第7話 一年後の死亡診断書
信じられないミスが起きた。病院で書かれた兄の死亡診断書の日付が、令和四年になっていたのだ。
昨日セレモニーホールから一度家に帰る途中、病院に立ち寄って用意しておいてもらった正しい日付のものに差し換えてもらった。
兄が昨年の夏、食道がんステージⅣの診断が下されたとき、既に一年後の死亡診断書は書かれていたのかも知れない。
セレモニーホールでの祭壇の遺影は兄が四十代のころのものだった。二十年も前に撮影したものだ。
お通夜と同じメンバーが揃っても、どうもひとり足りない気がする。
半年前に新車に買い替えた兄は、本当はもっともっと長く生きたかったのだろう。
本葬が終わり、霊柩車に続いて車を走らせる。夫が運転し、助手席には遺影を抱いた兄嫁、後部座席に甥や姪と私が乗った。
コロナ禍で霊柩車には、遺族が同乗できなくなったのだそうだ。
太陽が真上にあるよく晴れた秋の一日である。斎場に向かう途中、兄の職場を通り過ぎる頃に急に車の渋滞が始まり、ゆっくりと元職場の建物を見せてあげることができた。
斎場は混んでいなくて、一組の先客がいなくなると広い施設が、ほぼ貸し切り状態になった。
最期のお別れをして、兄の棺が扉の向こうに消えて行った。何度経験してもたまらなく嫌な瞬間である。身体中の力が一気に抜けて、同時に肩に鋭い痛みを感じた。
溢れる涙が不織布のマスクの下に流れて行く。コロナウィルスの感染を懸念して、お通夜は会食をしなかったが、斎場ではお骨が上がる間、距離を開けて食事をした。
館内アナウンスがあってお骨上げに向かう。天窓から入ってくる柔らかな日の光が、お骨となった兄に注ぐ。兄の御霊は、このようにして亡き両親に導かれて天に昇って行くのだろう。
骨壺に収まった兄は、温かいままで通い慣れたお寺に向かう。初七日の法要を営んだ後に、ご住職が昨年の今ごろ母の法要を営んだ時のことを話された。
あの時、兄は既に掠れた声しか出なかったので、ネットで買い求めた小さなマイクロフォンを装置していたのだ。
今まで法要を取り仕切っていた者が、弔われる側に逝ってしまった。
遺骨と遺族をマンションに送って行く途中、四十九日法要の打ち合わせをした。
カレンダーを見ると、ちょうど四十九日はクリスマスの頃だ。当の本人がサンタクロースの格好でやって来るのではないかと、甥や姪と笑い合う。
「そう言えばいつもどこまでが冗談で、どこまでが本気なのかわからない人だった」
姪がしみじみと言って、一同頷き合った。
マンションに着くと、主のいなくなった車がぽつんと待っていた。かなり病状が進んでも、麻酔をする検査がないときは、自分で運転して通院していた。
そっと車体に手で触れると、冷たいはずの車体が温かく感じた。そう言えば今日は、この時期にしては暖かい一日だった。
明日は雲ってやがて雨になるらしい。
今年の秋雨はとりわけ寂しいものになりそうだ。
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