第36話 居酒屋のノリで義眼店行く奴

『四日目 都市最高峰』


 神々しい朝日がとある宿屋の部屋に差し込む。その光は心地の良いものであったが、寝ていた者へは少々苦しい物であるから不思議だ。


「う、うん」



 寝ぼけた声で日差しを布団をかぶって遮断する。だが、一度浴びてしまった太陽の光を忘れることが出来ずに遮断していた日の光を布団を剥がして再び浴びる。体を起こして背を伸ばす。



「うーん……なんか、起きちゃったな」



 アリスィアはいつもより少し早めに目が覚めた。起きたばかりなのにあっさりと眼が冴えた。隣にはフェイが静かに寝息をたてている。ただ、片目にはガーゼのような物で覆われている。


 昨日、自身を庇ってフェイは左目を失ってしまった。それを思い出して悲しくなるが、頭を振って切り替える。そして、再びフェイの顔を見て、思わず眼をパチパチと閉じたり開いたりした。それほどの衝撃に近いもの。


「やっぱり、寝顔は可愛いのよね……意外すぎるわ、本当に……」



 恐る恐る、フェイの頬に触れた。ちょっとぷにぷにしている。触った瞬間に噛みつかれるのではないかと言う恐怖があったのだが、杞憂であったために彼女は安堵した。


 安心して筋肉が緩み、アリスィアは思わずへたりと頭を垂らす。


 そして、フェイの掛布団の下が妙に盛り上がっているので、どうせ例のアイツが居るのは分かってはいるが布団を下ろす。


「うわ……また、裸……」

「はにゅ……?」


 若干引いたアリスィア。流石に異性と同じベッドで一緒に寝ているのに無防備すぎる。だが、それは自身の事を完全に棚に上げている。そもそもアリスィア自身もフェイの隣でぐっすりと寝ているからだ。


 全裸のモードレッドが寝ぼけ顔でフェイの身体の上に寝転がっていた。金色の髪が微かに跳ねており、光が布団内に差し込んで彼女が眼が覚めていく。


「ふぁぁぁ……おはよう、ございます……」

「服着なさいよ」


 彼女に脱ぎ捨てられた服を投げつける。それは彼女の顔に当たり、投げつけられたモードレッドは微かに眉をひそめた。


「下品な方」

「いや、アンタが言うんじゃないわよ」



 袖に腕を通して、彼女は着替える。そして、未だ寝ているフェイの顔を見てニヤニヤ笑いながら、手を伸ばす。



「ちょっと、起きたらどうするのよ」

「いいじゃありませんの。優しく触りますし」

「ふん、起きても知らないからね」



 先ほどまでフェイぷにぷにをしていたとは思えないほどのアリスィアの発言。アリスィアがフェイぷにぷにをしていたとは知る由もないモードレッドはニヤニヤしながらフェイに触れる。


「そう言えばさ……昨日アンタ凄い喘いでなかった?」

「はて? なんのことですか?」

「いや、聞こえたのよ。アンタの喘ぎ声みたいなのが……」

「気のせいではなくて? ワタクシには全く、これっぽちも心当たりはありませんわ」

「そう……そこまで言うなら私の聞き間違いなのかしら?」

「ワタクシが嘘をついているかもしれないという可能性も考慮したほうがよろしいのでは?」

「そうね……つまりは……って! 迷うからやめてよ! なに!? 結局喘いでたの!?」

「さぁさぁさぁ? 知りませんわ♪」

「むっかつく……」



 人を喰ったような対応にイライラするが朝からそんな気分では行けないと思い、呼吸を整える。モードレッドは興味を無くしたようにアリスィアから視線を逸らしてフェイの服をめくる。



「ちょっと、それは流石に」


 アリスィアが彼女の行動を止める。流石にそんなことをしてしまったら、いくらぐっすり寝ているフェイとは言え起きてしまうと思ったからだ。



「いいじゃありませんの。一緒に寝ているわけですし……うわぁ、やっぱりフェイ様の腹筋バキバキで興奮しますわ♪ たぎって来ましたわ♪」

「なんでよ」

「はぁはぁ……ワタクシフェイ様限定の筋肉フェチですわ♪ 特にこの傷跡が沢山あるのが最高♪」

「なんでよ」

「あぁ、この傷はワタクシが以前フェイ様をぶっ刺して、大量に出血をさせてしまった時の傷♪ ワタクシの傷がフェイ様の体に刻まれているのと言うのは物凄い、良い味でてますわ♪」

「なんでよ」

「あぁ、やばい、興奮しすぎて鼻血でちゃいそう♪」

「なんでよ」

「昨日の夜も凄い興奮したのに……朝も朝で凄い興奮しますわ♪」

「なんでよ」



なんでよ。と怒涛のツッコミを叩きこむアリスィア。一般人に近い価値観を持っている彼女の眼にはモードレッドがただの変態に見えていた。



「貴方様には分かりませんの? この、筋肉……クフフ、これマジでヤバすぎですわね♪」

「そんなに? ふーん、そこまで言われるとね」



気になって手を伸ばして、フェイの腹筋に触れた。実はアリスィアは気になっていたのだ。モードレッドが散々煽るような言い方をしていたのが尚更であるが、何とか一般人の価値観で留めていた。



それは流石に……と。だが、逸般人いっぱんじんのモードレッドが居るせいで若干倫理観が崩壊しかけていた。朝起きていきなりのフェイぷにぷにがその証拠である。


まぁ、あの子もやってたし、私もやって良いかな? という同調圧力によって、知らず知らずにモードレッドにアリスィアは毒されていた。



(あ……これ、すごい……なにこれ? 人間ってこんなに固くなるんだ……あ、え? もっと触って、見たいかも……)



(自由都市に腹出して歩いている奴居たけど……多分、そこら辺の奴とは全然違う……。他の奴の触ったことないけど……多分、フェイの腹筋世界最高峰だ。何となく分かる……私のと全然違う。シックスパック? って言うのかしら?)



(えぇ? 嘘でしょ? どんな鍛え方してたらこうなるのよ?)



 徐々に興味が深くなっていく。気付けば彼女は手の平を全部押し当てて、フェイの体のエネルギーを感じていた。次第に息が上がって行く、それを見てニタニタしながらモードレッドは囁く。



「ようこそ、フェイ様の腹筋フェチの世界へ♪」

「違う! 私は違う! そんなんじゃない! これはあれだから! 強くなるために仕方なく触ってるだけだから! 社会体験だから!」

「ふっ、貴方様も先ほどからフェイ様の筋肉を触っているとき荒い息をたててましたわよ? もう、呑まれているのではなくて?」

「ないわ! 私をアンタみたいな変態と一緒にしないで!」

「あらあら、そんな事言っても体は正直みたいですわね。手の平でずっと感じているのがバレバレですわよ?」

「ち、違うってば……」



 初めて、強靭な異性の体に触れた。しかも、それは通常の男のそれではない。フェイは魔術適正が無属性しかない。魔術のバリエーションに置いて彼は全くの才を持たない。ならばと無属性に出来る身体強化に眼を向けたが、星元操作の才能もないために強者と渡り合うためのカードがない。


 だから、取りあえず体を虐めて来た。素の体の数値を一として、魔術によってそれを十倍出来るのが常人なのであれば。フェイは素の体を何としても他者よりも高めようとしてきた。


 劣っていると知っていたから、それを埋めるために筋肉を鍛えて鍛えて鍛えて、鍛えて鍛えて鍛えて鍛えて鍛えて鍛えて、鉄を何度も打って名刀を作り出すように。必死に鍛えて鍛えて鍛えて。


 それは未だ果てにない。だとしても、常人の領域を遥かに逸脱したフェイの筋肉は逞しく成長していた。


 ユルル・ガレスティーアも以前虜になってしまったように。モードレッドが惚れこんでしまったように。それは雄が放つ、圧倒的エネルギーの奔流とも言えた。


 ユルル、モードレッドは異性と言うのに全く無頓着であった。初めて触れてしまった異性がある意味では雄の最高峰と言うのが最悪であったのかもしれない。


 初めて食べたのが三ツ星フレンチ料理で基準だと考えてしまったら、後から来るのが全部、イマイチに見えてしまうのと同じ原理。それはアリスィアも同じ。初めて触れたのがフェイであるなら、その衝撃は消えない。


 頭の中が吹っ飛ばされるほどの、価値観が崩れるフェイの筋肉。たとえ、触れる機会がこれまでの人生に彼女にあったとしても、一瞬で頭の筋肉の価値観の世界が世紀末になるのは言うまでもない。それほどにフェイの筋肉は極まっていた。




「そろそろ、止めた方がよろしいのでは? フェイ様起きてしまいますわよ?」

「も、もうちょっとだけ……確かめないと、これが、一体全体どんな、あれなのかッ、まだ、全然分かってないからッ」

「あらあら……フェイ様の筋肉は罪な筋肉ですのね」




暫く触るが、そこでアリスィアはハッと我に変える。これではあのモードレッド変態と同じではないかと。そこで名残惜しいが彼女は手を離した。



「あら? 終わりますの?」

「えぇ、アンタみたいな変態と一緒になりたくないからね」

「もう、とうに手遅れかと思いますが……まぁ、いいですわ」

「私は変態じゃないわ、そう、私は変態じゃない。よしよし」

「言い聞かせてますわね」

「それより、コイツ全然起きないわね。大分、騒いで触ったのに」

「フェイ様って不思議なお方ですから常人とは色々と食い違っている点があるのでしょう」

「どういうこと……?」

「フェイ様って、普段から自分自身の痛めつけているでしょう? 前にも言った気がしますが人間って無意識のうちに自分自身の体をセーブする……一日の体力配分を無意識にしているのですわ。でもフェイ様はぶっ飛んでいますからそんな事しない」

「見てるから分かるわよ」

「でも、フェイ様の体は疲弊している。だから、効率よく寝ている。でも、これって安心できる方の側でないとしないはず……」

「安心できる人の側で効率よく寝てるってこと? 存分に回復できるときに体力回復してるみたいな?」

「そうそうそうなのですわ♪ つまり、ワタクシはフェイ様からは信頼を得ているということ♪」

「ふーん。ちょっと理解しがたい気もするけど……分からなくもないわね。人間ってそんな感じで生きるのかと思うけど、コイツに普通って一番似合わないし……ただ、アンタに安心感は無いと思うわ」

「はい?」

「いや、アンタのどこに安心して休める要素があるのよ。どう考えても私に安心感感じてるでしょ。アンタは絶対ない」

「ふふ、ワタクシなんて安心感の塊ですわ」

「いやいや、不安と恐怖の塊よ」



フェイは確かに、一日の活動の為に寝れる時に寝ている。危険地帯では寝ていても感覚は研ぎ澄ませるが流石にそれでいつもと言うわけには体の便宜上不可能。モードレッドが言っているように安心に近い場所ではなるべく完全にスイッチを切っているというのは割と正しい。


ただ、それが一体、どこからくる安心感なのか。それは本人しか知る由もない。



そして、フェイの体内時間は完璧に整えられている。ある時までは死んだようにしているが、ある一点を超えると訓練をしなくてはならないのでぱっちり目を覚ます。



「……」

「フェイ様おはようございます♪」

「……あぁ」



 淡泊に返事をすると起きたばかりと思えないほどにすんなり体を起こして、身だしなみをテキパキ整えて、剣を持つ。そのまま黙って外へ出て行った。


「アイツ……やっぱり変わってる」

「ワタクシも一緒に行きますわ♪ フェイ様お待ちになって♪」

「アイツも変わってるわね……面子濃すぎでしょ……まぁ、私も行くけどさ」



 常識人面をしてアリスィアはフェイとモードレッドを追って行った。



◆◆



 フェイとモードレッドが朝練をして、ひと汗かいた。例のようにフェイは気絶をして、モードレッドの膝の上。左目を失ったフェイは視野が狭まって思うように動けていなかった。



「……」

「フェイ様、おはようございます。約束通り、義眼の店へ向かいましょう」

「……そうだな」



 フェイとモードレッド、そしておまけのwithアリスィアは義眼店へ向かって出発をした。行く途中でモードレッドがフェイの腕に絡みつく、スタイルの良い彼女の豊満な胸がフェイに当たるが一切動じないフェイ。寧ろそれを見ている周りの男性冒険者達が羨ましくて舌を噛んでいた。


「……どうせ派手に抱いてるんだろうな」

「女見せつけて楽しいのかね? あー、やだやだ、優雅に腕組んじゃってさ? ……羨ましい」

「いや本当に。全然羨ましくないよね? あーやだやだ、ああいうのにはなりたくないね……羨ましい」

「あんな風に女性と歩いてみたかった……羨ましい」

「後ろの背後霊みたいな女の子もまた可愛い」

「あれ? アイツ、隻眼のフェイじゃないか?」

「え? 誰だよ? 知ってんのか?」

「馬鹿、昨日のあれ聞いただろ? 片目を失った冒険者が居たって」

「あぁ、あの溝鼠が誤射して――」



 その先を言う事は無かった。ギロリとフェイの眼がそこへ向けられて、圧が降った。即座にフェイ達から目線を外して、その冒険者達は黙る。


「――ッ」




 そのまま、フェイ達は去って行った。空気が戻った後、冒険者達は再び語り合う。



その様子を見ながらとある二人組が話す。『情報屋』の二つ名を持つ、男性冒険者、名をマスコイ。そして、自由都市で新聞記事を出している同じく男性冒険者名をスクーフ。マスコイは強面で毛むくじゃら剛毛な中年男性。スクーフは体の線が細い中年に差し掛かる男性であった。


 二人は酒を飲みながら隻眼について話す。



「隻眼……それがアイツの二つ名ってことか?」

「そうだ。あと、アイツと一緒に居た金髪美女いるだろ?」

「あの、けしからん程にたわわを押し付けてた」

「違げぇよ。隻眼の後ろに居た金髪の方だ。アイツは……あれ? 二つ名は覚えているんだが……名前なんだっけな。アリ、アリ……すまん、隻眼が濃すぎて忘れた」

「おいおい、勘弁してくれよ。記事書けないだろ。まぁ、いいや、二つ名は?」

「背後霊」

「は? なんだそれ?」

「隻眼の後ろずっと付いて回っているからこの二つ名がついたらしいぜ。しかも、ご飯とか宿代とか全部出させるらしい」

「わお。かなりの悪女だな……背後霊か……あのもう一人の美女は?」

「アイツは知らない……だが、メッチャ別嬪だったな。あれは多分、抱いてるな」

「羨ましい……3Pとかしてるのかな?」

「だろうな」

「最高じゃねぇか……俺も隻眼になればハーレムになれるのかな」

「あんまり、そう言うことを言うもんじゃねぇよ。隻眼だって失いたくて、失ったわけじゃない。それに、失ったのは昨日だ。意外と心の中は荒れてるかもな。まだアイツ、自由都市来て三日しか経ってないらしいし」

「災難だな……アイツは記事にするのはやめておくか……」

「あぁ、そうしろ……それに……アイツには手を出さない方がいい。さっきの圧でも分かったが……あれは魔物だ」

「確かに、かなりの物だったな。俺自身に向けられたらヤバかったかもな」

「お前も記者である前に冒険者なら覚えていた方がいい。世の中には絶対に踏み込んではいけない領域がある。アイツは多分、そう言う領域そのものだ」

「そうなのか?」

「……これはオフレコで頼みたいんだが……アイツはここに来た一日目に一階層でリザードマンと死闘を繰り広げ大怪我を負ったらしい」

「まじか」

「二日目にはあの連続殺人の犯人と交戦。そして、死にかけながらも生きながらえて助かったらしいぜ」

「まじか……それで三日目で隻眼って……疫病神かなにかか?」

「それは分からんが、隻眼は接する距離を……誤れば……喰われるぞ」

「……わ、分かった。アイツにはなるべく関わらないでおくことにする。俺は今回の事を描かない。これでいいな? だが……他の奴はどうだろうな」

「自由都市にはかなりの悪質な記事を書くやつも居るから……隻眼達は面倒事に巻き込まれるかもな……。それに、また噂になっている溝鼠も元を辿れば、その悪質な記事が今までの悪評の原因って話もあるらしい」

「溝鼠ってあの……誤射をした……結局お咎めも何も無かったんだろう?」

「らしいな。隻眼は一体何を考えているのか俺には分からん。ただ、何だか、荒れてきているな」

「……」

「長年の勘だが……荒れるぞ。時代が……」



 隻眼の登場……それは新たなる時代の幕開けを予感させた。



◆◆



 自由都市は広大な迷路のように広い。メインストリートは比較的に道は分かりやすく、最大手のレギオンの拠点がある場所などもメインストリートから近い場所に置かれている。


 だが、そこからかなり離れて入り組んだ地形。通路が狭かったり、活気にあふれていないような場所。


 物静かな道のりをフェイ達は歩いた。暫く歩くと、素朴な作りの一軒家の前でモードレッドは足を止めた。彼女はノックをする。すると、中から萎れたような女性声が響いた。



「開いてるよ」

「……失礼しますわ」



 フェイ達は中に入った。そこには椅子に座って眼鏡をかけている老婆が読みかけていた本から丁度、眼を離して、尋ね人達へ目を向けている所だった。



「なんだい。お前さんがここに来るなんて……明日はゴブリンでも降って来るのかい?」

「さぁ? そんな事ワタクシに聞かれても知りませんわ。それより、義眼をくださる? フェルミ様?」

「なんだいなんだい。元使用人だからって、こき使うってのかい?」

「そんなつもりはありませんわ。ただ、義眼をここで売っているのでしょう? でしたら、義眼を売ってくれと言っているだけですわ」



 白髪で腰が曲がっているフェルミと言う婆さんが溜息を吐きながら、本を閉じる。そして、モードレッドがずっと腕を組んでいるフェイに目を向ける。



「そっちの男にかい?」

「えぇ、フェイ様に義眼を与えたいのですわ。昨日、パーティーメンバーに誤射されてしまったようで」

「あぁ、なるほど。そいつが噂の隻眼って訳だ……それで? ずっと腕を組んでるけど、まさかお前さんの男だなんて言うわけじゃないだろうね」

「そのまさか、と言いたいところですが……今は違いますわ。今は」




 フェルミとモードレッドは知人のようでペラペラと憎まれ口のような会話を繰り広げる。アリスィアが気になってモードレッドに声をかける。


「ちょっと、アンタとそのお婆さん知り合いなの?」

「えぇ、元ワタクシの使用人ですわね」

「元?」

「ワタクシ、実は元々はとある貴族の娘だったのですわ。まぁ、没落しましたけれど。その時の彼女は使用人ですわ」

「えぇ!? アンタ貴族だったの!?」

「鈍いですわね。このあふれ出る気品で分かりそうな物ですのに」

「いや分からないわよ! 全然あふれ出てないし!」

「フェイ様はどうですか? ワタクシが貴族と聞いて驚きましたか?」

「いや……察しは付いていた」

「まぁ♪ ワタクシの高貴な雰囲気を見抜いていただなんて♪ 流石ですわ♪」


 アリスィアは驚愕、だが、フェイは静かに、淡々と佇みながら事柄を述べた。


 そこに驚きはない。本当にそれが分かっていたように。既知感のある存在には興味がないようにジッと一人だけ切り離された存在のように話が終わるのを待った。


 アリスィアとは反対の佇まい。そしてアリスィアの驚き。それを更に、追い打ちをかけるようにフェルミが話を続ける。



「しかも、コイツはただの貴族じゃない。原初の英雄アーサーの血を引いていた特別な家系の子だよ」

「は、はぁ!? アンタ……実は凄い奴だったのね……」

「そんなことはどうでもいいですわ。それより、フェイ様の義眼を早く寄越してくださる?」

「せっかちな子だね……まぁ、いいさ。どれどれ、じゃ、そっちのフェイとやら眼を見せておくれ」

「……」



 フェイからモードレッドは手を離す。眼帯を外して、フェイは血痕が僅かに残っている左目を見せた。


「そんじゃ……手術を……あれ、麻酔がきれてるね……これじゃ、手術は……」

「いらん。それより手術をはやくしろ」

「お前さんもせっかちだね。麻酔が無くてどうやって手術するって言うんだい、痛くてそれどころじゃないよ」

「無論承知している。その上で言っている」

「……馬鹿だね。そんな我慢をするより、ちょっと待ってれば買ってきて――」

「――フェルミ様……フェイ様の言うとおりに」

「……正気かい?」

「えぇ、フェイ様が必要ないと言っているのだから、必要ありませんわ」

「なんだい、この二人は……途轍もなく痛いからね、覚悟しなよ」



◆◆



(本当に麻酔無しで手術が終わってしまった……何て子だい……悲鳴一つ上げず……眉一つ動かさないなんて……)


(体からは汗が噴き出ている……この男の体が悲鳴を上げているというのに。それを一切表情に出さないなんて……精神が肉体を凌駕するとはこういうことを言うのかね)



(長いこと生きて来たけど……こんな男は初めて会った……)



(痛覚がないわけではない……だとするなら我慢の天才かね……)



「これが、義眼か」

「あ、あぁ、その通りさ。ただ、暫くは眼帯を付けて使わずに慣らした方がいいだろうね……」

「そうか……この眼に固有の能力は?」

「そんなもん、有る訳ないさ。あくまで義眼は義眼。代用品だ」

「そうか」

「ただ、魔眼などは移植できる場合があるからね。そう言う代用品は特殊な能力があるもんさ」

「……なるほど」



(麻酔無し……麻酔があっても視神経を繋げるのは激痛を伴うというのに……これはあのモードレッドが惚れこむのも理解できる。小さい頃から男っ気なんて一切なかったというのにあんなにべったりして……そういう所は母親似かね。この子に両親と似ている所なんて無いと思っていたけど……そして、モードレッドが惚れこんでいるこの男……どこかで……)



 眼を細めてフェイを見るがどこだが忘れてしまった。思い出せない歯がゆさに眉を顰める。



(どこだったかね……。年を取ると忘れっぽくて困るよ……あたしが『ロメオ』で団長としていた時ではない。色んな家を渡り歩いてた時……思い出せないねぇ……)



「フェイ様、義眼の代金でしたらワタクシが代わりに出しますわ」

「その必要はない」

「いえいえ、ありますわ。だって、今のフェイ様の手持ちでは全く足りませんもの」

「……そうか」

「えぇ、ですが、気負う必要はございません。これはフェイ様と同じように投資のような物ですわ♪ ワタクシ、金の量にはかなりの自信がありますの」

「……いずれ返す」

「いえ、もうそれ以上のものを貰っていますから……お気になさらず」



 モードレッドが代金の代わりに宝石のような鉱石をフェルミに渡した。


「宝石なんて持ち歩ているのかい? 変な子だね」

「お金を持つには限界がありますの。こうして、宝石に換金して持って居た方が効率的ではなくて?」

「……ったく、可愛くない餓鬼だよ」



 モードレッドが代金を払い終える。それが終わるとフェイは足早に小屋の出口へと向かう。



「フェイ様? もう行かれるのですか?」

「……そうだ」

「あぁ、フェイ様、激痛に耐えて手術を終えたばかりなのにすぐさま行動開始するなんて……興奮ですわ♪」



 フェイがそこから出ようとドアに手をかける。微かに振り返って、ふと声を出した。


「世話をかけた」


 それだけ言って、フェイはそこを去った。



◆◆



(アイツ……麻酔無しで神経を繋げるなんて……あり得ない)



 アリスィアは前を歩いているフェイを見た。益々フェイが自分と同じ人間なのか疑問が強くなる。



(あの手術、見ているこっちですら痛々しくて見ていられないというのに……痛くない訳が無い。我慢してるだけ……? でも、いつもと顔つきは変わらないのに……やっぱり、フェイって心の底では苦しんでるんじゃ……)



(私は……ずっと)



 彼女には前を歩いているフェイが凄く遠くに感じた。それに寂しさなのか、恐怖から離れている安心感なのか、本人にも分からない。だが、心が重々しく負荷がかかったように感じてしまった。



◆◆



 隻眼とは、義眼とは……ロマンである。


 ――byフェイ



 遂に来てしまった。ここに、朝からモードレッドに訓練で気絶させられたけど、それはもうどうでもいい。もう感謝である。


 ここで手術を受けて、義眼を貰ってパワーアップってやつですね? 分かります。


 さてさて、歩いていたら古めの小屋っぽい感じの所に到着。おお、如何にも老舗って感じの雰囲気があるなぁ。


 中に入ると、モードレッドとフェルミと言う婆さんが凄い話込んだ。あれ? なに、知り合いなの?




 へぇ、モードレッドやっぱり貴族だったんだぁ。それでこのフェルミ婆さんが使用人であったと……ふーん。アリスィアは凄い驚いているようだけど……。


「フェイ様はどうですか? ワタクシが貴族と聞いて驚きましたか?」


 いや別に。



 ですわ! って口調の奴って大体貴族のイメージだから。何となく裏設定とかでそうなんじゃないかとは考えていたから、そんなに驚くような事じゃないよね?


 俺は分かってました。



 原初英雄アーサーの血を引いてるって? へぇ……まぁ、パンダアーサーと剣技似てるし、何となくアーサー関連だとは考えてたよ。普通普通。それより義眼早くしてください。



 俺うずうずしてんだ。


 

 麻酔とか良いから……。もう、焦らされて発狂しそうだから、ハヤクギガンホシイ……。



 モードレッドの後押しもあって、すぐさま手術をしてくれることになった。ベッドに寝て、上から光で照らされる。


 流石にちょっと怖い……だが! 主人公は耐えるのだ! 痛みにも恐怖にも!


 あぁ、なんか、ヌチャヌチャ、肉を抉るような音がする。今潰れた目を取り出してるんだろうな。


 流石に痛い……でも、この感覚どこかで……。



 どこだっけなぁ……あぁ、歯医者さんだ。前世で歯医者さんに治療をして貰った時の感覚に似ている。前世だと歯医者苦手だったなぁ。


 まぁ、三回目くらいで慣れたけど。


 昔を想起していたら、手術が終わっていた。お疲れ様です。さて、眼の方はどうなっているのかね?


 おおー、確かに見える! 義眼すげぇぇ! 特殊能力はありますよね?



 え? 無いの? なんだよ。これじゃ、強化イベントじゃないじゃん……。



 いや、ちょっと待て……今までの俺はダメージ交換の時、左目を担保にするのを無意識に避けていた。それは眼は無くなったらそう簡単に復元が出来ないから。でも、今はどうだ?


 ――フェイー、新しい眼よー。それー! 



 ぐらいの感覚で変えられるよな? 



 ――眼が死んだとしても、でぇじょぶだ、フェルミの婆ちゃんの所で蘇えれる! 


 

 これから、眼を担保にして戦闘できると分かったら俺ワクワクしてくっぞ!



 ――主人公の眼が目まぐるしく入れ替わるのは基本。



 これは聖騎士であるエクター博士の医務室くらいの感覚でここに足を運ぶことになりそうだな。


 

 義眼店の常連になりそうな予感。居酒屋くらいの感覚で来れる便利な店を見つけてしまった。



 暫く慣れるまでは義眼は使用できないらしいのでこのままダンジョンにでも行こうかな。その前に昼だけど……。義眼って結構値段高いの? え? モードレッドが払ってくれるの!?


 へぇ……ありがとうございます。パンダより好感度上がりました。



 さてと、眼帯を付けてこの店を出ますかね。片目を隠すのもカッコいいから最高!



 フェルミの婆ちゃん、次も来るからな! 楽しみにしててくれ! お金は何とかなるやろ。俺主人公だし!



◆◆

 



 フェイはモードレッドとアリスィアと共にダンジョンへ行く前に近くの飲食店で昼食を取っていた。


 ダンジョン行く前にはご飯を食べて、精力を付けようという判断である。三人が入った飲食店は物凄い賑わいで丁度、三人が席に着いたところで満席になってしまった。


 しかし、一つの席だけぽつんと空いており、予約席と思われる席があった。


 注文を終えて、三人が待っていると丁度その予約をしていた客たちが現れる。明らかに他の冒険者の者達は異質な空気感を持ち合わせている者達。


 その中にはラインやバーバラの姿もあった。



「あ、アリスィア」

「え? あー、えっと、ら、ら、ライン?」

「そうだ。お前はどうしてここに」

「どうしてって……ご飯食べに来たんだけど」

「もう、ライン、女の子にお前とか使ったらだめだよ」




 アリスィアを見つけて思わず声をかけるラインとそれを面白がっているバーバラ。二人の後ろには三人の冒険者の姿があって一足先に席に着いた。なぜ、彼女達はここに居るのか。


 それはある意味でシナリオ通りと言える。本来なら片目を失ったアリスィアはラインによって保護され、バーバラとラインと一緒にフェルミ婆ちゃんの所で手術を受けるはずだった。


 フェルミは元ロメオの団長であり、バーバラとラインの父であったウォーの剣の師でもあった。知り合いでもあったフェルミにラインは自費で手術を願い、激痛に耐えながらアリスィアは義眼を手にする。


『頑張ったな……』

『あ、ありがと……』


 ラインがぶっきらぼうに呟きながら頭を撫でる、ちょっとデレたアリスィアが見れるはずであったイベント。ネットでも最高のデレシーンとして有名であった!!


――だが、フェイのせいで潰れた。鬱だけでなく、他者の恋愛フラグまで彼は潰す。


 その後、痛みに耐えた彼女の元気を付けるなどを理由にロメオのメンバー達と一緒にご飯と食べるはずであった。


 フラグはドンドンフェイのせいで潰され、色々と変わり果てているが、やはりアリスィアにはイベントが収束している。それがフェイと彼女にどのような関係性をもたらすかは誰にも分からない。


 ただ、それでも世界は前に続いて行く。

 


「おい、『ロメオ』だ」

「都市最高峰レギオンの一つじゃねぇか」

「トサカ頭の男。あれは双剣使いデュアルマスターのトリテンだ」

「ツンツンヘアーのジャガイモのようなごろつき顔……大金剛腕 オオカナヅカイのポテラ」

「あのスパゲティの麺みたいな金髪ロールの美人は……鞭使いスネークマンのアルデンテだ」

「貫禄すげぇ……」

「この店来るのかよ」

「ラインとバーバラも居るぜ」

「バーバラ、体つきエロいなぁ」

「男の噂ないからワンチャン」

「無理だろ、ブラコンで今まで誰一人落とせなくて玉砕してるのに」

「マジでバーバラちゃん可愛いよな。バーバラちゃんの為に世界があると言っても過言ではない」




 周りのロメオに対する声がアリスィアの耳に響いた。



(ロメオ……!? 意外とうわさ話に疎い私でも知ってる!! えぇ、ラインってロメオ!? この、お姉さんバーバラって……ロメオのだ、団長!? う、嘘でしょ!? 超ビックゲストじゃない!?)



「ごめんね? ラインってちょっと、天然なところあってさ」

「あ、き、気にしてないわ!」

「それならよかった!」

「俺は天然じゃない」

「またまた、この間も砂糖と塩、間違えてたじゃん」

「う、うるさい」



(うわぁ、兄弟でイチャイチャしてる……)



「っち、どうやったら弟に転生できるんだ?」

「無理だよ」

「未来信じてワンチャンダイブすれば?」

「まぁ、バーバラちゃんは恋愛感情とかはないって聞くし、まだ可能性はゼロではない」

「そうだな」



(周りも周りね……どうして、男ってこんな馬鹿とゲスしかいないのかしら?)



 周りの冒険者の声が聞こえて、その底辺のような会話に関係ないのに溜息を出す。アリスィアはチラリとロメオの団員たちに目を向ける。



(どいつもこいつも強そうなのばっかりね……これが、都市最高峰って奴なのね……。フェイは、この人たちを見てどう思ってるんだろう?)



 気になってアリスィアはフェイに目を向けた。


「さっきは手間をかけた。ここは俺が奢る」

「まぁ、フェイ様ったら紳士ですわ♪」

「……そうか」

「うふふ、フェイ様の『そうか』って口癖結構好きですわ。本音を言うともっと話してほしいですけど」

「……少しくらいなら答えよう……さっきの代金もある」

「フェイ様のそう言う律儀な所は素敵ですが……ワタクシはフェイ様自身が話したいときに聞きたいのでそれは結構ですわ。それに、あれは投資。フェイ様の義理堅い所は好きですが、気にしないでくださいまし」



(全然、意識してないじゃない! こいつら! 目のまえに都市最高峰が居るのよ!!)



「お、お前は……」



 丁度そこで、ラインがモードレッドに気付く。



「はにゅ? どこかでお会いしましたか?」

「忘れたとは言わせない」

「忘れましたわ。あ! もしかして、この間ワタクシがいった美容店の店員の方?」

「違う……」

「はぅー、外れてしまいましたわ」



(カマトトぶってんじゃないわよ……絶対フェイの前だからって可愛く見せようとしてるでしょ。ムカつくわね……)



(それにしても、フェイもモードレッドも都市最高峰が眼の前に居るのに一切気にした素振りしないのね……こういう所が強さの秘訣なのかな……?)



(でも、気にしなって無理じゃない? だって、眼の前には都市最高峰が……あ、いや待って……)



 アリスィアの頭の中には二日前の出来事がフラッシュバックした。



――両腕が取れて発狂する男。


――


――



(急に都市最高峰が……大した事のない奴らに見えてきた……こいつら濃さ全然負けてない。寧ろ勝ってるし……もしかして、フェイとモードレッドが全然意識しないのって……こいつら都市最高峰なんかより、もっとすごい存在を知っているから……?)



(フェイの濃さは凄いから、大抵の奴が薄く見えちゃうけど……麻酔無しで義眼手術するし……モードレッドはフェイを知ってるからどうでもよく見えちゃうのかしら?)



(じゃあ……フェイは何だろう? フェイって何を考えているんだろう……何を感じているんだろう……私は何も知らない。助けてもらい続けている人を知らないなんて変な話ね)




 その後、フェイ達は昼食を食べて店を出た。フェイとアリスィアはダンジョンへ、モードレッドは探し人を探しに別れる。夜は一緒のベッドで寝ることになり、フェイが寝た後に、アリスィアがフェイの腹筋をコッソリ触ったのはまた別の話。




◆◆



『四日目 覚醒の日』



とある冒険者パーティーがモンスターに囲まれている。オークの群れが涎を垂らしながら冒険者達に襲い掛かり、それに彼らは対応に追われる。



「ぼさっとするな! 矢を撃て!」



厚い胸板の男が気弱そうな男に向かって激昂を飛ばす。その怒りに体を一瞬だけ震わせて、彼は震える手でバリスタを発射する。矢がオークに当たって血が噴き出る。だが、焼け石に水でまだまだ後が控えている。



「っち!」

「うわぁ!」



舌打ちをして、赤い髪の少年を男性冒険者は蹴飛ばした。彼は転んで、その間にパーティーを組んでいた者達はおとりにしてそこから逃げ出す。


「――ッ」



死ぬ。それが彼の頭の中に最初に刻まれた。死にたくない死にたくないと彼は必死にあがく。


急いで立ち上がって走る。群れの包囲網の中には微かな隙間があるが、このままでは間に合わない。彼はバリスタで再びオークを撃つ。煙袋を投げて視界を悪くする。彼もオークも両方ともに煙で何も見えない。


態勢を低くして、把握していたオークの群れの立ち位置の間を縫うように彼はそこから離脱しかける。


だが、煙が晴れて再び補足をされた。包囲網から抜けたが後ろから魔物が追ってくる、彼と一緒に居たパーティーは既に彼よりも前を走っていた。



助けてくれない。逃げないと、自分だけでも逃げないと。でないと殺されてしまう。どんどん仲間の背中は遠くなる。彼は助けを求めて手を伸ばすが、届くわけがなくて。


だから、逃げて逃げて逃げて、自分だけ生き残ろうと走る。怖くて怖くてたまらない。元々臆病な少年が窮地に追いやられて、更に臆病になってしまった。



「ああああああああああ!!!」



そこで、眼が覚めた。今まで見ていたのは彼の、トークがまだ溝鼠と言われる前の記憶。汗で全身が濡れているような気持ち悪さで彼は目を覚ました。息が上がって、全身を触って自分が生きていることを確認する。


泊まっているベッドから起きて、身だしなみを整えて部屋を出る。


宿屋の受付の前を通ると色んな人たちから彼は昨日の事を思い出す。とある冒険者の眼に向かって矢を誤射してしまった。そして、その冒険者から期待をされてこと、怒られも、嫌味もなく、罪悪感も消え去るほどに金色の背が輝いてたこと。


ただ、それを思い出した。



そして、自覚する。昨日の自分が犯してしまった大罪が都市中に広まってしまっていることを。しょうがない、これが自分のしてしまった報いだと彼は納得する。



周りからは彼を卑下する声が沢山あった。恥だと、底辺だと、彼の耳にそれは響いた。でもそれはいつもの事で、いつも臆病な溝鼠だと言われ続けて納得をしてしまっている。


それが自分だと彼は受け入れてしまっている。トークはフェイから貰った剣を腰に置いてダンジョンを目指した。ギルドに入ると、益々風当たりの強い視線が降り注ぐ。



「……よくこれたもんだな」

「あり得ないだろ」

「もう、パーティーを組む相手も居ないのに」



成れていても納得をしていてもその言葉は胸に刺さる。仕方がないと言い聞かせても、辛いものは辛い。


「あの、ダンジョンに潜られるんですよね?」

「はい……」

「その、パーティーは……」

「いえ、一人で」

「分かりました」



ギルド職員のマリネに話を通して彼はダンジョンに一人で潜った。一人でなんて潜った事はない。だが、今の彼と組んでくれる人はいない。恐怖が湧いてくる。だが、彼はしなくてならない。



期待をされたから。



彼は階層を下りて、二階層に辿り着く。魔物を倒そうと彼は辺りを見回す。慎重に進んでいく。


そこで、土が盛り上がるような音が響いた。一つだけでは無くて、連鎖するようにそれは多くなっていく。



ゴブリン亜種が複数体現れた。その数、十五。



不味いとトークはその場を離れようとした。離れたところから狙撃をしようと急いで足を走らせる。


追ってくるゴブリン亜種に対して、走りながら矢を発射する。だが、当たらない。手が恐怖で震える。距離が中々突き放せず、それでも発射をし続け、矢が尽きていく。


たった一人、それも複数の魔物と戦う事への恐怖で彼は通常のポテンシャルを全く発揮できない。


逃げて逃げて逃げて。彼は再び、溝鼠と言われた彼に戻って行く。恐怖で支配されて、保身だけが頭にあった。


視野が狭くなって、逃げるしか選択肢がない。そして、ゴブリンたちに眼を奪われすぎて、足がお留守になっていた。


もう一体ゴブリンが今、彼の足元から生まれようとおり、その土塊。それに躓いて彼は転んでしまう。


(逃げないと、いけないのにッ! 早く速く、立ち上がって!!)



荷物が落ちた。微かに残った矢、お金が入った財布袋も……そして。



(こんなもの拾っている暇はないッ、はやく、逃げない――)




――フェイから貰った剣も




その時、時間が止まったような錯覚を受けた。極限の集中状態、それが引き起こされて彼は選択を迫られる。



拾わずに、逃げても良い。でも、それはこの先、トークと言う少年が一生溝鼠として下を向き続ける。俺は飛べるのだとずっと信じてやまない鳥かごの中の鳥として生き続けることが確定してしまうような。


そんな、安定して何もない人生になる大きな選択肢ターニングポイント。剣は転んだ時に明後日の方へ飛んでいっている。あれを拾った所で逃げるしかない。安物の剣だ。


変わりはいくらでもある。


たかが剣だと。


でも……



(ちくしょうッ、なんで、どうして……僕は……)



。逃げることも忘れていた。恐怖で忘れかけていた。約束と期待を。


頭の中に……それが蘇る。夕日に照らされて、憧れの存在にこの剣を託されたことを。



彼は進んでいく。黄金に照らされた夕日の方へ。それはきっと彼の道の果てを示しているのかもしれない。トークの憧憬が重なって、金色の背がより輝いて見えた。


彼は振り返らない。きっと、トークに期待をしたが手を差し伸べたり、背中を押してくれたりはしないだろう。


それをトーク自身も気付いている。分かっていたはずだ。接した時間は微かな物であっても、彼が過去ではなく未来を向き続ける、前に未来に進み続ける存在であるという事は。


頭の中の光景フェイは憧憬と期待だけを託して消えていく。それで満足をしていても良かったはずだった。


なのに……彼の憧憬はふと振り返る。そんな訳はないのに。憧憬フェイと今の自分の眼が合う。



彼は何も言わない。ただ、再び前を向いて歩き続ける。はるか遠くを歩み続ける彼に追いつきたい、追い抜きたいと彼は剣を握る。



「アあぁぁぁああ!!!!!!!!」



咆哮をして、剣を抜いてでたらめに彼はゴブリン一匹を切った。



(どれだけ期待をされても、託されても、また諦めようとしていた自分が愚かしい……悔しいッ、恥ずかしいッ)



魔物の恐怖は消えていない。一人で戦う怖さは忘れていない。なのにトークの手の震えは止まっていた。



(魔物の怖さよりも、一人で戦う怖さよりも……憧れに背を向けてしまう事の方が……もっと、怖い。諦めたくない)



 

 冒険者になってずっと馬鹿にされて来た。色んなパーティーからは遠ざけられて、悪口を言われて、陰口を言われて。


 蔑まれて、馬鹿にされても、笑ってやり過ごしてきた。それで良いと受け入れていた。



(でも……もう、そんな自分で居たくないんだッ、あの人が期待してくれた、未来の僕でありたいんだッ)




 剣を振る。囲まれないように走る。ずっと逃げ続けてきたからこそ脚力はある。走って走って、大勢の魔物はそれぞれに多少の個体差がある。立っている場所に差がある。


 細かい連携など出来る知能はない。ならばと彼は縦横無尽に走る。走って、追いかけてくる魔物を一匹一匹切って行く。


 走って追いかけてくるなら、必ず一匹ずつ。立ち位置と個体差で全魔物が一斉に追いつかれないように彼自身が立ちまわって、絶えず一対一に持ち込んでいく。


 時には石を投げて、砂を投げて目をくらまして、不意打ちから切って。



(変わってやるッ、戦い抜いてやるッ、そして、追いついてやるッ)




 走って走って走って切って走って走って、時折不意打ちをして、それを幾度となく来る返していく。気付けば血の池が出来ていて、彼も返り血で赤く染まって行く。


(――あと、一匹だ)



 走る、剣を振って、腕を飛ばす。砂を投げる、殴る、蹴る。そして、頭を彼は潰すように叩き切る。



「はぁ、はぁ……」



 もう、魔物の群れは居ない。これを自分がやったのだ。苦手であったはずの近接戦闘を駆使して。それを自覚したとき、瞳から涙が溢れた。



 馬鹿にされた来た自分を、諦めていた自分を。そして、期待をして背中で語り蔓憧憬を思い出す。



「もう、いない……? 僕は、やり遂げた……? あ、うぁぁぁ……うぅぅぅッ」



 彼は勝利によって現実に引き戻された。今になって恐怖で心が満たされる。だが、それを超えた今の自分が生きている。そのことに心から興奮をした。少しでも、あの背中に手を伸ばせたことが嬉しかった。


 勝利の余韻に浸り、一人だけ涙を流す。音をたてず、ただ一人、静寂を壊さないように泣いた。




(必ず……貴方の期待に……)




 恐怖は消えていない、躓くことも、高い壁に絶望することも、転んでしまう事もあるだろう。



 でも、溝鼠と言われて、馬鹿にされ続けた彼はもう居なかった。





◆◆



日記

名前 アリスィア



 朝から色々と凄い一日だった。まず、モードレッドが昨日の夜に喘ぎ声を出していたのかと私は聞いた。そんな訳ないと言っているけど……聞こえたんだけどなあ。まぁ、寝ぼけてたからそんな訳ないと言い切れないけど。



 モードレッドが訓練でフェイをボコボコにするのにはちょっと引いた、でも、それよりもっと引いたのはフェイの義眼手術だ。神経と繋げたりするのはかなりの激痛を伴うと聞く。


 それよりも潰れた眼を抉るということ時点で明らかに痛みに耐えられない。そんなの誰だって知っているはずだ。見ている私が痛い……。


 フェイが凄いのは知ってる。絶対に口には出さないけど……。でも、だから心配になる、アイツだから大丈夫とか、アイツならやってくれるとか……そんな勝手な事を思って、背負わせてしまっている。


 私の巻き込まれ体質をフェイに背負わせてしまっているかもしれない。でも、私は心の底で思っている。フェイだから大丈夫とか、何があってもアイツは私のせいにしないとか。


 そうやって、自分を一番安全な所で守って、フェイの強さを知るとか理由を付けて、ずっと背負って貰っている。フェイはそれでいいって絶対言うし、気負う必要はない勝手に同情するなと言うけど。


 私は……本当は私が頼っているように、フェイにも……頼って欲しい。見ていられない。フェイが傷つくのは……。そう思ってしまうのは私のエゴで自分勝手な思想なんだろうけど。



 

 …………とか悩んでたら、またモードレッドに頭ひっぱたかれた。一々、重々しいとか、何回同じこと悩むのかと呆れられた。


 私も自身で呆れている。気にしない、気持ちを切り替えるとか思っておきながら私はずっとそれが引っかかっている。そして、また頭ひっぱたかれた。


 やり返しても軽くあしらわれるだけ。コイツ本当に嫌い。でも、言ってることを無視できないから尚更嫌い。


 フェイの事も、こいつをひっぱたく目標も、どちらにしろ、私は強くならないといけないと再認識した。




◆◆



 うーん、何だか今日はあんまりイベントがない日だったなぁ。まぁ、三日間くらいは盛沢山だったり、今日は箸休め的な感じかね?


 義眼の後、昼食を取っていたら周りが凄いざわついていた。どうしたと思ったら都市最高派閥が居るとか。


 へぇ……あれは確か……ラインとバーバラだっけ? 助けてもらった事があるから覚えていますよー。都市最高峰かぁ。


 まぁまぁまぁ、何となく察しは付いていたよ。だって、一日目に俺の命を助けるという大役を任されていた二人だからね。主人公の命救ってるんだからモブキャラな訳が無い。


 それで、三人くらいの仲間とここに来たのね。何かのイベントかなと思ったけど俺に絡んでこない所を見ると……これは伏線みたいな感じかな?


 今後のイベントの為に、取りあえずキャラ紹介だけしておきますよ? 的な奴かな? 


 だと分かったら、今はいいよ。そのうち、絡もうな。


 そして、その後ダンジョンに潜った。でも全然、何もない。ただ、256体の魔物を倒すだけに終わった。


 あれ? 今日は微妙だなって俺は思ったんだよ。ただ、帰りに物凄い大声が聞こえたから何かあったのかと思ったら、二階層で血の池を見つけた。これは……魔物から出た血だ。



 ……何かの伏線か?



 何かとんでもない化け物がここで生まれたとか、ここに居て……主人公にいずれ、この惨状を作り出した奴が牙をむくとか……。


 いや、でも……うーん、割と俺が血の池に慣れてしまっているから……そんな驚きがあるというか、新鮮味がない。人の死骸とかあったら話は別だけど。これは魔物の血の池だろうし。


 まぁ、気にしてもしょうがない。一応頭の隅には入れておこう。さてと、明日で自由都市に居るのは最終日だ。明後日からは、また聖騎士として活動するから帰らないといけない。


 最終日だから、大きいイベントがあって俺から血が噴き出るんだろうな。


 明日に備えて早く寝ないと!! お休み!!





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