第26話 熱い、暑い、厚い

 大学から帰ると、アリスちゃんが死んでいた。


 いや、嘘。死んではない、と思う。ただ……



「あ、アリスちゃん!? どうしたの!?」


 学校から帰って来たばかりなのか、アリスちゃんは制服姿で、玄関で倒れこんでいる。


 助け起こすと、虚ろな目が私を見る。



「お、お姉ちゃん……ごめんね、こんなことになっちゃって……」


 彼女は息も絶え絶え、かすれた声を絞り出して、


「私、日本の夏がこんなに暑いだなんて、思いもしなかっ……ガクッ」


 力尽きた。




「ううー。生き返るー」


 冷房の効いたリビングで、冷えた麦茶を飲みながら、アリスちゃんはしみじみと言った。


 幸い、熱中症にはなってなかったから一安心だけど……



「日本の夏って、こんなに暑かったっけ?」


 首を傾げて、記憶を探るような顔をしてるアリスちゃん。


 確かに、彼女がまだ日本にいた十年前は、こんなには暑くなかったかも。何か年々暑くなっていく気がするんだよね。



「まだ六月だよ。暑くなるのはこれから」


「うそぉ~~……」


 アリスちゃんはうんざりした顔になってテーブルの上に突っ伏した。


 かと思うと、すぐに顔を上げた。その顔はとても神妙で、何を言うのかと思えば、


「お姉ちゃん、私、この夏を越せないかもしれないの。だから、結婚しよう?」


「アリスちゃん、塩タブレット食べる?」


「たべるー」


 飴を舐めるみたいに口の中でタブレットを転がすアリスちゃん。



 かわいい、なんて、この時の私は気楽に考えていた。




「おはよう、お姉ちゃん」


「おはよう……」


 翌日。朝起きた私を、キャミソールにショートパンツを着たアリスちゃんが出迎えてくれた。


 暑くなってきたから、薄着になったらしい。なんだかちょっと新鮮だ、と思ってたけど、



「お帰り、お姉ちゃん」


「お、おはよう……」


 別の日。大学から帰ってくると、アリスちゃんが出迎えてくれた。


 キャミソールワンピースを着た状態で。


 何かこの間よりも薄着になってるような……


 まあ、暑いもんね。仕方ないよ、うん。



「あ、お姉ちゃん。もうお昼だよ? お寝坊さんだなー」


 いつものようにアリスちゃんが出迎えてくれた。


 上はキャミソール、下はパンツという格好で。



「アリスちゃん、ちょっと薄着過ぎない?」


 流石に気になった。


 確かに、ここは家だし、お父さんも出張でいないから異性の目もないけど……


 ちょっとだらしないんじゃないかなあ。



「だって暑くて」


 しれっと答えたあとで、アリスちゃんはちょっと恥ずかしそうにはにかんだ。


「でもね、ちゃんと下着には気を遣ってるんだよ。これ、どうかな?」


 そう言って、キャミソールの裾をつまみあげるものだから、パンツがバッチリ見えちゃいました。



「だっ、だから……もうっ!」


 この子無警戒過ぎないかな。まさかだけど、学校でもこんなじゃないよね?


 学校には男子も先生もいるんだし、流石にこれは……



「大丈夫だよ。学校じゃちゃんとしてるから」


 心を読まれた。


 でもそうだよね。学校でのアリスちゃんは一度見たことあるけど、すごくちゃんとしてたし、だらしないことはしないか。



「ちゃんと服着たほうがいいよ。風邪ひいちゃうし」


「えぇー、大丈夫だよ」


 なんて、アリスちゃんは気楽そうに笑っていたけど、




「けほっ、けほけほ……っ」


 見事に風邪をひきました。……私が。



 体温計を見ると、そこには38.5という数字が。


 うぅー。完全に夏風邪だ。



「お姉ちゃん、大丈夫? つらくない?」


 アリスちゃんは心配そうな顔をして、ベッドで寝る私を覗き込んでくる。


「まったく、大丈夫なの?」


 お母さんは呆れ顔だっていうのに。


 アリスちゃんの気遣いはうれしい。うれしい、けど……



 なんか、納得がいかないっ!


 どうしてアリスちゃんじゃなくて私が風邪ひくのさ!



「安心してお姉ちゃん! 今日は私が看病するから!」


「え、今日平日だよ? アリスちゃん学校あるでしょ?」


「大丈夫! 私今日は休むから!」


 ……いや、大丈夫じゃないと思うんだけど……



 アリスちゃんは学校を休んだみたい。ちなみにお母さんはパートに行った。


「はい、お姉ちゃん。あーん」


 いつもと同じように食べさせてくれるのは、いつもとは違うお粥だ。


「どうかな? ちゃんと作れてる?」


「うん。おいしい……」


 何だか優しい味だ。


 私のことを、とても想ってくれてるんだなみたいな……



 って、いやいや! 想ってくれてるって、なんかアレなこと考えちゃったな。


 アリスちゃんは、単純に私のことを心配してくれてるのに……



「お姉ちゃん、服脱いで」



 ……心配、してくれてるんだよね。



「汗かいちゃったでしょ? 体拭くから」


 そういうことか。ビックリした。



 ちょっと恥ずかしいけど、お願いしよう。


 汗かいちゃって気持ち悪いし、裸を見られるくらい今さらだ。前にお風呂に侵入されたことあるし。


 それに……



 風邪をひいてるときって、やっぱり、ちょっと不安になる。


 そういうときに誰かが傍にいてくれると、すごく安心する。



「……んっ……は……っ……ちゅ……っ……」



 ビックリした。


 急に唇を塞がれたから。


 なんだろう、なんか……いつもより熱くて、それに頭がふわふわするような……熱のせいかな……?



「だめ、ほんとに……風邪うつっちゃう……」


「いいよ。私にうつして治しちゃいなよ」


「そんなこと……」


 できないよ、そう思っているはずなのに。



 私、アリスちゃんを求めてる。


 キスだけじゃない。もっと、手を握ったり、抱きしめてほしい……


 あれ、これ……やっぱり風邪ひいてるから、不安になってるだけなのかな?



 うぅん、そんなはずない。


 だって、触れ合っていなくても、ただ見つめ合っているだけで、こんなに安心できるんだから。




 後日。



「くしゅんっ!」


 アリスちゃんが風邪をひいたっぽい。


「大丈夫? やっぱりうつっちゃったのかな……」


「偶然だと思うけど……お姉ちゃんに看病してほしいなあ」


 なんて言われて、私はそれに答えてしまって……



 どうしよう、私の風邪も、またぶり返すかもしれない。

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