第六章/それぞれの問題

警部は熱い男

 ゴードン・レストレードは、子供の頃から他人に分けてあまりあるほどの正義感に溢れていた。


 どんな理由があろうと人の道に外れた行いは許せない。悪人はしっかり裁かれなければ!

 そうだ、世界の悲しみを少しでも減らすためなら、俺はこの身を百遍焼かれたって構わない!


 十歳の時、学校で「未来に向かって一直線!」という将来の夢についての発表イベントが開催された。いつも情熱をたぎらせていたレストレードは、全校生徒を前にしても物怖じすることはなかった。むしろ胸を張って叫んだものである。


「俺は、世界一の警察官になる男だ!」と。



 警察学校を卒業したレストレードは数年間に渡る紆余曲折の後に、質実剛健なその働きを買われ、念願のロンドン警視庁スコットランド・ヤードに配属された。


 犯罪に休みは無い。「正義は必ず勝つ」――それだけを信じて、来る日も来る日も事件に立ち向かうレストレード。ついたあだ名は「ブルドック」だ。悪党が出した尻尾は絶対に見逃さない。しっかり噛みついて離さない。


 しかし、ごくたまに発生するごく数件の常軌を逸した犯罪にはお手上げだった。

「犯人は誰だ?」という以前に「これは魔法でも使わにゃ無理だ」と思うような事件があった。かと思えば、証拠はある。動機もある。状況から見て、犯人は〇〇しかいないが、そうは思えない――という事件もあった。


 何だろう、この違和感は。俺は犯罪者の掌で踊らされているのか?


 レストレードはそういった事件を報告書とは別にPCのファイルにまとめ、暇があれば見返していた。「絶対に未解決のままにするものか」と、その一心で。 

 ただ無念にも、ファイルのページは減るどころか年を追うごとに増えて行く。

 ストレス過多による病で、レストレードの胃はシクシク痛んだ。髪には白髪が目立つようになっってしまった。




 しかし、そんな時だった。レストレードがシャーロック・ホームズに出会ったのは。




 四、五年前の出来事だったと記憶している。

 ある朝、ローリストン・ガーデンの空き家で起こった不思議な事件――外傷のない男の遺体と「RACHE」という意味不明な血文字が残されていた現場に、

「何だこの足跡は?! 勘弁してくれ!!」

「野牛の群れだってこんなにめちゃめちゃには出来んぞ!!」

「これだけ現場を荒らしたからには、当然、それなりの結論が出ているんだろうな?!」などと喚きながら、見知らぬ長身痩躯の男が突然踏み込んで来たのだ。


「お前さんが責任者だな?」と男はレストレードに言った。

「俺は私立探偵のシャーロック・ホームズだ。暇だからお前さんらの仕事を手伝ってやる」

「は?」とレストレードは訝った。その瞬間である。男は薄ら笑いを浮かべながら鋭く一言言い切った。

「消えろトーシロー」


 何だとこのクソガキャ……第一印象は最悪だった。思わず慎みを忘れて中指を立てたほどだったが、しかし、それはある意味運命的な出会いだった。何故ならシャーロックはそら恐ろしいほど頭が回り、自分なら逆立ちしても出せなかったような答えを数分で導き出してくれるのだ。

 結局その日の事件も、ほんの数日であっさりと解決してしまった。


 それならばこれも……と見せたファイルの事件も、

「何故こんな簡単なことがわからない?!」

「お前さんらヤードの連中は頭に一体何を詰めているんだ?!」とか言いながら解決してしまう。 

 ……出来れば何も言わずに解決してほしかったが。



 ただ一つ、ここで問題があった。シャーロックはその傍若無人な振る舞いや毒舌のために、ヤードの人間の大半からすぐに嫌われたのである。彼のお陰でヤードは少しく潤ったのだが(大手柄だと称賛されたり、給料がUPしたり)、それでも「死ねばいいのに」という単語がヤードの合言葉になってしまった。


「警部! もうアイツを現場に入れないでくださいよ!」と皆が口々に言う。それについての署名が集まることもあった。が、「それじゃ困る」とレストレードは頑張った。

 自ら盾……というかサンドバックになり、すかしてなだめて頭を下げて、シャーロックがドイツへ旅立ったその日まで現場に立ち入って捜査することを何とか継続させていた。


 別にいいさ。俺の胃が穴だらけになったって。

 正義の象徴シャーロックが活躍してくれるのなら。

 犯罪や謎が暴かれて、ロンドンの平和が守られるのなら。

 神様、俺は進んでアンタの生贄になります。


 ――その正義の象徴シャーロックが殺し屋をやっているということは、幸か不幸か、レストレードは知らない。

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