第109話 お菓子をくれなきゃ…… 後編

「落ち着いた? アリスちゃん」


「う、うん……」


 水を飲んだアリスちゃんは、チラチラ見つつ、躊躇いがちにうなづいた。



「ごめんね、いきなり倒れちゃって」


「うぅん、私のほうこそ、驚かせちゃってごめん。こんなふうになってると思わなくて……」


 言いながら、軽く頬を触る。



 緑川が私にしたのは、リアルすぎるゾンビメイクだった。


 アリスちゃんを怯えさせちゃうくらいに。


 ここに来るまでにも、なんか視線を感じるような気がしたんだよね。気のせいだと思ってたけど……メイクが原因だったんだ。



「大丈夫だよ! さっきはビックリしちゃったけど、お姉ちゃんだって思えばどんなメイクでもかわいいからっ!」


「じゃあ、ちゃんとこっち見てよ」


「うっ」


 私から微妙に目を逸らしていたアリスちゃんが、気まずそうな顔になった。



「もうっ、メイク落としてくる」


「あ、待って待って! もう怖がらないから!」


「ならこっち見てよっ!?」


 ……そんな感じで、私たちのハロウィンデートは波乱から始まった。




 一時はどうなることかと思ったけど、アリスちゃんは私のゾンビメイクにすぐに慣れてくれたみたいだった。


 そんなアリスちゃんの衣装は、広いつばのついた大きな黒い帽子。フリルのついた黒のミニワンピースに、黒のニーソックスを穿いて、マントまで羽織っている。


 どうやら〝魔法使い〟の仮装らしい。らしいんだけど……



「どうしたの? お姉ちゃん」


「う、うぅん、なんでもないっ」


 慌ててアリスちゃんから視線を逸らす。ついつい、釘付けになってしまった。


 いつもと変わらず、アリスちゃんはとってもキレイだ。


 でも、それだけじゃなくて、黒のワンピースは肩や胸元が露出しているから、視線が吸い寄せられてしまう。


 考えている間にも視線は戻ってしまいそうになり、私は誤魔化しも兼ねて言う。



「人多いなーと思って。はぐれないようにしようね」


 ハロウィンということもあって、周りは仮装している人たちでいっぱいだった。


 私たちは、人ごみの間を縫うようにして歩く。


 アリスちゃんは「うん」と頷いて、


「じゃあ……はい」


 指を絡ませて、手を繋いできた。



 不意を突かれたので、ドキッとしてしまった。私はそれを顔に出してしまったらしい。


「お姉ちゃん、照れてるの?」


 返答に窮している間に、アリスちゃんは「かわいい~」なんて言いながら、腕を絡めてきた。


 私の視線は、またアリスちゃんの露出した肩や胸元に吸い寄せられて……


 いやいや、だからダメだってばっ!



 私は煩悩を振り払って、アリスちゃんに「ちょっと休憩しよう」って提案した。


 ……や、変な意味じゃなくって。バイト先の『ルエ・パウゼ』で食事しようって予定だから。


 そんなわけで、私たちはお店へ。



「いらっしゃいませ~……って、ぅぎゃあああああああああああああああっ!?」


「え、えぇっ!? な、なになに!?」


 営業スマイルで私を出迎えた井上の顔が、一瞬で驚愕の色に染まる。そのあまりの変わりように、私まで驚いてしまった。


 なぜか店内までざわついている。なんで……あっ。


 一瞬考えて思い至る。デジャヴ。ついさっきも同じことがあった。今の私のメイクは……



「ば、化け物……」


 化け物て。


 言いかた考えろ。言いかた。



 そう思いつつ、私は卒倒しかけている友人を支えてやるのだった……




「宮野さん、これ二番テーブルに運んでくれる?」


「はーいっ」


「私運びます! お姉ちゃん、コーヒーお願いしてもいい? カウンターのお客さん」


「うん。じゃあ、よろしくね」


 客として来た私たちは、二人でお店を手伝っていた。


 ハロウィンだからだろうか、店内は仮装したお客さんで混みあっている。


 大変そうだったから、二人で手伝うことを申し出た。


「ごめんね~。今日は午前中入ってくれてたのに……」


 オーナーはそう言って感謝してくれた。



「な、なんか、どんどんお客さん増えてない……?」


 手伝い始めたときはまだすこし空席があったのに、今は満席になって、外には列までできていた。


「やー、さっきお客さんから聞いたんだけどさ」


 井上が好奇心を隠しきれない様子で私に言う。


「みゃーののメイクが、ちょっと話題になってるらしいよ」


 ……私のメイク?


 と一瞬考えてすぐに思い至る。



「集客効果すっごいね! みゃーのの化け物メイク!」


「これゾンビメイクらしいんだけどね……」


 だから言いかた考えろってのに。とはいえお客さんには、


「そのメイク、すっごくリアルですね! どこでしてもらったんですか?」


 とよく言われるだけでなく、


「いっしょに写真撮ってもらってもいいですか?」


 とまで言われるほどだ。なるほど井上の言う通りなのだろう。


 なのだろうけど……



「きゃっ!?」


「危ないっ」


 忙しく動いていたアリスちゃんが、バランスを崩して転びそうになる。


 近くにいた私は、慌ててアリスちゃんを抱き留めた。



「大丈夫っ? アリスちゃん」


「うん。ありがとう、お姉ちゃ……」


 強張ったアリスちゃんの表情が和らぐ。でも、それも一瞬のことだった。


 アリスちゃんの表情はどんどん青ざめていって……


「キュウ……」


 また、気絶してしまうのだった――。




 だれかが私を、やわらかい場所に寝かせてくれている気配がする……。


「あ、目が覚めたんだね。よかった」


 目が覚めると、お姉ちゃんが心配そうに私を覗き込んでいた。どうやら、私はソファーで寝ていたらしい。


「大丈夫? どこかぶつけたりしてない?」


「うん。平気……」


 とくに痛いところもなかったからそう答えると、お姉ちゃんは安心したように「よかった」と言った。


 と、そこで気づく。



「あ、お姉ちゃんが生き返った」


「へっ? なに言って……」


 キョトンとしたお姉ちゃんは、すぐに思い至ったような顔つきになって、それから軽く自分の頬をさする。


「あのメイクのこと? さっき落としたんだ。だってつけたままだと……」


 そこでお姉ちゃんは言いよどんだ。


 理由は、やっぱり私だよね。さっきまで気絶してたのだって、お姉ちゃんのメイクを間近で見ちゃったからだし。


 慣れたと思ったけれど……あのメイク、本当にすごかったなあ。リアルすぎて怖い。



「ごめんね。私、ひどいことしちゃったよね……」


 お姉ちゃんを傷付けてしまったかもと思うと、胸が苦しくなる。


「アリスちゃん」


 呼ばれて顔を上げる。と、同時に、唇が温かくてやわらかな温もりに包まれた。


 それはあっという間に、私を優しく包み込んでくれた……



「分かる? 私、全然怒ってないよ」


「うん。伝わったよ、お姉ちゃんの気持ち……」


 お姉ちゃんはまた「よかった」と言ってちょっと笑った。つられて私も笑顔になって、鼻先が触れ合った。


 普段は平気なのに、なぜか今はとても気恥しかった。それはたぶん、お姉ちゃんも同じ。だって、頬が赤く染まっているから。



「そ、そうだっ」


 不意に思い出したように言って、お姉ちゃんは立ち上がった。


「オーナーがね、手伝ってくれたお礼にって、スイーツくれたの。メニューで出してたカボチャのタルトなんだけど……一緒に食べよ?」


 ほんのすこし触れ合っただけなのに、私の体はどんどん熱くなっていった。


 もっと、もっとお姉ちゃんと触れ合いたい……


 そう思っているうちに、気づけば、私はお姉ちゃんを後ろから抱きしめていた。



「あ、アリスちゃん……?」


 突然のことに、お姉ちゃんは戸惑ったような声で言った。


 かくいう私も、ちょっと戸惑ってる。見切り発車しちゃった。どうしようと思っている間にも、私の胸はドキドキと高鳴っている。


 どうしようなんて、決まってる。私、もうそういう気持ちになっちゃってるんだから……


 私は、その音よりもすこしちいさな声で、



「と、トリックオアトリート……」


 お姉ちゃんの耳元で、そっと囁く。


「お菓子をくれなきゃ、イタズラしちゃうよ」


 言うのももどかしく、私は手をお姉ちゃんのスカートの中に入れた。



「ま、待って……っ!」


「じゃあ、お菓子ちょうだい?」


 困ったような声を出したお姉ちゃん。


 私の腕の中で、クルリと向きを変えてきた。向かい合う形になって、そのままちょっと背伸びをしてくる。


 お姉ちゃんの口には、カボチャのタルトが咥えられていた。


 その意味に気づいて、私もおなじようにタルトを銜える。視線が重なって、二人でちょっと笑う。



「……んっ」


 甘い……それに、やわらかい……


 それはタルトの味だけじゃない。もっと、もっと私が好きな味。



「大好きだよ、お姉ちゃん」


「うん。私も。大好き」


 またお互いに笑い合って、



 私たちはもう一度、甘い時間を楽しんだのだった――

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