健全男子と解けない問題

 俺の名前は「不動ふどう みのり」。今年で14才になる健全な男子中学生である。


 自分で言うのもなんだが、俺はとても優秀だ。特に勉学においては類を見ないほどの天才と言われ続けている。そんな俺は、いま正に解くことのできない謎にブチ当たっている。


みのり、あんたまたアタシの胸みてたでしょ?」


 幼なじみの「片瀬かたせ 奈美なみ」が、俺の顔をのぞき込むようにしながら言ってくる。


 俺は視線をそらしながら、限りなく自然に、迫り来る谷間をチラ見しながら答えた。


「見てないよ」


 と。


「今も見ながら視線そらしたでしょ! 女の勘なめんな! バレバレなのよ!」


 奈美は肩を怒らせ、俺の胸ぐらをつかみ前後に振る。うーん、激しいヘドバンは頸椎にダメージがあると聞いたことがあるので、やめてほしいものだ。


「アンタへの苦情が私のところに来るのよぉ……。もう勘弁してよね……はぁ」


 奈美は俺の机に突っ伏したまま睨みあげてくる。


「うーむ、そもそも何故見られているとわかるんだ? 俺は誰かにみられても全く気付かないんだが。しかも女子をチラ見するときは、全集中力を動員し、自然にさりげなく、あくまで視線が他に移動する際に見るという、極めて気付きにくいであろう方法で見ているのに!」


 奈美が下から声を掛けてきた。


「あのねー、女の子はみんな異性の視線には敏感にできるてるの。あんたらみたいに見られてても気付かない鈍感な男達とは身体のつくりからして違うんだから、あきらめなさい。しかし、頭はやたらといいクセに、なんでこう思考する方向が大抵アホなのか……」


 奈美が深いため息を吐きつつ愚痴るのを見ながら、俺は熱い想いをぶつける。


「しかし、どうにもこの半年くらい女性の身体が気になってしょうがないんだ! 姉ちゃんに聞けば『ちゃんと大人になってきてくれて良かった!』とかいって抱きしめられるし、なんなんだ!」

「そこまで、はっきり言われると困るんだけど……。まあ、今までのアンタのことを思うと、普通の男子たちと似たような感覚を持ち始めるのはいいことなのかもね……。灯さんの気持ちも分からなくはないかも」


 先ほどよりは浅いため息をつきながらも、奈美が同意する。


「では……!」

「ダメに決まってるでしょ!! とにかくアンタは見過ぎなの! できる限り見ないようにしなさい! 今度やったら灯さんにチクるわよ!」


 奈美に思い切り頭をはたかれ、怒鳴られた俺は、この不条理に両手を床に突っ伏し項垂れた。そんな俺の肩に手を置き、やさしく声をかけてくるやつがいた。


「まあ、まだ学校生活は長いんだ、今からもっと腕を磨いて、気付かれずに見られる様になろうぜ!」


 親指を立て歯をキラリとさせながら、俺の悪友とも呼べる「新谷しんたに 寅次郎とらじろう」が発破をかけてくれる。


「そうだな、まだ中学生活も半ば……、卒業までには極めてみせる!」


 そんな俺たちを見て、奈美はまた大きくため息を吐いている様だ。


  +++++


 俺は、高校生になっていた。未だに謎は謎のままで、俺は対象者に気が付かれずに視るという技を極められず、相変わらずのように奈美に苦情が届き、この人類の至宝とも言える頭をはたかれる日々が続いていた。


 そんな日々の中、寅次郎と高校で知り合った山田と田中を交えた四名で、最近のクラスメート達の挑発的な格好について語り合っていた。どうでもいい情報だが、山田と田中の名前は二人とも「一郎いちろう」だ。


「いやー、夏が近づくにつれ薄着になっていく女子達を見ると、どうしても視線が固定されてしまいますなー。こればかりは、男に生まれた以上、どうにもできんもんですよー」


 田中が男のさがを軽い口調で語る。


「たしかにね! そもそもあんな短いスカート履いてる時点で見てほしいとしか!」


 山田が鼻息荒く同意する。


「しかも、あのスカートわざわざ腰の所を巻いて短くしてるらしいぜ。階段で前に居る時はついゆっくり歩いちゃうよな」


 寅次郎が追加情報を入れてくる。その言葉に俺も含めて全員が深くうなずく。


「脚もいいですが、やはりおっぱいは素晴らしいもんですなー。なぜ我々はあの膨らみに惹き付けられるのか……。難題ですなー」


 田中がまた男のさがを軽い口調で語る。


「しかも、この季節は最高だよね! 汗ではりつくシャツのおかげで、うっすら見えるブラに僕は神々しさすら感じるよ!」


 どうやら、山田の神はそこら中に存在するらしい。まあ俺も必ずチラ見してしまうので、神は本当にそこら中に転がっているのかもしれない。


「しっかし、奈美ちゃんはホントに可愛くなったな〜。しかもあの胸は漢の夢がギッシリだぜ! みのり! 実際の所、奈美ちゃんとどんな感じなんだ!?」


 寅次郎が俺に奈美のことを聞いてくる。たしかに奈美の発育には目を見張るものがある。あの豊満な胸にどうしても視線が向かってしまうのも事実だ。だが、寅次郎の期待するような関係には決してなることはないだろう。

 なので、俺は寅次郎に簡潔にそのことを答えることにした。


「寅次郎……。たしかにあの胸は素晴らしい。俺も自ずと視線が向かってしまうほどに。それにあの腰からのヒップライン! スカートからスラッと伸びた美しい脚! 完璧だ! まさに完璧だ! 目の前にあの身体があれば、俺は決して視線を逸らすことはできないだろう!! だが……、それだけだ!! たしかに胸も含めたあのスタイルは素晴らしい!! 俺の理想が詰まっていると言っていいだろう!! それでも、敢えてもう一度言おう! だが……、それだけだ!!」


——ドゴンッ!!


 鳴ってはいけない様な音を鳴らして、俺の顔面が机に衝突した。


「——誰が? 身体だけの女ですってぇぇぇ!!」


 俺が鼻血をダラダラと垂らしながら振り向くと、般若の如き形相をした奈美がいた。

 身の危険を感じた俺は咄嗟に逃げようとするが、時既に遅かったらしく、顔面にすさまじい衝撃をくらい、そのまま意識を手放した。


 あとで寅次郎に聞いたところ、それはそれは見事な真空飛び膝蹴りだったそうだ。


 しかし、俺は意識を手放す寸前に、しっかりと白と青のストライプ柄のパンツをチラ見し、何とも言えない達成感を味わうことに成功していたのだった。


  +++++


 奈美からくらった真空飛び膝蹴りで、生死を彷徨った頃から一年経ち、俺は高校二年生になっていた。

 どうやっても感づかれる視線の謎を解き明かそうと、あれからも真剣に研究していたが、未だ結果は振るわない。

 そもそも人間の知覚能力から鑑みて、意識外や視野の外からの視線に気が付けるはずがない。なぜ、奈美を始めとする女子達は意識外の視線にああも気がつけるのか不思議でならない。

 そもそも、胸やお尻に、スカートから飛び出る魅惑的な脚を見たときだけ的確に気づかれる。それ以外はガン見していたとしても、気が付かない時があるというのに。何故なのか? まったく答えが見いだせなかった。


「なんだ、またパソコン弄ってんのか?」


 寅次郎が、俺の前の席に腰を下ろしながら話しかけてきた。


「ああ、どうしてもあいつらが俺の視線に気付く理由がわからない。シミュレーション上はどうやっても気が付けるはずがないんだ。だが、実際に……」


 俺は、教室の反対側で友人達と談笑している奈美の、未だ成長する胸をチラ見した。その瞬間、怒りの形相で奈美がこちらに振り返る。


「ご覧の通りだ……」


 俺は寅次郎に顔を向けながら、奈美の方を指さす。


「お、おぅ……」


 寅次郎は頬をヒクつかせながら、奈美の方を見る。


「どうしても原理がさっぱり解らん。空気中を伝わる振動でも感知してるのか? それとも女子達の本来の視野は極端に広いのか? 色々と考えシミュレーションしてきたが、どうあがいても人間の知覚能力では、そんな高度な判別できない」


 俺は、かぶりを振りながら人類の抱える最大の謎について愚痴る。そんな俺を寅次郎は呆れた表情を浮かべて見てくる。


「いや、みのりさ、そんなことより普通に女子とおしゃべりして出かけたりした方が楽しいぜ。それにいつまでもそんなことばっかりしてたら、そのうち奈美ちゃんも相手してくれなくなるぞ」

「そうは言ってもだな。どうしても気になるんだよ。この難問を解かないと俺は安心して死ぬこともできん」

「ホントに筋金入りだな……。そうだ! あれじゃねえか。おまえ華奢だし女装でもして街中歩いてみたら、女子達の感覚もわかるんじゃね?」


 寅次郎の言葉に、俺は雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。


「そ……そ……それだ!!」

「うおっ!?」


 俺が唐突に立ち上がると、寅次郎は驚きイスから転げ落ちそうになっていた。辺りを見回すとクラスメート達も何事かとこちらを見ている。だが、今はそんな些事に構っている暇はない。


「寅次郎! おまえのおかげで光明が見えた! 俺は今から帰って実験してくる!」


 あっけにとられている寅次郎を放置し、俺はパソコンを鞄にしまい、そのまま家に向かった。


  +++++


 今日で一ヶ月経った。


 俺は未だに視線を感じられないでいた。たしかに女装をしていると向けられる視線は増えた気はする。だが、誰がどこをみてるかなんて全くわからない。

 服に仕込んでいたカメラ映像を解析すると、俺が感じていたよりも遙かに多くの人から胸や尻を見られているというのに、その場では全く気付かなかった。


「なぜなんだ? 女装は完璧なはずだ。実際に男からは見られている。女子からすらも見られている。なのにほとんど気付けない……」


 俺は、出口のない迷宮にでも迷い込んだのではないか、と思い始めていた。


——ブブブー・ブブブー


 机の上で携帯電話が振動していた。画面を見ると奈美からの様だ。


「もしもし?」


 俺は震えている携帯電話を手に取り、通話ボタンを押し、いまだ何の意味があるのかわからない、お決まりのコールサインを唱える。


『あっ、みのり? あんた一ヶ月も学校来ないでなにしてんの? 先生がアタシにアンタの様子みてこいってうるさいのよ。休むんなら休むでちゃんと連絡しなさいよね。じゃないとアタシが迷惑するのよ、ホントさ、アタシはアンタの保護者じゃないっての……。はぁ〜、灯さんが日本にいてくれたら楽だったのに……』


 奈美が、一ヶ月も無断欠席してる幼なじみにかけるとは思えない言葉を投げかけてくるので、注意しておく。


「それが、一ヶ月も連絡がとれていない幼なじみにかける言葉か? お前に常識はないのか?」

「……あんたに常識とか言われたくないわよ! どうせまたアホみたいな研究でもしてたんでしょ!? と・に・か・く! ちゃんと学校には連絡しなさい! じゃないと灯さんにチクるわよ!!」


——ブッ、ツーツーツー。


 俺は通話を切られた携帯電話に学校の電話番号を入力し、しばらく休むことを伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る