘をするので、脳神経細胞に負担がかかるのだろうというのが一般の見解だ。
その彼らが唯一心を開く者は、聖導士のエミーだけらしい。
(それが今回エルヴィーは、自分に不利になる誓約≪グランデルーサ≫を受け入れた。ミギノという少女のためだけに。一体、どういうつもりか)
シオル商会の痕跡探しに、第四師団への引き継ぎ、そしてこの時期に自分達がグルディ・オーサ西方最前線へ派兵された理由。様々な問題が山積している中、椅子に頭部を預けて碧い瞳を閉じた。
(どういうつもりか分からないのは、私も同じだな)
いくら隊を預かる指揮官とはいえ、不穏人物の対応に〔誓約〕は行き過ぎた行為だ。
今回、基地内滞在許可をかけて、誓約の話しを持ち出したのはエルヴィーだったのだ。ミギノへの暴行尋問、非人道的な扱いを拒否する〔誓約〕の対価としてエルヴィーは滞在中、フロウの指揮下に入ると言った。落人狩りの最中でさえ、今まで共闘はあれど騎士団の指揮下に入ることは無く、独自で戦闘を行う玉狩りが。
元より間者認定されていないミギノへ、無意味な暴行尋問などするつもりはなかったのだが、エルヴィーは強く〔誓約〕を持ちかけてきたのだ。
そして懸念通りに、ミギノは第一級危険生物を隠し持っていた。
(この忙しい時期に…)
フロウは自身の矛盾には蓋をして、ため息と共に目の前の大量の書類に手を伸ばした。
***
ーーーグルディ・オーサ基地内東棟、一階一号室。
他の部屋を倍にした大きさの、元第五師団幹部の私室。その場所は今、第十師団長メアー・オーラの医務室となっている。
「何か病を持っているのですか?」
昨日まで元気だった不審者の少年は、翌日起き上がれなくなった。
「典型的な、ただの筋肉痛だ」
「は?」
開いた口が塞がらない。エスクは、かつて今まで筋肉痛で起き上がれないほどの軟弱者に、出会った事がなかったからだ。
「筋肉痛って、なんでしたっけ? 重度とか、軽度ってありましたっけ?」
「筋肉痛は筋肉痛だ。あいつの場合、極度の運動不足が原因と考えられる」
「……運動不足?」
隣の部屋に並べられた寝台には、寝込むミギノに何やら話しかけている玉狩りが居る。診療内容などを含めた少年の報告書の制作にあたり、一通り医師団長に尋ねているエスクだが、メアーが不意に真面目な顔で振り返った。
「だけどあのガキ、厠の使い方もわかんねえみたいだぞ。今まで、結構他の種族見たけど、初めてだな」
二度目の「は?」は目を眇める事になった。エスクだってそんな者に出会った事は無い。捕虜や劣悪な環境で育った囚人でさえ、厠の使い方くらいは知っているものだ。
「それは……北方の民族だからですか? 南の獣人圏なら、彼らだって厠は大体同じです」
獣人ならば、始末に紙を使用するかしないかは種族によるが、大体親から公共厠の教育を受ける。北方は詳しくはないが、それでも問題なく同じだろうと奴隷被害者を見ていて判断していた。
そこでエスクはあることに気がつく。
「身分が高すぎて、不浄に関わらなかった…などは?」
「
首を横に振るメアーは幼少期に北方へ行く機会があり、その辺は人より詳しいのだ。しかし納得のいかない表情のエスクは更に首を傾げた。
「では、どういう事ですか?」
「全部わからんのじゃなく、クモ紙がよくわからない的な事だったな」
「クモ紙…」
そのままでは薄い板のような硬さだが、揉みほぐせば柔らかくなり、最終的には木くずになって汚物の消臭し分解して土になる。子供から老人まで知っているかなり馴染みのある紙だ。それこそ何百年も前から人々は使用している。
「…の使い方が分からない事が、よく分かりません」
「俺もだよ。このままじゃ、蒸浴室の使い方もわかんないかもな」
メアーから笑いながら返事が返った。この強面の師団長は、ここ最近よく笑っている。まるで新しい実験動物を手に入れて、企み喜ぶ子供の瞳でミギノを捉えていた。
「所持品に関しては?」
「人形が、ガキが寝ている間に持ち出して、俺も中を検めた。ああ、そっちの大将も一緒だったから、奴に聞けば…」
「いえ、今お願いします」
大将とはもちろんエスクの上官フロウのことである。出来るだけ、上官を煩わせ借りを作りたくない。神妙なエスクの頷きに促され、メアーは片方の眉毛を上げた。
「ミギノの背負っていた鞄の中身は、財布、化粧品、首巻き、おそらく手拭き布、それに例の板だ」
サラサラと、手帳に書き取っていたエスクはある物で筆を止める。
「化粧品?」
「そうだ。成分を調べたが毒物の混入は無い。簡易的な物だ。墨、紅、白粉…あとは、頬紅か?」
(いや、そうではない)
それは通常少年の持ち物では無い。エスクは、用紙を捲って確認するメアーに、再度強めに尋ねた。
「奴から聞いてなかったのか? ミギノは女児だ。事情があるんだと初めは黙ってたんだが、今更だから昨日奴らには言ったんだが」
普通の奴隷被害者ならば第十医療師団管理になるので、メアーは必要の無い被害者の個人的な事情を自分で止めている。今回、ミギノはルルを出してしまったので、普通の被害者ではなくなった。
「少女…?」
「気をつけろよ」
にやりと笑った師団長に、エスクは自分の上官の最近のよくない噂話を思い出し、同じようににやりと微笑み返した。
**
少女ミギノは三日間動けなかった。
その間、基地内を彷徨く玉狩りが不穏で陰気な空気を放ち、基地内は殺伐としていた。
(いくら誓約≪グランデルーサ≫に縛られているとはいえ、大丈夫なのか、あれ)
エスクは館内から出て、本来の玉狩りという職種から戻って来たエルヴィーを渡り廊下で見かけた。魔法士である玉狩りといえば飄々としていて、無表情か心無い笑顔を浮かべる事が通常だ。帝都での遭遇率は少ないし、天帰祭期間の落人狩りでさえ単独行動をするので、同じ隊舎に居ることはめったに無い。
(本来は同じ帝国の兵士だし、落人狩りで基地を共にすることは自然だし、普通の事なのだが…)
基地内に居るエルヴィーは、ある意味不気味な人形のようではなかった。
ミギノと現れた食堂では、これが玉狩りかと言うほど穏やかだったのに、彼女が居ない今、眉間に皺こそ無いが不機嫌は明白で一般兵士は彼を避けて離れて歩く。
今までの、薄気味悪い人形をただ忌避するのではなく、恐怖により触れないように身を隠すように。
通常職務のエルヴィーは森でルルを狩り落人を探しているので、ミギノの様子を見に来る以外は基地に居ない。メアー師団長によると食事も外で取っているようで、夜は娼館で過ごしているのだとエスクは聞いていた。
そのエルヴィーは、寝たきりの少女にはとても優しいらしい。人形を避ける兵士達には信じられないだろうが。
(頼むから…部隊内での刃傷沙汰は止めてくれ)
不機嫌な玉狩りを見送り、エスクはフロウの元へと報告に向かった。危険生物ルルの活動内容と、ミギノが動けるようになった事を知らせるために。
***
ーーー第十師団、医務室一号番。
「よく来たな」
エルヴィーが扉を潜ると、寝台に腰掛けていたミギノが笑って振り向いた。
「ミギノ! 起きれるようになったんだ!」
堪らずに抱きつくと、ミギノは「まってまって」とエルヴィーの肩を押す。そして「蒸浴、蒸浴」と、顔を赤くして自分の細い腕をくんくん嗅いだ。
「蒸浴?」
意味がわからずミギノに拒絶されて落ち込むエルヴィーに、後ろから一部始終を見ていたメアーから笑い声がする。
「女心を察してやれよ」
言われたエルヴィーはまだ不満そうだが、メアーと浴場へ行くミギノを大人しく見送った。薬臭い医務室で独りになったエルヴィーは、ぐいぐいと突き放された肩に触れミギノの行動を反芻する。
(蒸浴? 匂い。ミギノ、女の子だったんだよね。そうだ、女の子って匂いで騒ぐよね。汗臭いとか? そうか…あの子、僕に匂いを嗅がれたくなかったんだ。照れたんだ。…え?)
その感情が甦り、体がぞわりと奮えたエルヴィーは、自分が照れたように頬を赤くして両腕をさする。
(ムズムズ、する。なにこれ、何だっけ?)
娼館の女性達は、金を払うエルヴィーに積極的に抱きついて来る。感情の伴わない笑顔の抱擁。女性が照れて、自分が異性で恥ずかしいと拒絶する姿は、とても久しぶりの気がした。
ミギノが起き上がれなくなった三日間は、エルヴィーは今まで感じた事の無い不安に侵され続けていた。
筋肉痛とメアーは言ったが、エルヴィーには全く想像が出来ない。しばらく使用しない筋肉が重たく感じる事はあるが、刻印傷以外での痛みの内容を経験したことが無いからだ。
(このまま、あの子が起き上がれなくなったら、どうしよう)
メアーにはミギノに話が通る為いつも通り仕事と流したが、実際はミギノに会いに行く以外ほとんど娼館にいた。込み上げる不安から逃げるように。
〔数字持ち〕の中、エミーに嫌われた魔法士の玉狩りは、エミーから愛情を貰えない。その空虚感が大きくのし掛かり、自分の存在がひどく曖昧になる。それを紛らわすように、いつもは他の事で補っているのだ。眠るか、性的発散をするか、食物を食べ続けるか。
だがエルヴィーはミギノを森で見つけた瞬間、何かを思い出し引き付けられてしまった。これは大きな問題で、エミーだけ愛していた自分が、何故ミギノが気になるのか理由を突き止めなければならないのだ。
森の中、ぼろぼろのミギノは全身落人の要素があり、このまま帝都に連れ帰れば大聖堂院預かりになってしまうと分かった。だけどミギノは、落人のように狂ってはいない。知性もある。話し掛ければ聞き慣れない言葉を話す小さなミギノ。エルヴィーは、とりあえず大聖堂院の手が出しにくい基地を選んで連れて来た。
エミーの対立派閥の騎士団。
しかも運良く、このトライドの森の近く、グルディ・オーサ基地には騎士団が駐在していた。他の玉狩りにミギノを見つけられる前に、エルヴィーは急ぎ基地に向かったのだ。そこには顔見知りがいて、今に至る。
(この気持ちが何なのか、分かんなくてごちゃごちゃはまだ残るけど…ミギノが起きて、よかった…本当に…)
娼館では、ずっとミギノの事を考えていた。エルヴィーはミギノが自分に似ているのだと何故か初めは思ったが、よく見れば、全然似ている箇所なんて無い。
自分の本職、エミーに命じられたルル狩りの、そのルルを隠し持っていた事。更にそれを飼っていることには驚いた。ミギノと出会ってたった三日なのに、今までの三年間よりも、エルヴィーが感じた事の無い感情を沢山与えてくれる。
(フフ、あのルルに、まさか餌を与えるとかね)
ルルはとても危険なのだ。しかしミギノが離さないし、何よりルルがしつこく離れない。
(感情も知能も無い、魔素≪アルケウス≫が内在した、ただの粘菌の類かと思っていたのに)
ルルは死体に取り憑いて悪さをする、たちの悪い魔物だ。手袋の魔法呪符で痺れさせないと、逆に自分が痺れるので素手で触ってはいけない。そして本体を袋一杯捕まえたら、大聖堂院へ速やかに納入する。
ルルが触れた人間は、落人化するので始末する。
それがエミーの至上命令だった。
(とりあえず、ミギノは落人化していないし、死体じゃないから、取り憑かれる心配は大丈夫だよね。結局、僕はエミーとの約束を破っちゃった。これが僕がエミーに嫌われた理由なのかもね)
「……まあ、いいや」
うふふ、とエルヴィーは笑うと、手を抜いていた仕事を思い出して袋を担いだ。
(近くにロウロウが居るかも。昨日隣の娼館に居たしね)
袋の中のルルを、同僚の玉狩りに渡してしまおう。そして身軽になって、ミギノと今後の話しをしよう。
エルヴィーは足どり軽く、基地を出た。
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