4.大食漢、払わず
「【チップ】ねぇ……知っているがウチでは置いてないんだがな」
「さいですか」
ネギーの件から一晩経ち、一晩泊まったレンを家へ見送ったのちペレルマン院長の元へ訪れたカイリは【チップ】の出どころについて尋ねていた。
事前に薬の挟まれていた漫画を購入した古本屋へも訪れたが、存ぜぬとのことで……薬に関してなら信用できる方と言えば、と思って病院に赴いた次第である。
「うっかり飲んでしまったと言っていたが、体調はどうかね?見たところは快調そうだが」
「なんもない……とも言えないのが一点、ありましてですね」
着ていたパーカーを脱ぎインナーシャツの首元をめくり、左肩を見せる。
『初めましてと言っておくか、
肩の皮膚は真っ黒で、そこから白い二つ目と大きな口が浮かんでくる。ペレルマンはその異様な光景に驚きを見せる。
「これは何だね……
「いや…病気とかではなくてですね」
カイリはネギーの紹介と昨日の出来事を事細かに説明した。
超能力などについても説明したが、このペレルマンは信じてくれる人だったようだ。
「事情は察したよ。しかし相談したのがチップを使わないウチで良かったね、下手に相手を選べば超能力者なんて放っておかずにどうなるやら…」
ペレルマン曰く、当院では治療でチップは"使わない"医療を貫いており、患者がそれを望んだ場合は転院を推奨するんだとか。
しかし、ペレルマンという医者はその薬に頼らずとも何人もの患者を相手にし、治療にあたって治してきているので、M地区の民間人からも信頼は厚い。
「他の病院だったら……」
「だったら?」
「まず政府の医療機関に報告して脳の検査して」
「もういいです」
絶対面倒ごとになりそうなご説明を頂いたので止めるカイリ。
超能力については他言無用にしておかなければ、と心の中で強く誓った。
超能力といえば昨日、ネギーの解析によって発覚したカイリの
名前を【
「アンチマンってなんだよ。もっと何かこう、捻りが欲しいってかさ…」
『悪戯に手を加えるよりも覚えやすい名の方が良いであろうに』
「それにイメージしたら能力を使えるって言ってたけど、全然使えねえじゃん」
ペレルマンからウネに渡すように言われた、リンゴのたっぷり入ったバゲットを自転車カゴに入れペダルをこぐ、病院帰り道中のカイリとネギーの会話。
ネーミングはともかく、その能力についての説明をしよう。
【反物質】とは?
現存する物質の最小単位が原子___その中の真の最小単位が素粒子。
その素粒子と全く「逆」の動きをしているのが反素粒子。
そこから構成される物質が、反物質である。それを上手く制御できる、というのがカイリの能力。
一見大したことが無さそうに見えるが、現世界では「物質」で構成されており、「反物質」はこの世でほぼ0に等しいと言っても差し支えないくらいに量が少ない。
しかも「物質」と「反物質」は触れ合うと「対消滅」を起こし、多量のエネルギーを放出し消滅してしまう。
つまりそれを、対消滅を制御できるという事は、科学者の誰もが夢見る事であろう。
今のカイリの身体には現世界の「物質」と「反物質」が混在している、とネギーはのたまう。
量は推定で100グラム。カイリの身体においてネギーのいる部位に集中しているそうだ。
「なぁんかたったの100グラムなんてしょっぱく感じるよな、てっきり全身そうなのかなと」
緩やかな坂道に入り、ペダルをこぐ足を止め自転車の進みを傾斜に任せる。
カイリはホログラムで投影された偽の青空に向かって、少し不満げに語る。
『貴公、対消滅のエネルギーはどのくらいか把握できておるのか?』
「いや全く。10グラムと10グラムでなんかゲームでよくある爆発モーションくらいなもんかなと」
『たわけめ。1グラム同士で9000000000000ジュールと言えばわかるか?』
0がいっぱい出てきて一瞬思考停止する。
「もっかい詳細に。……何かと比較して言ってくれる?」
『3度目はないぞ。1グラムの物質と反物質で対消滅すればおおよそ90兆ジュールだ……大きめの核爆弾2つ分と言えば理解できるか』
嫌な冷や汗が出てきた。自分はなんて呑気なのかと。そんな劇物を自分の体内に宿しているとはつゆ知らず、大変なものを背負ってしまったのではないかと。心の中で自らを怒る。
『ふん、貴様が何も気にせず呑気にしていることくらいわかっておる。今は我が制御して能力を使わん限り反物質が反応せんようになっておる、安心せよ』
唯一の救いとなった御方が左手首の上をクルクル回っていた。ネギーが居なければ今頃このM地区は
「孫、ネギー!おかえり。ペレルマンは元気だったかね」
結局出どころが分からずじまいで家に到着。ウネにはこのことについて話をしており、快くネギーを受け入れてくれた模様だ。へんないきものが自分の孫に宿ったというのに、普段と変わらず接してくれてるのに、彼女の懐の大きさを感じるカイリである。
「ああ。おっちゃんから聞いても結局何もわかんなかったけどさ…これ。おっちゃんから」
「おお!リンゴあたしゃ好きなんだよ~アップルパイでも焼いてみるかね」
薬の件に関して探し回っていたのは何故か。
カイリとしては本にそんな代物を置き忘れる事に対して一発喝を入れてやろうと思っていた程度だが、ネギーとしては自らの意志でないとは言えども危険因子をカイリにも背負わせていることに責任を感じているから……
とどのつまりはお互いに目的が一致しているので赴いた次第である。
他の病院や薬剤師に聞くのはペレルマンの言う通り少しヤバそうではある。
超能力なんてのも身の回りに理解があるだけで普通なら信用なんてしてくれないだろう。
このままネギーと過ごすのはいかがだろうか、とも思わなくもないが…持ち歩くモノが劇物過ぎるのがネックである。
「……バーちゃん?あそこにおいでなさるのって」
「あの子かい?1時間くらい前からいるんだけどウチのメシを気に入ってくれたみたいでさ。ショーガヤキが好きなのかそればっか頼んでるよ」
現在は昼の3時。
昼間の飯処のような喧騒さはなく閑散とした「飯屋とます」に、未だ残り食事を嗜む輩が窓際の席にひとり、厚手のノースリーブシャツにカンフーパンツを履いた、普段では見かけない服装の男性、と思わしき人物が。
背丈から見るにカイリと同年代辺りだろうか。
「おふぉわりおねごぁいひまふ(おかわりおねがいします)!!!!!」
あいよっ、とウネは気前よく応える。
茶碗に山盛りたっぷりのご飯をべちべちとしゃもじで押し付け、おたまでカイリ手製の豆腐たっぷりの味噌汁を掬い、椀によそう。
濃い味付けの生姜焼きを皿に盛り着け、付け合わせの沢庵とそれら全てを盆にのせる。
「ほい。あの客にだよ、持っていきな」
カイリは急いでエプロンを付け、すぐさま例の客の元へ盆を持っていく。
「お待たせしました。ショーガヤキお代わりです」
「ありがとうっ!!!」
琥珀色になびく髪に、ぱっちりとした空色の瞳が輝く彼?彼女?が思いっきり感謝の言葉を表す。
カイリはちょっとドキッとしてしまったがすぐにごゆっくりと言い、後にする。
そこから1時間くらい経っただろうか。カイリが彼に接客してかれこれ10皿だ。
たらふく食べたのか、大量に積まれた皿を後目にご機嫌そうではある。が、席を立たない。
流石にカイリもおかしく感じ、その客に話しかける。
「……お客さん、たっぷり食って満足そうなのは分かるんですが、そろそろ」
「そうだね!!バイバイ!!!!」
「待てや」
水を飲み切りさっさと帰ろうとする客の服をぐわしと掴み引き留める。何か忘れていないだろうか。
「お客さん。お代は?」
「お題?」
「金だよ金。持ってんなら食った分出せよ、カード払いも対応してるぜウチは」
当たり前のことを当たり前だから催促するカイリ。
「て、てっきり出されたからくれたものかと……」
「ただ飯するつもりだったのかよ!!!!」
大声で怒りのツッコミをかますカイリ。その声はウネのいる厨房へも響く
「カイリくぅん。」
「いま」
「"ただ飯"とかなんとか」
「聞こえたんだけど_______」
気持ち悪い汗がどっと出る感触に襲われる。
ウネが『カイリくん』と呼ぶときは、半分キレている証拠である。
ウネは過去に食い逃げをされてブチギレたことがあり、そうなるともう誰にも手に負えない。
以降はただ飯などが絡むと琴線に触れるようになったのだ。
「ウソデシタ、コノヒトオカネ、モッテマス」
冤罪を主張するような川柳を一句詠んでしまったが、今は嘘も方便。
怒らせてはいけない人をとにかく宥めることに尽力する。
長時間ただ飯に付き合わさせていたなどと馬鹿正直に言えば死人が出る。
「なぁんだよかった~~!もう客に出すご飯も無いし今日は早めに店閉めるから!その人の勘定ちゃんとやっといてね!よろしくね、孫」
家の二階へと上がるウネ。脅威はひとまず去った……が、こうしている場合ではない。
「えっと…どうすればいいのかな」
「アンタさぁ……カードとか持ってないの?」
「あ!!カードなら黒いのなんか渡されて…る…………けど」
支払いに使うカードでブラックというのは滅多にお目にかかれない。
どこかの金持ちの御曹司か何かなのか?と思うカイリ。
もぞもぞと身体のあちこちをまさぐる客。しかし悲しいことにカードは見当たらない。
「忘れてきちゃった……」
空色の瞳を涙目にして情けなく見つめてくる。
カイリはこの姿を見て、話しかけた時にドキッとした己を恥じた。
「もういいよ、俺が支払う、ツケで許してやるよ。今度来た時に俺に支払ってくれたらいいから」
「…………!!ありがとう……優しいねっ!」
「調子のいいやつめ。何人分食ったかも覚えてないんだろ」
素直な感謝の言葉が恥ずかしいのか、捻くれた言葉を相手に返すカイリ。
「あ、うんごめんなさい。ボク計算も読み書きもできないんだ、ダメだよね」
「ゑ?」
カイリは、相手の意外な反応に素っ頓狂な声を出してしまう。
どこか悲しそうな客のその表情は、カイリは猛省せざるを得なくなった。
「い、いやすまん。そんなアレだったとは全く______」
「あ!!!!!!警備の時間だ、急がなきゃ!!!」
「聞けや」
突拍子もない奴に反省の意は通じる事はなかった。
客は急いで店を出ようとする。
「ごめんね、また来ます!」
「お、おう、またメシ食いに…じゃなくて、飯代払いにな」
「うん…キミに教えておくね」
「ボクの名前は"グラム"。」
「また美味しいゴハンよろしくね、カイリくん」
夕方の茜色へさっと駆け出していく彼の名はグラム。その足は軽快に動き、姿は遠くへ、見えなくなっていく。
「…ごひいきに」
名前は教えてないが、エプロンに刺繍で書かれた名前「かいり」で察したのだろう。
『嬉しそうだな、貴公よ』
「そう見える?」
『我は貴公の一部だから分かるに決まっておろう』
学校に行けてないけど、なんだか最近忙しいし慌ただしい。でも楽しい。
カイリはそんな風に思いながらレジに向かって台帳管理システムを起動させた。
「………………」
グラムのお代、¥21500
「………………………………………………………グスン」
『どうした』
学生には厳しい金額、ネギーには分からぬ。
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