だったら立ち上がれよ
意地の悪い嫌みな笑い声が会場中に響き渡った。
すでに私たち以外のプレイヤーは帰宅しているようで、私たちを待っていたバトラーとそれを2階の観客席から眺めて楽しんでいた悪趣味な連中しかいない。
すりガラスになっていて、向こうにどれだけの人間がいるかは分からないが、好奇の視線と哀れみや同情、そして意地汚い愉悦心が重くのしかかる。
「いやぁ。じつにドラマティックに彩られていましたね。とても素敵でしたよ」
「御託はいい。さっさとペナルティの内容を告げろ」
丁寧な口調と、貼り付けたような笑みを変えることはないが、その真意は悪意と嘲笑で満ちていた。
繁華街を歩くホストのようにギラギラとした笑顔を浮かべると、パチンと指を鳴らす。舞台へと歩いていくのに合わせてモニターが降りてくる。
「皆さんには、ラヴェーヌ谷でこのモンスターを倒していただきます。これも失敗するようであれば、廃棄してモルモット行きです。どうか必死に頑張ってくださいね」
ミニアラクネ――ゴブリンに寄生するクモ型のモンスターだ。
ゴブリンの脳に卵を産みつけ、徐々に支配していき、完全体になると、ゴブリンの下半身を乗っ取って自分の体を形成する。そして自分たちが足りない思考力をゴブリンの脳で補う。
上半身は虚ろな目をしたゴブリンだが、下半身は完全にクモ。
私たちの世界で言えばオオツチグモ――いわゆるタランチュラに近い――とよく似た形状をしているが、毒性が強く糸の粘着力も高い。
通常、8つの目がクモの特徴とされているが、ミニアラクネはクモ部分に4つの目を保有し、ゴブリンの目とゴブリンの頭から生やした触覚で物を検知する。
見た目のグロテスクさでいえば、モンスターの中でも上位に位置している。
「ミニアラクネを5体、倒してきてください。監視ラメラを壊されるので邪魔なんですよ」
モニターがラヴェーヌ谷に設置された監視カメラの映像を映す。しかしクモの糸が張られていて、視界が塞がれていた。
バトラーは肩をすくめておちゃらけた様子で言うが、本当にイライラしているようだ。
今日のドラマティック・エデンはこれで営業終了であり、ペナルティミッションは明日となった。
送迎車に乗り込む去り際、バトラーが思い出したかのように言う。
「ああ、ペナルティですので、報酬はありませんし、リタイアの恩情もありません。クリアするか、そこで死ぬか。どちらかになります。分かっていますよね?」
「……言われなくても、嫌と言う程理解しているよ。そのせいで、尊は死んだんだからな」
バトラーを睨みつけて吐き捨てる。唇をかみしめる空噛の顔は、みたこともないような泣き顔だった。
翌日、準備を整えてドラマティック・エデンでミッションの開始を待つ。
どれだけ高報酬の依頼を出しても参加者が集まらないラヴェーヌ谷の扉の前に、派手で真っ白なスーツを纏ったバトラーが立っていた。
「アハハ。逃げずに来たのですね。それでは、ドラマティックに頑張ってください」
バトラー自らがエデンへと繋がる扉を開く。
私たちがラヴェーヌ谷に入ったことを確認すると、勢いよく扉を閉めた。
――これでもう、逃げられない。
三人が横一列に並んでも余裕のある大きな亀裂。
地上ははるか遠くであり、見上げても澄み渡るような青空が見えるばかりで、登れそうもないような反り返った岩肌が私たちの気分を下げる。
思わず顔をしかめるほどの腐臭と吐き気を催すよどんだ空気が漂っていた。
谷底まで空気が循環しないせいで環境の劣悪さはトップクラスだ。
空気も濁っているが、なにより魔力が歪んで変質化しているせいで、ここに登場するモンスターは特殊なのだ。とくに人間の死体から生まれるゾンビやスケルトンは、非常に厄介である。
「相変わらず死体は増えてるみたいだね」
ラヴェーヌ谷の歪んだ魔力は私たちの世界とつながりやすくなっている。いわゆる神隠しの類はここにたどり着いて、そのまま野垂れ死んでしまうことが多いらしい。
さらに言えば、とあるマフィアが口封じに殺した死体をここに遺棄しているという噂もある。
「あまり長居したい場所ではありませんね」
「そうだな。こうも死臭が強いと気が滅入ってくる」
「……2人でもそんな風に思うんだね」
空噛はアーマーの下に着ている黒のパーカーを持ち上げて口元を隠している。
私とさゆりはポロシャツのようなスポーツウェアを着ていて、空噛の真似は出来ない。代わりに布切れをマスク代わりにしている。
「銃創のある死体に、白骨死体……。この谷はある種の地獄のようですね」
「それはたしかに。言いえて妙かもね」
ため息をつきながら、ミニアラクネを探す。もう少し奥までいかないと見つからないだろうか。
死体の山を飛び越えながら歩いていると、さゆりの鈍い悲鳴が聞こえる。
慌てて振り向くと、1体の白骨死体がサーベルを構えて彼女に襲い掛かっていた。すんでのところでガードできたようだが、全く気がつかなかった……。
「スケルトンか!! クッソ、運が悪い……」
動く白骨死体、スケルトン。
理科室にあるような骨格模型を骨太にして、サーベルを持たせれば出来上がりの、分かりやすいモンスター。余分な肉がないのでアンデットの中では素早く、むき出しの魔石は硬い肋骨で阻まれており、サーベルには呪いが付与されていて、一度斬られれば出血が止まらなくなる。
――今回のミッションでは2番目に戦いたくなかった相手!!
他のモンスターを呼び寄せるフライバットの次に厄介だ。
なによりも、シンプルな強さが桁違い。
「骸骨風情が、私の邪魔をしないでください!!」
サーベルを押し返して、左手のクロスボウを構える。
スケルトンはその特性上、爆破と打撃に弱い。
さゆりの完璧な作戦に感嘆の息を漏らすと
パシュッ!!
渇いた射出音と、白い軌跡。
彼女の腕には粘着質な蜘蛛の糸が絡まっており、咄嗟に放たれた方向を見る。
「ミニアラクネ……!! このタイミングかよ!?」
壁際に張り付いてこちらを窺っていたのは2体のミニアラクネ。
寄生されているゴブリンたちは背中を向けており、クモのお尻から糸が飛ばされているようだ。
パシュッパシュッ!!
2連続で糸が射出されて、さゆりの体を器用に絡めとる。クモの背に乗ったゴブリンが、腕を不自然な方向へとまげて、思いきり糸を引っ張った。
「しまっ……!!」
されるがままにさゆりの体は空中を浮かんで壁際へと叩きつけられる。
そして追い打ちをかけるようにミニアラクネの糸いぼ―糸を射出する専用の器官―から糸が紡がれさゆりの体は岩壁に貼り付けられた。
身動きが取れない彼女にミニアラクネはゆっくりと近づき、麻痺毒を注入する。
「あ……が……!! ああ!!」
長い髪を振り回して半狂乱になっているが、色の抜けた顔がだんだん青く染まり、濁った血が血管を通るのが浮かび上がり始めた。
毒が回って血圧が下がっていっているのだ。
一種のチアノーゼを引き起こしており、病的な白肌は、蒼白へと変化していく。
「時雨さゆりがヤバいな。俺はアッチを片付ける。霞一花、ソイツは任せたぞ!!」
「ちょっと待ってよ!! 任せるって言ったって……」
奇襲を仕掛けた
――どの弾丸なら有効だ。
「カラカラカラ……」
言葉のつもりなのか、むき出しになった顎を震わせ歯を鳴らす。
じりじりと距離を詰めてきて、十分な間合いになるといきなりサーベルを振り下ろした。
咄嗟にバックステップで躱して、2丁のハンドガンを向けて射撃。
弾丸が虚しく骨の隙間を通ると、スケルトンの横薙ぎの一閃が私の首を捕らえる。
――私の腕じゃ当たらない。しかもコイツ、めちゃくちゃ早い!!
肉の無い身軽さを利用してさらに距離を詰めてくる。流れるような剣閃を必死に避けて、銃口を向けるが、隙間だらけの的に当てられる気がしない。
動くたびに鳴り響く骨の擦れる音が集中を乱す。
「的が小さいなら、弾を大きくすればいいじゃない?」
背負っていたキャノンを滑らせ小脇に抱える。
大きな砲台を前にして微かに動揺を見せるが、時すでに遅し。
「グッバーイ!!」
50cmにも満たない距離での至近距離爆撃。キャノンの弾ならばスカスカのスケルトンでも圧し潰せるだろうとほくそ笑んでいると、砲弾の中心をサーベルで突く。
私もろとも大爆炎。
炎と煙が消えた中で、スケルトンは悠然とたたずんていた。
あの瀬戸際で圧倒的に不利だったにもかかわらず、予想だにしない最適解を導き出して、あまつさえ反撃の一手を考える余裕すらあった。
――ああ、これも無理だ。勝てるわけがない。
結局のところ私には先頭のセンスなんてないのだ。
私はさゆりや空噛と違って、ドラマティック・エデンにふさわしくない。引き金を引くのもためらうし、作戦の思慮も浅く、憂うべき備えを用意していない。
家族を守りたい? そんな気持ちだけの問題で命がけのゲームを乗り越えられるわけがないのだ。
ちょっとアルバイトをしただけで、金の重さを理解した気になっていただけの
だから、ここで、無様に死ぬのだ。
カタカタと笑っているスケルトンが私の首元にサーベルをあてがう。
その無機質で空洞な目をみても、何も感じない。
私は死の寸前であっても家族のことが頭から離れないらしい。
「ごめんね。結局、救ってあげられなかった……」
「カラカラカラ……」
骸骨が無遠慮にサーベルを振るう。
スローモーションの景色の中で、最後に思い出したのは弟妹の無邪気な声でもなければ、両親の顔でもなかった。
「おぎゃあ。だぁーあ」
――八栄……。また、一人ぼっちになっちゃうね
「ぎゃあ!! ああ!! だぁああ」
先月新しく迎えたばかりの家族。
穢れを知らない笑顔と、私を案じ、代わりに流してくれる涙を思い出す。
「……なんで諦められる。家族を救うんだろ。だったら立ち上がれよ霞一花!!」
喉が裂けるほどに声を張り上げる。
首めがけて振りぬかれたサーベルをつかみ取ると、握りしめたままスケルトンを見上げた。手のひらが斬れて血が流れようとも知ったこっちゃない。
「まだ、誰も救えていない。あの子たちの希望を取り戻していない。だったら、死んでる場合じゃないだろう!! 私の家族は、簡単に捨てられるほど軽くないんだよ!!」
私の罪過はまだ拭えていない。だというのに、ここで挫けるなんて、あまりに無責任だ。
あの子たちの命を拾ったのなら、その責を果たせずに勝手に死ぬなんて理不尽にもほどがある。
「ここで死ねるほど、私の罪は軽くないんだよ!!」
全身が悲鳴を上げるのを無視して立ち上がる。
痛い。痛い。痛い!! 今すぐにでも死にそうだ。けど、死ねない。
「お姉ちゃん舐めんなよ!! 私は、あの子たちの
痛みをこらえて立ち上がると、スケルトンの動揺が手に取るようにわかる。一瞬サーベルを持つ手が緩むと、掴んでいた刃先を引っ張って武器を奪う。
すぐに投げ捨てて、腰のホルスターにしまったハンドガンを取り出した。
「胸がダメなら頭。頭がダメなら手。手がダメなら足。足がダメなら、粉々になるまで撃つ!!」
ブースターのアタッチメントを取り付けたシンプルなデザインのハンドキャノンから硝煙が立ち昇る。銃口が熱を持って、命の重みが重くのしかかった。
反動で私の骨が折れたことで、アーマーが機能を失っていることに気づく。
空っぽの脳髄を弾丸が通り抜けて、糸の切れたマリオネットのように事切れる。
魔石は逸れたが、司令塔を失ったことで動きを止めたようだ。
「ああ、もうマジで無理。死ぬ」
流血が止まらず意識がもうろうとし始める。
スケルトンの体が崩れるのを見届ける前に、私はその場へと倒れ込んだ。
少し離れたところでは、二人のサイコパスが炎の中で笑い合っていた。
そこら中に火をつけて、クモをあぶり殺して楽しんでいたようだ。
「あんなの、一生真似できる気がしないわ」
狂った高笑いが頭に響くが、なんだか、それすらも心地よく感じてくる。
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ペナルティがクリアできなかった場合、借金などがある場合は新しく開発した薬のモルモットになり、特に何もなければ、ランクが下がります。
☆1の状態でペナルティを失敗すると、安全が確立された航路で薬草採取などをさせられます。(一応通常時も志願すればやらせてもらえる)
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