第一部 できあがるは偶像

天使と項垂れる男

 男は呆然としていた、ガラス越しに映る景色が理解できなかった。隣に座る似た格好をした男も同様に目を見開き口を開け、声も出せずに呆然としていた。


 どれくらいの時間が経過したのだろう、男達はやたらと長い時間が経った様にしか思えないでいた。幻でも見ているのではないかと思っていた目の前の光景が、やっと現実ではないのかと思い始めた男達は、徐々に身体を震わせながら頬に涙を流し始める。

 目の前にいる存在が湛える真紅に輝く瞳の前に、全てを見透かされる様に感じた男達は、固く握りしめていた操縦桿から手を放し、座席の後ろに回ると床にひれ伏し許しを請う。その人生における罪を、そして新たな生をただ願うために。


  +++++


 俺はガラス越しに、ハイジャック犯らしき男達を静かに見据えていた。泣きながらひれ伏して震えてる二人をみて、どうやら武装解除の必要はなさそうだと俺は安堵する。

 このまま重力フィールドを展開しつつ、旅客機を不時着させられそうな近場の公園にでも移動させれば大丈夫だろうと、俺は旅客機を安全だろう場所に動かし始めた。

 ここまでの出力でフィールドを展開したのは初めてなので、慎重に時間をかけて空中を移動する。


 十分も経つ頃には、先程まで遠巻きにしていたヘリ達が隨分近くまで集まってきていた。いったい何機いるんだか? と思っていると上空を自衛隊機らしき機体群に包囲されていることに気が付いた。

 一応は、旅客機の移動に邪魔にならないように間隔はあけてくれてる様だが、上空を飛び回れるとうざったい。それに、少し高度上げないとその辺のビルに当たりそうだから邪魔なんだよな、と内心でごちりながら移動を続けていた。


  +++++


——パラパパラパパラ——


 赤く染まり始めていた秋葉原の上空をいくつものヘリが旋回している。

 その中の自衛隊所属らしき機体の機内で、初老に差し掛かろうかという男性が通信機を片手に眼下の光景を観察していた。


「こちら、東部方面、第一〇五飛行隊所属、OH1、目標を視認、目標を視認、本部どうぞ」


『こちら東部方面司令、OH1、映像送れ、どうぞ』


「OH1、了解、映像送る、どうぞ」


 初老の自衛官は、部下らしい望遠カメラを構えた部下に、映像の送信を指示する。


『こちら東部方面司令、映像確認した、つづけて状況を知らせ、どうぞ』


「OH1、了解。所属不明の人型らしき発光体が、616便を光で包み、受け止めているように見える、どうぞ」


『こちら東部方面司令、こちらでも映像で同様の状況を確認できている、肉眼でも映像と変わらない状況が発生していることで相違ないか? どうぞ』


「こちらOH1、相違ない、どうぞ」


 状況を報告していた自衛官は、司令部との通信をどこか珍妙なやり取りだと、内心思いながらも状況の観察を続ける。


(……あれは、どうみても天使ってやつじゃないのか?)


 自衛官は、特に神や仏の類いを信じてはいないが、目の前に見える存在はいわゆる「天使」にしか見えなかった。


(なんだ? 何かこちらを見てるような……。ん? ジェスチャー? 上にあがれか?)


 自衛官は、改めて周辺を確認する。


(ああ! 俺たちが邪魔で旅客機を動かせないのか!!)


 自衛官は、慌てて周囲の僚機に上空への退避を指示し始める。


(ありゃ、完全に意思があるよな? 人なのか? それとも宇宙人とか? まさか自衛隊ウチの隠し球ってことはないよな? まあ、どちらにしろ今は見てるしかないか……)


 自衛官は、目の前の事態に何の力も発揮できないであろう己達に、若干の虚しさを覚えながらも、この奇跡が奇跡のまま終わってくれることを祈った。


  +++++


 616便は、上野公園にある不忍池に音もなく着水した。しばらく周辺で様子を見ていた自衛隊は、機体に動きがないことを確認して近づいていく。

 時を同じくして、機体の搭乗口が開くと、添乗員らしき女性が手を振る姿が見えた。その瞬間、周辺を取り巻いていた報道陣のフラッシュが瞬き、途端に辺りは喧噪に包まれた。


 乗員乗客、460名に死者なし、パイロット二名はそれぞれ銃撃により重傷を負っており、テロリストと思わしき実行犯二名は、操縦席の床に蹲るようにひれ伏して怯えていた。

 そして、所属不明の人型らしき発光体の行方は、616便の着水と共に消え依然として不明のままだった。


 テレビやネットでは、連日「天使」の話題で持ちきりだった。その盛り上がりは、一ヶ月経っても途切れることなく、様々な憶測が流れた。


 いわく、神は実在した。

 いわく、宇宙人がやってきた。

 いわく、どこかの大国の新兵器だ。

 いわく、すべては集団幻覚による幻だった、と。


 しかし、「天使」という言葉に最も反応するであろうと思われていた各宗教団体からの反応がなかったことが、一部の人々からは異質に見え、ネット上では更なる憶測が飛び交うことになっていた。


  +++++


 俺は久しぶりの男の身体にもかかわらず、雑誌を片手に項垂れていた。


「うーん、俺っていつの間に紀元前から生きてることになってんだ? てか、ハイジャック自体の件はどうなってんだよ? ……俺の公式ファンクラブとか作ってる場合じゃないだろ……。 そもそも一週間そこらで新興宗教みたいなのもいくつかできてるって……、無茶苦茶だろ」

「まあ、しょうがないんじゃない。あんなの見たら誰でも奇跡を信じちゃうって。実際にアタシも『奇跡だ!』って目の前で見て思ったもの」


 あのテロ事件から一週間ほど経ったある日に、姉が俺の家にやってきていた。

 ちょうど男の身体に戻ったばかりだった俺は、姉が持ってきた新聞や雑誌を読むことで、あれからの世間の詳しい状況を知り項垂れていたのだ。

 姉はそんな俺の何とも言えない感情の吐露を軽く流しながら、慣れた手つきで隠していた秘蔵の豆を勝手に挽いてコーヒーを淹れ始める。


「いやまあ、確かに現代科学の水準から見ると奇跡に見えるだろうけど、歴とした科学技術の産物なんだけどね。それより、豆をちゃんと元のとこに戻しとけよ」

「はいはい。しっかし、アンタが女の子になってたときも驚いたけど、あんなことまでできるなんてね……。なんだかんだ天才だったんだね〜。色々と残念だけど」

「残念ってなんだ! 残念って! それに天才のひとことで済ませないでくれ。俺だって長年の研究と努力を続けてんだよ」

「長年っていっても、31才程度のアンタが言っても響いてこないわね、本当に長年やってる人たちに失礼よ」


 コーヒーが抽出される香りを鼻で楽しみながら姉が突っ込みを入れてきたので、俺はそっと視線をそらしながらも言い訳めいたことを答える。


「……。まあ、多少のズルというか……、発見と解析の結果もあるからな」

「ああ、例の裏山で見つけたとか言ってた、心臓がどうこう言ってたやつ?」

「そうそう、アレのおかげで飛躍的に研究が進んだんだよ。まさにオーバーテクノロジーの塊だったからな」

「そんなにスゴイなら、大々的に発表した方がいいんじゃない? そうすれば『天使ちゃん』への注目も薄れると思うわよ。未知の存在だって言うから騒いでるだけでしょうし、理由が解ればすぐに世間も落ち着くわよ」

「いやまあ、そりゃそうなんだけどさ、アレは結局ブラックボックスのままなんだよな〜。関連技術もあの心臓がある前提だから、公表なんてしたくないんだよね。公表すれば確実に政府に接収されるか、他国からも狙われそうだし、やっぱり秘匿が一番かな〜」


 俺がそれっぽいことを言っていると、姉が半目で睨んでくる。


「小難しく言ってるけど、結局は技術を独占したいだけじゃないの?」


 俺はおもむろに立ち上がり、拳を作りながら声を上げる。


「違う! 独占したいわけじゃない! 俺の目的のためには女性の身体が必要なだけだ! 今はアレがなければ、『みのり』が動かせないから手放すことはできん!」

「はいはい、わかったわかった。アンタの言う目的って子供の頃から言ってるアホみたい話よね? まだ諦めてなかったの?」

「当たり前だろ! まだ全く謎は解けてないんだ。そのための道具がやっとできて、調査も正にこれからってところなんだ」

「うーん、そもそも一年もアイドルやってるんだから、とっくにわかったんじゃないの?」

「いや、まったくわからない……。改めて第六感とやらの存在を疑い始めているところだよ……」


 俺が再度項垂れながら答えると、姉は優しい笑顔を見せながら励ましてくる。


「生まれながらに女って訳じゃないんだから、時間がかかってもしょうがないわよ……。せっかくここまで頑張ってきたんだから、諦めないの」


 姉は俺の横に腰掛け、肩を抱き寄せながら言った。


「姉ちゃん……」


 珍しく優しい言葉を掛けてくる姉に、ウルッときた俺が感謝を述べようとしたとき、その姉が高らかに声を上げた。


「それじゃあ、これからも『みのり』として理想のアイドルを追求していくわよ! そこに必ず答えはあるわ! 目指すはトップよ!! 国民栄誉賞よ!!」

「なんで国民栄誉賞!?」


 やはり、姉は姉だった……。


 俺たちの掛け合いは、姉が帰るまで行われたが、どうやら俺のアイドル生活が、しばらく続くことは確定らしい……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る