うっそ、速すぎる……!!

 生臭い血の匂いを平原の柔らかな風が運んでいった。


 一休みついでに、小川の水で血を拭き取る。空噛のアーマーにべったりと付いた血は取れそうにもないが、多少の汚れは無料で洗ってもらえるため、匂いすらも残らないだろう。


「あー、水が冷たいな」

「モンスターさえ出なければリゾート地にでもなりそうな雰囲気だしね」


 そこらから聞こえる狼の咆哮や、インピュアクロウのうめき声、アントルがカサカサと移動する音が無ければ、十分快適に過ごせる土地だ。


 日照りも悪くないし、綺麗な川もある。

 この辺りは浅瀬だから川魚は居ないが、向かい側の森の方に行けば、普通の生き物も見つかるだろう。普通じゃない生き物の方が圧倒的に多いと思うけれど。


「うーん、ちょっと薬草採取していくか」

「急に何? アンタがそんな退屈なこと進んでやるわけないでしょ。今度は何を企んでるの」


「慧さん、もしかして戦い足りないんですか? 不完全燃焼ってやつですよね」


 いつまでもナイフを納刀せず握りしめたままの空噛に対して、私たちの鋭い視線が向けられる。さゆりは完全に見透かしており、うずうずしている彼に大きなため息を吐いた。

 クロスボウを撫でまわしながら顔を上げると、満面の笑み。


「私も足りないと思っていたところです。ぜひ行きましょう!!」

「ええー。止める流れだと思ったのに!?」


 うすうす勘づいていたが、さゆりは完全にエデンゲームにハマってしまっていた。とくに、生き物を殺すことに快感を覚えているような節がある。

 矛先が人間に向いていない以上、個人の自由であり好きにすればいいと思うが、危険依存症スリルジャンキーに加えて、快楽殺戮者シリアルキラーまで増えたことで、私の苦労は重くなった。


 川を超えて森の中を歩いていく。

 タブレットで地図を確認しながら歩いているので、迷う心配はないと思うが、それでも視界の利かない森の中というのは怖い。


 しばらく歩き続けると、地図で示されている場所よりも先に出てしまう。

 マッピングがされていない、というわけではなく、ここから先は別なステージとして定義されているのだ。無論、プレーヌ平野から出るということは危険度も変わるということ。


 おそらくこの先はフロレスタ大森林と呼ばれる場所。隣接してるだけあって、桁違いに危険度が変わるわけではないが、あまり奥まで進まない方が良いだろう。


「ああ、クソ。引き返すか……」

「あまりモンスターと会いませんでしたね。森の方を選んだのは失敗でしょうか?」


 空噛はフロレスタ大森林の方に行きたそうな顔をしているが、出現モンスターについて知識がないため、私とさゆりは反対だ。


「ほら、帰るよ!! 明日とかでもいいじゃん」


 不満を漏らす空噛を引きずって帰ると、森の中から話し声が聞こえた。

 若い男女の声。話の内容までは聞こえないが、おそらく二人組、モンスターと戦ったりしているわけではなさそうだ。


「……どうする?」

「変に避けてモンスターと間違われても嫌だな。挨拶ぐらいはしておくか」


 ゆっくりと声のする方へ近づくと、少し開けた場所でローブを纏った怪しい二人組が大岩に腰かけていた。


 旅人が着ているような茶色の外套の男と、怪しい魔女のような紫色のローブを着た女。どちらも顔を隠すようにフードを被っており、女の手には長い白杖が握られている。


まじないコンビか……」

「知ってるの?」


 どうやらドラマティック・エデンで見かけたことがある人物であるようで、空噛がお姉さんと一緒にエデンゲームに参加していた時にはすでに☆4としてそれなりに活躍していたらしい。

 目立った功績を上げているわけではないが、噂では10年以上もプレイしているとささやかれている。


「誰だ!!」

「あ、人間です!! はじめまして、ONEです」


 がさがさと草むらで物音を立てると、女の方が立ち上がって白杖を向けてくる。

 咄嗟に両手を上げて敵意がないことをアピールすると、すぐに杖を下ろした。


「何か用か? あまり人と話すのは得意ではないんだが……」


 警戒心をむき出しに女が言うが、それを男の方が宥める。どちらもフードを目深に被って顔を隠しており、表情が読み取れない。

 立ち上がった体躯は、男の方が低く、私の身長161cmよりも小さい。

 反対に、女の方は私と同程度か少し高いぐらい。


 まるで姉弟のようだ。


「ONE、私たちはお前たちと関わる気はない。互いに獲物の奪い合いはしたくないだろう?」

「そ、それはそうですね。ただちょっと挨拶しただけなんで……私たちはもう帰るところなんで失礼しますね」

「フロスト、あまり後輩をいじめるのは良くないよ。それに帰るつもりなら俺たちと一緒だ。良ければ一緒に帰らないか?」


 纏う雰囲気から察するに、明らかに格上の実力者。ただ、だらだらエデンゲームを続けていたわけではなさそうだ。まさしく一級のプレイヤー。


 男の言葉に、フロストと呼ばれた女性は、フードをさらに深くかぶって、舌打ちをした。


「改めて初めまして、俺はヴォルト。こっちがフロストだ。……顔を見せないのは失礼だと思うけど、事情があるんだ。許してくれ」

「あ、それは別に気にしてないです。えと、私がONEで、こっちがリリィ、これがKです」

「おい、って言うなよ」


 不服そうに口をとがらせる空噛を無視して、彼らと一緒に森を出る。フロストのピッタリ隣にヴォルトがくっつくと、フロストが彼の腕を組む。ローブの上からでもわかる巨乳がつぶれたが、みて見ぬふりをした。

 私たちに前を歩くよう促すが、唐突に始まったいちゃつきに戸惑いを隠せない。


 彼らのことを空噛は『まじないコンビ』と呼んだ。すくなくとも姉弟ではないということ。

 盲目の人が使うような白杖に、支えるような腕組み。思わず邪推してしまう。


 ――いや、エデンでそんなわけが無いか


 しばらく森を歩くと、はるか遠くから虫の羽音が聞こえる。


「バトルビーだ!!」


 木々の隙間から現れたのは大きな蜂の大群。一匹一匹が人間の頭サイズの大きさで、派手な警戒色が森の中で目立っていた。

 大きく分厚い翅で空気を切り裂き、それらが合掌のようにかき鳴らされるのはまさしく不快の象徴。


 鋭い牙をがちがちと打ち鳴らし、複数で取り囲まれる。

 バトルビーの最大の特徴は『熱』

 蜂の代名詞でもある猛毒を失った代わりに発熱器官が異常に発達しているのだ。とくに厄介なのは群熱と呼ばれる能力で、複数の個体が居ると熱が増幅する。


 まだ3mは離れているというのに、6匹の蜂の熱気が伝わってくる。

 高速に動く羽からは形容しがたいにぶい羽ばたき音がかき鳴らされ、だんだんと距離を詰めてくる。


「ゴミクズ共……死神に祈れ!!」


 首筋のプラグにドーピング剤を打ち込み、両手にナイフを構える。

 木陰からこちらを窺う1匹の蜂に突っこんでいくと、羽をもぎ取るようにナイフを滑らせた。

 けれど、蜂の群れは単身飛び出した空噛を許さない。


 あっという間に囲まれると、複数の方向から囲まれた。全員が尻尾を空噛に向けており、熱をチャージしている。その温度は、離れている私達にまで届くほど。

 じりじりとアーマーの耐久力が削られて、空噛が苦痛の声を漏らす。


「はぁ、使わずに済めばよかったのに……」


 シャンッ!!と白杖を地面に打ち付けると、空噛の周囲を氷の壁が囲んだ。

 今までの熱を一切奪い盗るように凍てつく白銀の世界が生まれたかと思うと、辺りに雷鳴がとどろく。


直流2000Vハイ・ヴォルテージ!!」


 空からはバチバチという派手な音と、どす黒い曇天。

 複雑に枝分かれした雷が5匹のバトルビーに降り注いだ。


「今のは!?」

「まるで魔法のようですね。いえ、


 さゆりが意味ありげに2人の方を見遣る。フードの外れた2人の姿は、10年以上もエデンゲームで生き残ってきたとは思えぬほどに若々しい。


 目立つ原色の黄髪。根元は微かに黒いが、派手な色合いをしている。猫のようなつり目が特徴的で、どこか童顔であり体格も相まって、中学生程度にしか見えない。

 これがヴォルトの素顔……。


 フロストの方は、全体的に雪のように白かった。

 目を奪われるような長い白髪を三つ編みで結んであり、細く色白な体。令嬢のような華奢な体格をしていて、穏やかな糸目からは気品を感じる。


「俺たちは魔力を持って生まれた、魔法使いなんだ。エデンゲームでは呪という姓を名乗っているけど、実際はただの他人同士で、エデンゲームで出会った。こうみえても、今年で30を超える年齢なんだよ」


 お茶目な顔で言うヴォルトは嘘をついているとは思えない。


「私が氷系の魔法が得意で、ヴォルトは雷系。安直な名前だけど、分かりやすいでしょ」


 よく見てみれば、2人の胸元には怪しい紫色の魔石に穴をあけたネックレスを着けている。特定のエネルギーが込められているわけではなく、あくまで魔力の流れを操作しやすくするための媒体のようだ。


「あの、ずいぶん目が細いようですが、それは見えているのですか?」


 フロストの糸目について尋ねるが、予想外の質問に対して全員が呆気にとられる。微かに笑みを浮かべてから、瞳を抑えると、無理やりに開いた。

 しかし、その中にはあるべきものがない。


「モンスターにやられて眼球を失くしました。義眼を嵌めても腐り堕ちてしまう呪いです」


 空洞になった瞳の奥を見せびらかした後、さらりと手を離して、胸元の魔石を握り締めた。


「幸いにも、魔力を操作すれば当たりの状況は読み取れます。杖もありますし、ヴォルトも支えてくれますしね」

「アハハ。当然のことだよ。それより、君たちはこのことを誰にも言わないでほしい」


 軽く笑いながらも、ヴォルトの目は真剣だった。ローブやフードを使って正体を隠し続けたのは、自分たちの希少性とドラマティック・エデンの悪趣味さを掛け合わせれば、碌なことにならないと分かっているのだろう。


 バトラーには事情を説明してるが、高い金を払って隠蔽に協力してもらっているらしい。


 つまり彼らは、ドラマティック・エデンに飼い殺されているのだ。


「私たちは自由になりたい。普通の生活を送りたい」

「そのためにここまで来たんだ。あともう少し、頑張ろうじゃないか!!」


「……そういう高い目標を持ってる奴は、素直にかっこいいと思うぜ。だからこそ、まだ向こうでくすぶっていやがる害虫どもを潰さなきゃならねぇ」


 ブブブブという嫌な羽音。

 先ほどの斥候を倒したことでさらに大量のバトルビーがこちらに向かって侵攻しているらしい。


 木々の隙間を器用に通り抜けながら大量の蜂が飛んでくる。逃げようにも私たちの進行ルートを阻んでおり、アレを突破するほかない。

 空噛が自分の首元にもう一度ドーピング剤を打ち込もうとすると、ヴォルトが制止する。


交流1.5Vブーストヴォルテージ


 空噛の首元に人差し指を押し当て、小さな電流を流す。

 微かな衝撃に顔を強張らせるが、意図が読めずに不思議そうな顔で見つめる。ヴォルトの後押しもあって、不審がりながらもナイフを構えて発走する。


 ダァン!!


「うっそ、速すぎる……!!」


 加速のドーピング剤なんかよりもずっと速く。

 木々をなぎ倒さんばかりの勢いで、バトルビーの群れへと突っ込んでいった。無策で突っ込む空噛を嘲笑って、尾針に熱を蓄えて射出する。

 しかし、全ての火炎を躱しながら、的確に一匹ずつ屠っていく。


「なるほど、なかなか便利な魔法ですね。私にもお願いします!!」


 ワクワクとした様子で、さゆりも催促するが、そんな暇はなかった。


 すぐ背後からの伏兵。


 咄嗟にハンドガンを構えるが、あまりにも遅すぎる。

 チャージの終えた火の玉を掲げて尻尾から撃ちだす。咄嗟に防御姿勢を取るが、いつまでたっても炎は届かない。恐る恐る開けると、目の前には氷壁がそびえたっていた。


 その中には冷凍された蜂の死体。


 あまりに一瞬の出来事に驚いていると、パァンと乾いた音が鳴る。

 フロストの鈍い悲鳴とヴォルトの怒鳴り声。白い粉雪が舞うように彼女の体は吹き飛ばされた。


「ウッドミュータントの奇襲ですか……」

「このタイミングで……!!」


 背後から現れたウッドミュータントに思わず顔をゆがめると、森の奥から一体のオークが現れた。

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 シスターが魔法を使えるのは、死神の力によってです。

 大抵の場合後天的に魔力を獲得するしかなく、生まれ持ってくるのは稀。

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