Honeyのために

「ウワァァァァーーッ!!」


 僕はびっくりして飛び起きた。もう冷や汗でびっしょりだ。パジャマも毛布もじっとりと肌にくっついて、凄く気持ちが悪い。


 思い返すのも恐ろしい夢だった。ロビンさんがユウミさんとハネムーンに行くとか絶対に許せないし、ホームズさんと僕の血で薔薇を描いているとか、めちゃ酷いと思うし。ロビンさんはサイコパスか! 怖すぎるだろ!


 僕は思わず自分の右腕を見た。もちろん傷はそこに無く、シーツの跡が付いているだけだったのでホッとする。でももう眠りに戻る気はせず、僕は近くにあったシャツとズボンに着替えて下に行くことにした。



 早朝のサンクチュアリは何の物音もしないし、ほぼ真っ暗だった。太陽の光はまだ弱く、分厚いカーテンの色をほんのり闇に浮かび上がらせているだけだ。でも、居間だけは何故かぼんやりと明るい。入ってみると、カーテンが全開になっていた。大きなフランス窓から朝の光が差し込んでいる。


「随分早いな」


 突然声をかけられて驚いた。振り返ると、ホームズさんが一人、ソファに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。ホームズさんは全身黒づくめの服を着ているので、そこだけ闇が濃くなったかのように見える。


「お、起きていらっしゃったんですね……」

「寝ていないだけだ。これでも俺は忙しい」


 うーん、ホームズさんらしい……。「徹夜は良くないですよ」とか言っても無駄な気がする。

 僕は「はあ」と曖昧な返事をしながらホームズさんの向かいの椅子に座った。


「顔色が悪いな。どうした」

「いやぁ……あの、ちょっと嫌な夢を見て」

「夢、か。……どんな内容だ?」

「えっ?」笑われるかなと思っていたので、僕はちょっとびっくり。

「笑うわけがないだろう。夢は非常に興味深い分野だ」ホームズさんは言った。

「程度に差異はあるだろうが、夢は人間なら誰しもが必ず見るものだ。だが不思議にも、まだまだ解明されていない事象が多い。『頭が今までの記憶から組み立てた映像』という人間もいるが……それだけでは説明できない場合もある。空を飛翔する夢なら願いが叶い、菓子を買う夢なら好意を寄せられるというような、ある意味での予知夢がそうだ」

「予知夢?!」僕はたまげた。

「お菓子を買うことにも意味があるんですか?」

「まぁな。ロビンが昔そんな話をしていた。俺も心当たりはある」

「凄いですね。どんな夢を見られたんですか?」

「俺が先に質問しているんだが」

「あ、はい……」


 な、何か絶対に言わなきゃいけない雰囲気になって来たぞ。

 だけど、「ロビンさんは『ユウミさんとハネムーンに行く』って言ってました」とか、「夢の中で僕とホームズさんはロビンさんに殺されてました」とか言ったらどうなるんだよ? 血の雨が降るよね?


 僕が言い淀んでいると、ホームズさんはコーヒーをソーサーの上にカタリと置き、指を組んだ。


「ロビンの奴が出て来たのか。そうだろ?」

「えっ、何で分かるんですか?」

「それだけ言うのを躊躇っていたらな」


 ホームズさんってさ、もしかして歩くスキャナーマシン?

そこまで人の心を見透かせるなら、夢の内容まで見えそうなものなんだけどなぁ……。


「それで? 奴は俺を殺しでもしたか」

「はあ……」分かってるじゃん……。

「安心しろ」ホームズさんは鼻で笑った。

「ロビンが例えば俺を殺すとか、そんな事が現実になる日は永遠に来ない」

「そ、そうですか……」


 それで僕は腹を決め、さっきの夢について思い出せる限りのことを話した。


 そしたら……


 その後、ホームズさんはずっと黙っていた。窓の方を見ながら、コツコツと細い指先でテーブルを叩いているだけ。僕は気まずさを通り越してだんだん怖くなり、椅子から腰を浮かせた。


「ホームズさん、あの僕、そろそろ部屋へ戻…」

「座れ」


 振り返ったホームズさんの目は、笑っていなかった。一瞬で部屋の空気を凍らせて、僕に見えない刃を向けて来る。……そうなんだ、僕は座り直したと言うより、急に足が震え出して動けなくなってしまった。


「ハリー、夢解きをしてやろうか」ホームズさんが言った。抑揚のない声で。

「は、はい……?」

「残念だが、お前さんの見た夢は正夢だ。役者と舞台は違うがな」

 

 ホームズさんはソファーの後ろへ首を巡らせる。

 僕はその動きを目で追い、そして——


 時が止まった。心臓までが動きを止めた。涙が一度にどっと溢れ、口の中に入って来る。苦い、辛い……まるで海水を飲み込んだかのようだ。


「どうして、どうして……!」息が出来ず、僕は喘いだ。椅子から床に崩れ落ちた。


 そこには、胸を赤く染めたロビンさんが倒れていたのだ。

 既に事切れていることは一目で分かった。大きく見開かれたロビンさんの青い瞳は、もう何も写してはいなかったから。




 その時、誰かが階段を降りて来る軽やかな足音が聞こえて来た。扉が開くなりホームズさんは立ち上がって、その誰かを出迎えた。


Honeyハニー……良いドレスだな」

「良いのはドレスだけですか? それならドレスと結婚してください。私はここでお別れです!」


 僕は驚いて顔を上げた。ホームズさんの呼びかけに答えたのは……美しい黒のドレスを身に纏い、狂おしいほど愛らしくむくれているユウミさんだったのだ。

 でも、何かがおかしい。ユウミさんは僕の方を見ようともしない。それどころか長いドレスの裾を引きずって、何の躊躇いもなくロビンさんの体を踏み越えて行く。どうしたの、ユウミさん?!


「いや、勘違いしないでくれ」ホームズさんはユウミさんに近づき、その細腰に手を回した。

「俺は、そのドレスが貴方の美しさを完璧に引き立てていると言いたかった。それだけだ」

「じゃあ、お願い、すぐに出かけましょ」ユウミさんはすがり付くように言う。

「二人で何処か素敵な場所へ」

「貴方のためなら何なりと……支度はそうだな、すぐに済む」


 刹那、ホームズさんが振り向いた。

その手にはいつの間に拳銃が握られている。カチリ、と撃鉄を起こす音が聞こえた。


 嘘でしょ、やめて……そんな……


 逃げようと思っても体が動かない。ただ悶えるだけの僕を見て、ホームズさんは寂しげに笑った。「あばよ」——それが最後だった。

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