第62話 冬の寒さとぽかぽかの温もり

「はい、お姉ちゃん。あーんして」


「あーん……はい、アリスちゃんも」


「ありがとー……あむ。もう、お姉ちゃん。ちょっとついてるよ……ぺろっ」


「ん……っ」


 唇の端をぺろりと舐められて、体がビクンと震える。


 反射的にアリスちゃんの体を掴むと「ふふっ」とうれしそうに笑う。



「お姉ちゃんかわいい」


「だ、だって急に舐めるんだもん。ビックリしちゃって……」


「えー、いつものことじゃん。恥ずかしがらないでよ」


「そう言われても……」


 体はビクッとなるし声は出ちゃうし。


 どうしたって恥ずかしくなっちゃうよなー。



 お母さんに交際を報告してからというもの、とくに何が変わるわけでもなく、私たちはいつも通りに過ごしていた。


 ちなみに、「節度を以って交際しなさい」と言ったお母さんの反応は、



「ご馳走様。二人とも、後片付けは頼んでいいの?」


「はい。任せてください」


 アリスちゃんが答えると、お母さんは「じゃあ、よろしくね」と言って洗面所へ向かった。



 報告するより前からアリスちゃんと色々とやっていたせいか、ちょっとのことでは何も言われない。


 キスや……それ以上のことをしない限り、お母さんは何も言うつもりはないみたいだった。


 とはいえ……



 二人きりになると、我慢できなくなっちゃうけれど。




 私は、今日は午前中から講義がある。


 だからアリスちゃんと一緒に家を出ることにした。これは結構珍しいことだ。



 私は準備完了。アリスちゃんはどうかなーと様子を見に行くと、


「おかしいなあ。どこに行ったんだろう……?」


 机の引き出しを開けたりタンスを開けたりして、何かを探しているみたいだった。



「アリスちゃん、どうしたの……っ!?」


 語尾が上ずってしまった。


 アリスちゃんが制服姿で四つん這いになって、ベッドの下を見始めたから。



 や、ヤバい。見えそうだった。


 あれ? でも……



 思わず目を逸らしちゃったけど、別によかったのかな?


 だって、私はアリスちゃんの彼女だし。別に、うん……



「ねえ、お姉ちゃん。見た?」


「うぇっ!? 見てない何も見てないよっ!?」


「そっか……」


 アリスちゃんはショボンとなってしまった。



 ……え、えぇっ!?


 な、なんでガッカリしているんだろう?


 まさか、私に見てほしかったってこと? だからあんな恰好してたの?



「もう、ダメだよアリスちゃん!」


 彼女として、ここはちゃんと言っておかなきゃ!


「そういうのよくないよ。はしたないし、お母さんにも注意されちゃうだろうし。嬉しいことは嬉しいんだけど、でも……」


「何の話?」



 アリスちゃんはキョトンとした顔をしていらっしゃる。


 あ、あれ? どうしたんだろう……



「だって、さっき私に見せつけてたんでしょ? その、パンツ……」


「え?」


 アリスちゃんが目を丸くしてる。


 や、やば! これ、私もしかしなくても……



「ふーん」


 今さら気づいても遅かった。


 アリスちゃんの目に、いたずらっぽい光が宿ったかと思うと、ゆっくりと、私との距離を詰めてくる。



「お姉ちゃんにはそう見えたんだね。エッチ」


 言っている間に、私は廊下の壁際まで追い込まれてしまう。


「何色だった? 私のパンツ」


「わっ、分かんないよ。見えなかったから」


「……見たい?」



 言いながら、アリスちゃんはスカートの裾をつまんでフリフリと動かす。


 スカートが捲れて、かなり際どいところまで露出したのを見て、私は自分の顔が真っ赤に染まるのを感じた。


 息が詰まりそうな中、一体どう答えようとしたのか、口を開きかけたとき……




「二人ともーーっ! そろそろ出ないと遅刻するわよーっ!」




 下から聞こえてきた声に、二人して体を震わせた。



 そ、そうだった。こんなことしてる場合じゃなかったんだった。




「えっ、手袋なくしちゃったの?」


「うん。そうなんだ」


 アリスちゃんと一緒に登校中、外でも手袋をつけていないアリスちゃんに訊いてみると、苦笑いで返答があった。



「部屋にはなかったから、学校に忘れちゃったのかも」


「そっか……」


 それで部屋を探してたんだ。



 アリスちゃんを見ると、両手に息を吐いて温めようとしていた。


 けれど吐く息は白くて、指先は赤くなってしまっている。


 うーん……



「ね、アリスちゃん。これ貸してあげる」


 私は、アリスちゃんに片方の手袋を渡す。


「いいの?」


「もちろん。それじゃ寒いでしょ?」



「ありがとう、お姉ちゃん!」


 アリスちゃんは嬉しそうに手袋を受け取ると、それを手に付ける。


 これで片方の手は温かくなっただろう。それで……



 ぎゅっ、とアリスちゃんの手を握る。


「お姉ちゃん?」


 手袋をつけていないほうの手を繋いで、それを私のコートのポケットに入れた。


「こうすれば、温かいでしょ?」



 すこし驚いた顔をしたアリスちゃんだったけれど、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。


「うん。すごく温かいよ……」


 言いながら、アリスちゃんは私の腕に抱き着いてきた。


「えへへ。お姉ちゃぁん、スリスリ~」



 アリスちゃんは私の肩に顔を擦りつける……ことはアリスちゃんのほうが背が高いから無理。


 なので、代わりとばかりに私の頭を撫でてきた。



「ちょ、ちょっとアリスちゃん。恥ずかしいよ……」


 ただ頭を撫でられるだけでも照れるのに、ここは外で、しかも私は年上で……


「照れなくてもいいのに。それとも……」


 アリスちゃんはそこで言葉を区切り、私をイタズラっぽい目で見降ろし、



「こっちのほうが好き?」


 そう言って、スカートの裾をつまんで捲りあげた。


「あ、アリスちゃんっ!」


「大丈夫。今は誰もいないから」


 私の髪をやさしく撫でたアリスちゃんは、耳元でそっと囁いてくる。



「ねえ、教えてよ。私のパンツ見たいんでしょ? だってあんなエッチな勘違いするんだもん。見たいんだよね?」


 そう言ってさらにスカートを捲りあげたので、私は慌ててアリスちゃんの手を掴む。


「だ、ダメだってば……!」


「え~どうして~?」



「……アリスちゃんて、どこでもそうなの?」


 いたずらっぽい笑みを崩さないアリスちゃんに、私はちょっとムッとなってしまう。


「スカートなのに、そんな……」


 すると、今度はアリスちゃんが、少しだけムッとした顔になった。



「ひどいなあ。こんなこと、お姉ちゃんにしかしないよ。当たり前でしょ?」


「……ほんとに?」


「うん。それに、スカート穿いてるときはちゃんと気をつけてるもん。大丈夫だよ」


「そっか……」


 そうだよね。


 それに、アリスちゃんはそんなことする子じゃないし。



「あ、あのね、アリスちゃん……」


「おーーい、星野さーーんっ!」


 私の言葉はアリスちゃんの言葉にかぶさって、聞こえなかっただろう。


 見ると、遠くに星野さんの姿があった。



「お姉ちゃん、私行くね。学校すぐそこだから、手袋ありがとうね」


「う、うん」


「じゃあ、またお家でね。私今日バイトないから、夜ご飯は私が作るからっ!」


 手袋を私に返したアリスちゃんは、あっという間に小さくなってしまった。



 ……はあ。




 翌日も、私はアリスちゃんと一緒に家を出た。


「はい、アリスちゃん」


「ありがとう」


 今日も息で手を温めていたアリスちゃんに、片方の手袋を渡す。


 そしてもう片方の手を繋いで、私のコートのポケットに入れた。



「結局、学校にもなかったんだ?」


「うん。どこ行っちゃったんだろ……」


 はあ、とため息をつくアリスちゃん。



「あの手袋、かわいくて気に入ってたのになー」


 そういえば、出かけるときはよくはめてたっけ。


 リボンがついていて、手首の部分には白いモコモコのついた、茶色い手袋。



「どこ行っちゃったのかなー」


 はあ、とまたアリスちゃんが息を吐く。


 アリスちゃんの疑問は、白い息と共に、朝の空気の中に溶けていった――




 次の日の登校中。


「えっ。手袋見つかったの?」


「うん。昨日星野さんが渡してくれたの。この間お家にお邪魔した時に忘れちゃってたみたい」


「そうだったんだ……」


 てことは、もう手袋貸す必要なくなっちゃったんだなー。


 だってアリスちゃんの手には、茶色の手袋がはめられているし。


 うーん、残念かも……



「て、いうかさ」


 アリスちゃんが言った。


「お姉ちゃん、どうして今日もいるの?」


「え、何が?」


 だって、とアリスちゃんは言う。



「昨日もだけど、今日も大学の講義は、朝からはないんでしょ? だって大学に行くときのバッグ持ってないし、昨日は引き返してたし」


「……………………あ」


 そういえばそうだ。言われるまで気づかなかった。


 ハッとした顔になると、対照的に、アリスちゃんはニマニマと笑いだした。



「もうもうっ、お姉ちゃんったら~。そんなに私と一緒にいたかったの? 照れちゃうな~」


 それとも、と言葉を切ったアリスちゃんは、またスカートの裾をつまんだ。


「こっちを期待してるの? そんなに見たい?」



「もう、まだその話引っ張るの……?」


 口調はちょっと呆れたものになっていた。けれど……


 私の視線は、吸い寄せられるようにアリスちゃんの足へとむく。



 雪のように白い、一点の汚れもないキレイな足。


 気温は一桁だっていうのに、タイツも穿かずに晒された、スカートから伸びた長い足。



 スカートをひらひらさせるたび、際どい部分が見え隠れする。


 けれどギリギリ見えることはなくて、何だかヤキモキさせられる。


 体の芯が熱くなってきて、黒い感情が大きくなっていく。




 ――欲しい。この子の全部が欲しい。私のものにしたい。




「お姉ちゃん大丈夫? すごい顔してるよ」


 アリスちゃんにクスクス笑われ、私は顔どころか全身が真っ赤になった気がした。


「も、もうっ! からかわないでよ!」



「ごめんごめん。私ね、嬉しいの。だって最近は、毎日お姉ちゃんと登校できるんだもん。それに……」


 と言って、また私の腕に抱き着いてくる。


「こうやって手も繋げるし」


「え? …………あっ」



 言われて気づいた。


 私、今アリスちゃんと手を繋いでる。そしてそれは私のコートのポケットに入っていて……


 ぜ、全然気づかなかった。あまりにも自然にやっちゃってたから。


 最近、これが日課になってたからかな……



「ご、ごめんっ!」


 慌てて手を離そうとしたけれど、


「どうして謝るの?」


 アリスちゃんはぎゅっと手を握るだけでなく、さらに体を押し付けてくる。


 胸の大きなふくらみが体に押し付けられ、否応なしに意識してしまう。



「私たち、恋人同士なんだよ。このくらい普通だよ」


 それは……そうだね。


 恋人同士だもん、手ぐらい繋ぐよ……うん。


 結局、私はポケットの中で手を繋ぎなおした。すると、横からクスリと笑い声が。



「お姉ちゃんかわいいっ」


「からかわないでってば、もう……っ!」


 言ったあとで、何故か私もクスリと笑ってしまった。


 からかわれて、恥ずかしいはずなのに……


 アリスちゃんにされたんだって思うと、ちょっぴり嬉しくて、それに心地いい。



 アリスちゃん……


 ふと視線が合う。大きな、本物のサファイアみたいに輝く青い瞳。


 まるで吸い寄せられるみたいにして、背伸びをして、私は顔を近づけていく。私だけじゃなく、アリスちゃんも。



 舌先でつついて、絡め合って……アリスちゃんと触れ合うたび、まるで静電気が流れているみたいに、私の体はビクビク震える。


 静電気は次第に強くなっていって、アリスちゃんの力もどんどん強く……うぅん、私の体から、力が抜けていってる……



 冬の朝は寒くて、震えてしまうくらいなのに……



 ――あったかい。



 私か、アリスちゃんか、言葉が零れる。



「私、とってもあったかいよ。お姉ちゃん」


「私も。ポカポカする」


 お互いの温もりと、幸せを確かに感じながら、



 私たちは、唇を重ねたのだった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る