『2018.9.20』
真夜中、ラジオのスイッチを入れた。
プールの底みたいな室内に、しんと重い音が響いた。
三年前、世界が滅んでしまって、で、いま、わたしはこうして暗い部屋の中にいるのだけど、鳴っているのはただ、ラジオの音だけ。それだけが、いま、わたしがこの世に存在しているという証だ。季節外れに押し入れから出した羽毛布団が、スルスルと肩から滑り落ちる。夜だった。
それはいっかいも聞いたことなかった曲だったけど、ああ、もうすぐサビだ、と頭を持ち上げた時、窓の下をトラックが過ぎ去った。音に掻き消されて、R&Bは命を失った。どれだけ魂を込めて歌っても、届かないのなら無機物だ。
でもいい歌だった。
わたしは枕元に重ねた文庫本に曲名を書きとって、ラジオを消した。
脱ぎ捨てたスリッパを履いた。
マッチを擦って、誕生日のプレゼントで貰ったランタンに火を点ける。と、鏡にわたしが浮かび上がる。サーモンピンクのランジェリー。これもプレゼント。胴回りがしっかりして見えて、色っぽくて、結構気に入ってる。でも最近、腹が出てきた気がする。
黄金色の灯りを背景に、伸ばした前髪を掻き上げてみる。なるべくセクシーに見えるように。なるべく可愛くないように。もうニ十歳も折り返しなのに、三十四番を頼む度に年齢確認されるわたしから、なるべく遠ざかれるように。化粧箱で口をあけっぱなしにしていたリップで唇を真っ赤にしてみる。舌で舐め取ってみる。うん、いい感じ。遊び慣れてるって感じ。クールで、派手なオープンカーに乗せて貰えそうな、お尻が大きい女の子って感じがする。お化粧する時は、つぎからは、もっとアイシャドウを濃く入れてみよう。そしたら。
ろうそくの寿命とともに朝が来た。お風呂のふたが焦げているのは、半年前ふざけて花火をしたからだ。いわゆる悪友とも呼べる親友と、大笑いしながら噴き出してくる火の玉を眺めていたけど、リビングの火災報知器が鳴って、警察からも、大家さんからもめちゃくちゃに怒られて一カ月病んだ。大好きなカップアイスさえも受け付けられなくなって、十キロの減量に成功した、まっくろなふた。今ではちょっと愛おしい。もう、あんなに馬鹿できない。わたしもじゅうぶん、大人になってしまった。
吸殻を便器に落とす。流す。たったこれだけ。
朝食を食べる前にまず歯を磨いた方がいいって、誰かに言われたか健康雑誌で読んだかしたから、朝ご飯の前に歯ブラシするようにしてる。せっかく奮発した生食パンが爽やかな味になる。嫌だからもっとマーガリンを塗る。スーパーで割引されてる六枚切りのと同じ味になる。わたしって、ほんと幸せなやつだよなって、牛乳を飲みながら思う。お口直しに一服やる。灰をソファに落としてちょっと落ち込む。でも化粧をするころには直ってる。
焦げ茶色を何回も何回も塗り重ねてみたわたしの目は、腫れぼったい。でも、この疲れ切った感じが、大人の女の色気を醸し出してる感じがして、わたしは鼻歌交じりにコテで髪の毛を巻く。ピンク色の胸元に傷んだ毛先がチクチク当たる。そいや、バストアップの方法を教えて貰おうとしてそのままだった。電話してたんだけど、トイレに行ってる間に切れちゃった。でもいいか。どうせヒアルロン酸か何か入れて大きくしたんだから。この胸も、なかなか、ううん、どうだろ。やっぱりもっと欲しいかも。
ベランダのレースカーテン越しに外を眺める。登校中の小学生たちが眼下を左から右へ通り過ぎてゆく。サラリーマンが駆け足に道路を横断する。車がクラクションをいっかい。みんな、わたしを見上げて、びっくりすればいいのに。下着姿の良い女がここにいるのに。でも朝日にわたしは似合わない。Tシャツを着て、ジーンズを履いて、ライターのオイルが切れたのに気がついた。破廉恥に塗りたくったアイシャドウを排水口に流して、口紅は綺麗に拭って、サンダルを履いて、玄関を開く。
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