第30話 強化イベント
大勢の新人聖騎士たちが王都ブリタニアから都市リアリーに向けて出発をする。遠征訓練合宿はある意味で趣向の変わったイベントともいえるので少しだけ浮足立つ者達も多い。
グレン、フブキ、トゥルーが一緒に歩いている。彼らには友情が生まれており、仲睦まじい姿を周りに見せる。三人共イケメンなので女子からの視線が熱い。
周りからの妬みの視線を感じながら三人は進む。そして、三人のように妬みの視線を受ける男が一人。
フェイである。
隣にはアーサーが居て、もう片方の隣にはボウランが陣を取る。フェイは全く二人を意に介していないので益々周りからは視線が凄い。
「フェイ、ちょっと寒いね。取りあえず、お姉ちゃんと手、繋いでおく?」
「あ、フェイ腹減ったな! 都市に到着したら飯行っとく?」
「……」
歩みのペースを変えず、だからと言って二人の話には一切合わせず沈黙を彼は貫いていた。
フェイは微かに自身の手を見る。眼を細めて、手を何度も閉じたり開いたり、美女よりも自分の手を気にするという周りの男性からは意味不明な行動。
「どうしたの? フェイ」
「……」
「む、また無視……メッ!」
お姉ちゃんロールプレイをアーサーは崩さない。だが、フェイは一向に無視。何か思う所があるのか自分の手だけを見ている。
「どうしたの?」
「……」
フェイは何度も無視をしている。自分の手に星元を集中している。全体ではなく、ただ一か所に。強化がおぼつかず、不格好にも程がある星元操作。
皆で都市に向かって雑談したりしている中で、美人の隣で星元操作を一人だけしているとなると目立つ。さらに、不格好である為にこの時期になってあの程度なのかと周りからは格下扱いをされていた。
周りからくすくすと笑い声が微かに漏れる。嘲笑と嫉妬、その二つがフェイに向いて行く。だが、フェイは反応しない、代わりに赤髪で赤目の狼が反応する。
「――がるるる!」
「ひぇぇぇ」
「美人に睨まれたッ」
ボウランがフェイを笑っていた男子達を威嚇すると笑みを消して三人から距離をとる。それを見てアーサーが親指を立ててサムズアップ。
「ナイス、ボウラン。頭ナデナデの刑に処す」
「くぅーん」
アーサーになでなでをされたボウランが犬のように喜んでいる。二人で仲良く接しているとフェイとの足のペースが僅かに狂う。すると、フェイの隣が空いた。そこへ、エセ&カマセがすかさず入り込む。
アーサーとボウランが再びフェイの隣に陣をとると嫉妬で頭が狂うからである。
「素でムカつくわ。お前」
「……」
「っておい、僕様たちまで無視するな」
「おーい、フェイー、聞こえとるんかー!」
「……なんだ?」
少し大きめの声でエセがフェイに話を振るとようやくフェイが反応する。それまで彼には誰の声も響いていない様であった。
「なんだはこっちのセリフやで、ずっと手見取るから心配になったんや」
「そうか」
「何かあったのか、僕様が聞いてやろう」
「お前が聞いてどうすんねん。それでフェイはどうかしたん?」
「……いや、この訓練で何を掴みとるか、掴みとるべきなのか……考えていた」
その言葉は二人へ発した言葉であったと同時に自分自身への追い込みのように聞こえた。フェイはじっと手の平に星元を溜め続けている。
エセとカマセは何だか、意識高すぎて何も言えなくなった。女目的で大はしゃぎをしていたからだ。そして、何だか、二人の背中に悪寒が走る。二人を見て、眉を顰めるアーサーが居たからだ。
(フェイの隣でずけずけと入り込む空気読めない奴ら……アイツらいつもフェイの周りうろちょろしてる)
ボウランの頭をわしわししながらアーサーがにらみつける。何だか、やばいなと感じる二人はスっとその場を無言で離れる。ふふふと、アーサーが隣に陣を取ろうとすると再び、誰かがフェイの隣へ。
クイクイとフェイの服の裾を引っ張る女性。紫の髪に灰色の透き通る眼をした美人で無表情。
ベタなベータちゃんである。
「……」
「……」
互いに無言。眼をパチパチしてフェイをジッと見るベータ。暫くするとスゥっと彼のをそばを離れる。
「ちょと、ベータ! 急に行くんじゃないわよ」
「……!!」
「え? 永遠機関の人間か観察したけど、何とも言えないって?」
「……!」
「ガンマもあの人は違うと思うのだー」
「いいえ、怪しい事には変わりないわ」
アルファとベータ、そしてガンマがひそひそ話をしている。そして、ようやく満を持してアーサーが隣に陣を取る。
「フェイ、さっきの人知り合い?」
「……さぁな」
「あの人、無言だったけど人と話すの苦手なのかな?」
フェイは思う。人と話すのは苦手なのはお前もだろうと。
(――おまいうで草)
アーサーは思う。姉として弟を守らないといけないと。
(あれ、前にフェイをストーカーしてた奴、フェイの周りってストーカーとかウロチョロ連中が多い、お姉ちゃんが守ってあげないと)
未だにアーサーがボウランの頭をなでなでしながら歩き続ける。隣を歩いているのに気持ちはすれ違っている。アーサーには姉としての保護欲が湧いていた。
「弟君。お姉ちゃんが何としても守るからね」
「……」
(――意味わからなくて、
アーサーがフェイをジッと見て何かを宣言するがフェイからすると何を言っているのか訳が分からない。自分の事を弄んでいるとしか彼には思えなかった。
ジャイアントパンダ『わーい、フェイタイヤだー! このタイヤで思う存分遊ぶぞー!』
自分はこの少女からはタイヤと思われて下に見られているんだろうなと益々フェイはアーサーに対抗心を燃やすことになった。そんなこんなで彼らは都市リアリーに到着をする。
◆◆
大都市リアリー。都市中に綺麗な水路があり、船などに乗って移動をすることが出来る水の都市とも言える。
新人の聖騎士たちがその都市でも一際大きい建物に進んでく。三階建ての大きな城のような要塞、円卓の仮城に彼らは足を踏み入れる。すると、早速、同じ団服を着たベテランの雰囲気を纏っている男が現れる。
黒髪の男。
「ようこそ、地獄の入口へ。今日からお前らを鍛える四等級の聖騎士であるバツバツだ。早速訓練を始める、全員整列しろ」
それだけ言って彼らに背を向ける、自分についてこいと言っているようであった。迫力が凄くて全員が急いで敷地内に入って整列をする。
整列が完了すると、バツバツと名乗った聖騎士の隣に白髪の老人の聖騎士と茶髪の若い見た目でやる気がない気だるげな感じの聖騎士が並ぶ。
「自己紹介をお願いします。マグナム先生」
「……俺がここの責任者である、二等級聖騎士マグナムだ。ここへ来たという事は強くなりに来たという事であると理解する。無駄な私語、行動は俺の最も嫌う行動だ。無駄なことはせずに最適な行動を期待する」
「あー、僕はサポートの四等級聖騎士のカクカク、マグナム先生のサポートだから。まぁ、勝手に頑張って」
それだけ言うと椅子にマグナムは座る。ジッと鷹のように鋭い眼線で新人を射貫く。その眼で見られると誰もが息を呑む。
「よし、では早速、訓練を始める。全員、星元を纏って腕立て伏せ五百回。最下位はプラス二百回だ」
訓練が始まった。全員が急いで手を地面に着く。出会いを求めに来たと考えていた者達はガッカリをした。こんな場所で出会いは無理だろうから。全員星元で身体を操作して腕立て伏せを行う。
ここで最下位になって+二百回よりも、悪目立ちしてあの人たちに眼を付けられることが嫌だったのだ。
誰もが必死に腕立て伏せをする、一番最初に終えたのはアーサー、二番はトゥルー、そこがダントツでその後少し時間が経過して全員が続々と終える。そして、最下位はフェイだった。
バツバツが厳しい言葉を向ける。
「お前は二百回追加だ!」
「……」
フェイは黙って再び腕立て伏せを始める。それを全員が哀れみの目線を向ける、眼を付けられて可哀そうとかやっぱり最下位で才能ないなと考える。
「よし、残り百!」
「……」
フェイは一定のペースで腕立て伏せを行う。それを遠くでマグナムの隣で見ていたカクカクが言葉を発する。
「おっそ……あんなの直ぐに終わるでしょ」
「……」
隣のマグナムは無言。そして、フェイを近くで見ていたバツバツは腕立ての数を数える。
「193、194、192、193、194、195、190」
数えるふりをして何度も同じ数を巡回させる。永遠に終わるはずのない腕立て伏せが誰もの頭によぎる。それを見て自分は最下位じゃなくてやっぱり良かったと安堵する者、下を見つけて笑う者様々だ。
このまま心が折れてしまっても可笑しくはない。
「191、192――」
「187、188」
その永遠とも言える腕立て伏せに彼は嗤いながら、敢えて数を繰り返す。低い数を何度も応え始めた。
「……189」
「178、179」
ぽつぽつと呟きながらフェイは何度も何度も繰り返す。そのやり取りが一体いつまで続くのか、彼らには分からなくなっていた。フェイではなく数えているバツバツの方が次第に焦りが出始める。
気付けば彼の腕立て伏せは一時間以上経過する。
「もういい、次に連れていけ」
「あ、は、はい!」
マグナムの指示でバツバツはフェイに腕立て伏せを終了させる。フェイはそれを淡々と承諾し地から手を離す。
「もういいのか……」
落胆した、拍子抜けだと言わんばかりにバツバツに眼すら向けず彼は立ち上がる。
「あれくらいで偉そうにするんだ」
「……」
面白くないものを見たような表情でフェイを見るカクカク、そして、鋭い眼を未だに向け続けるマグナム。
フェイは次の訓練に向かう、自然とフェイを見る周りの眼が変わっていた。次に彼らが向かったのは城の中、その地下のとある広い部屋。岩でできた牢獄のようであるその部屋の地には魔法陣のような物が書かれていた。
「この部屋は特殊な魔法陣によって、精神への多大な負荷をかける魔術が部屋全体にかかるようになっている。無論、魔法陣を消せば術は意味をなさない。魔法陣を消さないようにこの部屋に全員入れ」
バツバツの指示で全員部屋に入室する。すると全員一気に顔色が悪くなる。特にアーサーが顕著だった。頭を抑えて顔を青くし、吐き気が彼女に湧いた。
「いいか、ギリギリまでここで――」
そこまでバツバツが言ったところでアーサーが部屋から飛び出した。彼女はこの部屋の精神への負荷に耐えることが出来なかったのである。精神が非常に弱いアーサーにここは地獄であった。
「説明の前に抜けるとは……まぁいい、お前たちはギリギリまで耐えろ」
それだけ言って彼は部屋を閉じる。
大きな手に頭の中の脳みそを握られているような気分を彼らは味わっていた。貧乏ゆすりのように体の揺れが止まらない。
手の爪を噛んで何とか落ち着こうとする者も居る。カリカリとかじる音が木霊して、それがイライラする者も居て、次第に部屋の空気が悪くなる。元から極大のストレスが溜まる部屋なのだが、それが余計に拍車をかける。
「うう……」
ボウランも頭を抑えている。トゥルーもあまり精神が強い方ではないので顔色が悪い。エセとカマセも呼吸が疲れても居ないのに乱れる。
「ぐあぁぁっぁ!!!」
奇声を発して一人の男が出て行った。それを見て我も我もと人が部屋から出ていく。一人が楽な道へ行くと揃いもそろってもういいかと考えてしまうのは至極当然だった。
同調圧力に耐え、残された微かな者達も次第に疲弊をしていく。聞こえるはずのない悪口が聞こえる気がする。大声を上げて気分を少しでも晴れやかにしたい、ココから出たい。
速く、はやく、ハヤク、ハヤク。限界が近づいて残された者達の中で最初に部屋を出たのはグレン、そしてフブキ、ボウランと続いて行く。トゥルーも足取りを重くしながら部屋を出ようとする。
だが、何とか踏みとどまろうと彼はゆっくり出口へ向かう。ここに少しでも長くいて自身を高めようとしていたのだ。トゥルーを追い抜いて残りのメンバーも出て行った。
残されたのは彼と……
ふらふらした足のままトゥルーは部屋を出る。汗が全身から吹き出て服がびっしりと体に張り付いている。手を地について、肩で息をする。
「どうやら、今年の最高記録は19分らしい」
バツバツがそう言った。たったの19分、あれだけ精神に負荷がかかり、歯を食いしばって限界のギリギリまで耐えたというのに。時間にしてみればこうもあっけないものであったのかと絶望に近い感情を覚える。
「まぁ、いい。大体、例年はこれくらいだ。嘗ては1時間耐えた者も居たと聞くが……」
「あの」
「なんだ?」
「まだ居ます……中に」
アルファが指を指す。誰もが眼を向けると涼しい顔で一人の少年が未だ、そこに立っていた。彼はずっと立ち尽くしている、疲弊をしきってそこに居ない聖騎士も居る。
ただ、僅かに残った者達はなぜあんなに涼しい顔をしていられるのかと疑問を持っている。
「……これが、試練か……こんなことで強くなるのか?」
ただ純粋な疑問、無垢な子供のような疑い。彼はこの訓練を疑っていた。こんなことで強くなるのか、余りにも楽すぎる。
詰まらない、こんなことをしに俺はここに来たのではないと。精神への負荷をものともせず彼は地に手を付いた、そして、先ほどの続きの腕立て伏せを行い始める。
(ば、化け物か、この男は……)
精神へ直接負荷がかかるこの部屋で正気で居られるはずはない。誰もがここから1秒でも早く出たいと願っている。そして、今まさに彼以外は脱出を行った。今までこの部屋で長くいられたのは現一等級聖騎士達などが代表例として挙げられる。
だが、ここには秘密があって、どんなに続きが出来る状況でも最長で一時間と決められている。もしかしたら、もっと長い時間居られる聖騎士も居たのかもしれない。
しかし、この部屋で腕立て伏せを行い更なる負荷をかけながらも感情を一切表に出さない等と言う狂気の行動を行った者は一人としていない。
バツバツもここが人並み外れた異界であると理解している。彼も21分しかここにはいられなかった。脱出をした瞬間に嘔吐をして泣いてしまった記憶が蘇る。
「詰まらない……とんだ茶番だ。これなら
落胆の声をあげながら彼は腕立て伏せを続ける。気付けば一時間を大きく超えていた。彼は微かな汗を拭い、その部屋を出る。その後休憩をせずに、素振りをフェイは行っていた。
■■
「……フェイか。あのマリアの孤児院出身」
執務室で午後の模擬戦訓練を上から見下ろしているマグナム。そんな彼の眼には模擬戦には参加させてもらえないフェイが一人、素振りを行っていた。フェイは無属性だけで星元操作も不格好、模擬戦では使う必要がないと彼は判断したのだ。
マグナムの手には資料がある。微かに蘇る嘗ての記憶、マグナムが特別部隊の教師役でマリア、マルマル、バツバツ、カクカクの4人を鍛えていた時の記憶。
「そのようですねー。バツバツが言うにはかなりの異常者で驚愕をせざるを得ないとか」
興味無さそうに淡々と事実を述べるカクカク。彼からすれば如何に精神が強くても所詮、三流以下とフェイを考えているようだった。
「あの部屋で腕立て伏せを行ったか……精神だけは認めるところがある」
「ですね。しかし、精神があればどうこうなるわけではないですよね。あんな不格好な星元操作じゃ、使いものにならない」
「その通りだ。俺は……あの人材を欲しない。アイツはそもそも俺の訓練の参加条件に適していない。夜はここに寝る場所は無いと言っておけ」
「はい」
それだけ返事をするとカクカクが執務室を見る。マグナムの目線の先、そこには一人で孤高に剣を振るフェイが居た。
彼は彼の評価を変えるつもりはない。高潔な魂があったとしても役に立たない。そんなもので何かを変えられるのなら、誰も死んでない。不幸になんてならない事を知っているから。
◆◆
夜が来た。寒さが更に厳しくなって吐息から湯気が昇る。フェイは泊まる場所がないと告げられたので、一人刀を振って体温を上げていた。
彼のいつものルーティーンでもある。夜でも朝でも昼でもいつでも彼は暇さえあれば刀を振る。
星元操作を全身に纏わせながら刀を振る。彼のひたむきさをバツバツは認めざるを得ない状況であった。たった一日、だがそれだけで彼の評価を変えるという選択肢が第一に考えられる。
バツバツは城の窓からフェイを見る。ずっと刀を振るっている。もしかしたら、朝まで振るうのではないだろうか。訓練だって模擬戦こそ参加させてもらえなかったが誰よりも汗をかいていた。
(可能性を感じざるを得ないな)
可能性の塊であるフェイに一人の男が近寄って行く。声は聞こえないが口元の微かな動きでそれが彼に聞こえた。
「そんな頑張っても意味ないよ」
カクカクがフェイに向かってそう言った。フェイは僅かにそちらに目線を向ける。話はそれだけかと問いの視線。
「星元操作が不細工すぎる。そんなんじゃ、役に立たないよ。肝心なところで、遠距離攻撃の手札も君は殆どない。才能ないから、諦めて花屋でも開いた方が良いんじゃない?」
(アイツ……相変わらずの毒舌だな)
カクカクは毒舌が特徴的な聖騎士であった。そのことでバツバツとは何度か衝突もあったが根は悪い奴ではないと理解はしている。しかし、この状況でそれを言うのは悪意に満ちているともとれた。
「君が足を引っ張るとき、それを逃がそうと他の聖騎士たちの気が散る。君は剣しかないのに基本の強化魔術すらろくに出来ない。それで何が出来るって言うんだよ」
「……」
「だから、諦めて――」
「――他人の言葉で道を変えようとする程度の覚悟は持ち合わせていない。それが俺の答えだ、これ以上は語るまい」
ぴしゃりと冷水を浴びせられた気分にカクカクはさせられた。そんな彼に興味もなくフェイは刀を振るう、不格好な強化で必死に。意味がないなと落胆をしてカクカクはその場を去った。
それを見て微かに笑い、バツバツもその場を去った。
◆◆
夜も更けた。フェイは肩で息をしながら呼吸を整える。睡眠が大事であると彼も理解はしている、明日も訓練があるから外で寝るかと城の壁に背中を預ける。すると、綺麗な声が彼の耳に届いた。
「フェイ……こっち来て」
「……何のようだ」
「ここじゃ、寒いと思うから。ワタシの部屋で一緒に寝よう」
アーサーがフェイを一緒の部屋で寝ないかと誘いに来たのだ。当然クール系のフェイはそれを拒否するが彼女は無理に彼の手を引く。純粋な強さでは劣っているのでフェイは無理に引きずられていく。
「風邪ひいたら大変。ワタシの部屋にごー」
「……おい」
「いいから、お姉ちゃんと一緒に来て」
「……」
フェイが抵抗をしなくなった。これは何を言っても無駄であると理解をしたのだろう。アーサーからの引かれるままに彼は男子禁制の女子寮へ向かう。本当ならアーサーはトゥルーと叡智なことをするシナリオだがそんなシナリオは小松菜に切られている。
アーサーとフェイがこっそり女子寮を歩いていると、アルファに出くわした。お花を摘んで部屋に戻る途中であった彼女はフェイを見てどうして男子禁制なのに堂々と夜中に居るのか怪訝な顔をする。
「あ、アンタ……その、ここって男子は……」
「え、あ、その……ふぇ、フェイは大丈夫なの……です……」
――唐突なコミュ障アーサー見参!!
アーサーはコミュ障なので基本的にフェイとボウラン、トゥルー、ユルルくらいしかまともに話せない。オタク系な部分もあるのでフェイと同類と分かると一気に距離を詰めたが、アルファみたいな子とは全く話せない。
「でも、男子って皆けだものって言うし」
「あ、その、フェイは、そんなことなくて、健康で文化的な最低限度の生活を送るとお約束しましゅッ」
「え、あ、そう……」
言っていることが同年代に向けて送るセリフとは到底思えない、アルファもちょっと引いていた。そんな様子を見たフェイが思う。
(――出馬する政治家じゃないんだから、もっと堅苦しい言い方じゃないのがあるだろう)
フェイが冷めた目でアーサーを見る。そしてアーサーは一礼してフェイの手を引いて急いで自分の部屋にフェイを連れ込んだ。
「ほら、フェイ、一緒のベッドおいでおいで」
「断る」
「遠慮しなくていいよ、お姉ちゃんがハグしながらいい子いい子してあげる」
「いらん」
「ベッドで寝ないと明日に響くよ」
「結構だ。ここで寒さもしのげる」
「む……甘えるときに甘えないのは可愛くない。それに明日万全で全力全開で訓練をしたいと思っているのに回復をする事をフェイは妥協するんだね」
「なに……?」
「だって、ワタシと一緒のベッドで寝れば回復量も違うのに、ワタシとの寝るのが恥ずかしいからって寝ないって事はフェイの訓練への想いはその程度だったって事でしょ? フェイ……妥協するの?」
「……」
妥協、それは主人公として、フェイが最も拒否感を持つ言葉であった。妥協、妥協路、妥協、フェイは迷った。ここで妥協をするべきか、正直に言えばあまりこういったイベントはクール系としてのキャラが崩れる可能性があるからしたくない。
だが、妥協である。フェイと言う存在がそれを許すことなど出来ない。
(ふふ、フェイ迷ってる、迷ってる。お姉ちゃんに勝とうなんて、百年早いのだー)
「ほら、お姉ちゃん所においで? ここだよ、ここ」
ベットを二回ほどアーサーは叩く。どうしたものかとフェイは迷った。妥協かクール系としてのプライド。
そして、普通にアーサーの言うとおりにするのがムカつくという彼の意地。迷っている、あのフェイが迷っている、即断即結即行動であるフェイが、血が出てもそれをファッションと考えているフェイが、どんな敵にも屈してこなかったフェイが……迷っている。
「あー、いいよ、やっぱり。フェイって……妥協したいんだね」
「――っち」
舌打ちが彼女の耳に響く、これは彼女にとって勝利の鐘の音に等しいものであった。フェイが物凄く嫌そうな顔をしながらアーサーに背を向けてベッドに横になる。
「……言っておくが俺は汗をかいている」
「フェイの汗無臭だよ? あんまりワタシは気にしない。フェイが頑張った証だし、今日くらいは別にいいよ。ゆっくり休んで」
「……手間をかけたな」
「いいよ……その代わり……ハグさせてね」
アーサーは後ろからフェイに抱き着いた。彼女の胸が彼の強靭な背中に当たる。アーサーもスタイルはかなりいいのでその感触はフェイにも伝わっている。女性であるとフェイも微かに認識をせざるを得ない。
「……ちょっと恥ずかしいかも」
「なら、やめろ」
「やだ、やめない」
アーサーは甘える妹のようであった。あの精神に負荷のかかる訓練のせいでアーサーは僅かに妹気質が芽生えていた。フェイを休ませたいという気持ちもあるが彼女としてはフェイと一緒に居て安心したかったという気持ちの方が強い。
フェイの汗も気にならない。年頃、そしてアーサーのような美女がこんな真似をすれば大体の男は理性が保てない、原作のトゥルーもそうであった。だが、フェイは鋼のような心でそういうのを一切を断っている。
アーサーもそれを感じていた、それが悲しくもあり彼らしいとも思った。だけど、もし彼が理性を忘れ獣と化したとき、きっとアーサーは受け入れていたのだろう。
安心感に包まれて、アーサーは眠りについた。
ただ、寝ていても彼女はフェイを強く抱きしめていた
◆◆
訓練、訓練、訓練だぁ! 遠征合宿訓練だぁ!
いやー、このイベントを逃す手はない。分かるよ、こういうのってあれだよね? 主人公強化イベントでしょ?
最近、ジャイアントパンダにボコボコに負けたからさ。そろそろ俺こと、主人公を強化しようって世界が導ているでしょ? 分かるよ、世界の補正がさ。
――合宿イベントで主人公強化は基本。
しかし、いきなりの覚醒から、己で何か工夫して新たなる技を身に着けるのか、主人公強化にも色々ある。一体どっちかな、まぁ、これまでの傾向から予測すると後者かな。
でも、前者も展開としては好きだから来てもいいだぜ?
一人で考え込んでいたらエセとカマセが隣に居た。全然気づかなかった。その後、アーサー達がポジションを入れ替わるなどして歩いているうちに都市リアリーに到着する!!
え? バツバツ? へぇ、変わった名前だね。やる気がなさそうなカクカクに年寄りのマグナムね、はい覚えました。
中々独創的なお名前なので直ぐに覚えました。はい、それより早く訓練をしてください。
もう、僕は訓練をしたくてしたくて、堪らなかったから!!
バツバツさんが厳格な声を出すと周りは今更になって焦りだす。馬鹿だなぁ、受験前に一切勉強をしないで受験に挑むみたいな感じだったもんね。行きの道から俺はしっかりと心の準備をしてからさ。
俺の意識の高さよ。そして、最初の訓練は? え? 腕立て伏せ? 何か地味だな。俺の強化イベントだよね?
もっとこうさ……凄いのを期待してた。百キロの錘を付けてうさぎ跳びでグラウンド百周みたいな。
まぁ、うさぎ跳びって実はトレーニングとしては適してないんだけど。そう言う事ではなく何というかもっとこう凄いの期待してたのに。
最下位になったので罰ゲームを受けることに。やっぱり星元操作が課題だな、この合宿で何かをつかめれば。
腕立て伏せをしていると、なんか数を減らしていくバツバツさん。二百回って言っていたのに、一体何回やらせるんだよ……いいよ? そう言うのを待ってた!!
もっと厳しくして!! 壊れるくらい厳しくしてほしいの!!
だって拍子抜けだったもん! たかが腕立て伏せじゃ物足りない!!!
俺の腕が潰れるのが先か、アンタの数える喉が潰れるのが先か……勝負しようぜ!!
と思っていたらジジイのマグナムさんが終わりにしろって……はぁ!? まだ腕からぶちぶちって変な音が出始めてる途中でしょうが!!
腕が取れるかもって思う位、腕立て伏せさせろよ!!
もっと限界を超えたギリギリの訓練をしなきゃここに来た意味がない!! 強化イベントでしょ!!
合宿なのに全然きつくないじゃん!!!
まぁ、落ち着こう。まだ序盤、焦らずじっくり強化しましょ。次は変な岩の部屋、ここに居るだけで良いの?
……あ、上に蜘蛛が居る。あー、天井の汚れが目立つなぁ。もっとちゃんと整理整頓をして欲しい。
さて、訓練は? と思って周りを見たら居ない……。ん? そして、トゥルーたちも出て行った。
え? これが訓練……いや拍子抜け過ぎる!! もっと厳しくしろよ!!
本当にいい加減にしろ! もう腕立て伏せやるよ。全然大したことないじゃん、この部屋。
本当に意味が分からん。
え? 俺は模擬戦禁止? 泊まる場所もない?
うーん敢えて孤立させて特別感を出すって言うのは個人的に好き。いいよ、そう言う理不尽をもっと頂戴頂戴。
夜まで素振りをする、結局ユルル師匠とワンツーマンで訓練をした方が良かったような、やっぱりユルル師匠は偉大だな。
刀を振っているとカクカクさんが現れる、え? 才能がない、諦めて花屋でもしろって。凄い毒舌。普段だったらちょっとイラっと来るかもだけど。
いや、今合宿イベント中なんでね。そう言う、何もしてないのに貶されるという理不尽頂戴頂戴!
まぁ、諦めないよ、だって俺は主人公だから。
――諦めるって言う選択肢は俺にはない。
と言ったら去って行った。その後も刀を振るう。明日の訓練はちょっと期待したいなぁ。理不尽を頂戴頂戴。明日に備えて寝ようかな?
ちょっと肌寒いけど……気持ちの持ち次第でスーパーの生鮮コーナーに居るくらいの気分には持って行ける。
寝ようかと思ったらアーサー!!
なに? 一緒の部屋で寝て良い? いやいいよ、クール系だから女性と一緒に寝るとか……うわ、無理やり腕を引っ張り出した。クソ、握力どうなってんだよ、と言うか身体強化やめろ!!
クソ、今回だけは諦めて……いや、俺の負けと言う事にしといてやる。いつか勝つ。
途中でアルファに演説をするジャイアントパンダ党のアーサーを見てと。
部屋に到着、まぁ、椅子にでも座って腕を組んでクールに寝るかな? と考えていたらアーサーが何か言いだした。一緒になんて寝ないよ。ん? 妥協……?
「だって、ワタシと一緒のベッドで寝れば回復量も違うのに、ワタシとの寝るのが恥ずかしいからって寝ないって事はフェイの訓練への想いはその程度だったって事でしょ? フェイ……妥協するの?」
妥協……俺が……この俺が妥協だと? ふざけるな! 俺が妥協とかするわけないだろ!!
うわぁぁぁぁぁぁ!! ムカつく、いつも意味不明な事が九割なのにこういう時に限って頭回るの凄いムカつく!!!
もう勝ったな、みたいな顔してる!!
クソ……しょうがない、今回だけ。
そう思ってベッドに横になる、妥協だけは出来ないからだ。アーサーが抱き着いてくる。なんだよ? 急にヒロインみたいな事しやがって
背中に胸が当たる、結構……あるな。
別に何とも思わないが……そう言えばアーサーって顔は可愛いんだよな。スタイルもかなり良し……もしかしてジャイアントパンダライバル枠ではないのか?
一人で外に居る俺を部屋に呼んでくれて、寝る場所がないから一緒に寝てくれるって……ヒロインみたいな……
もしかして、俺の考え過ぎだったのかもしれない。アーサーは実はヒロインで俺の対して好意を向けてくれていたのかもしれない。
まだ確定ではないが……俺はクール系だ、アーサーも鬱陶しい時はあるが意外とおとなしい、そう言う意味では案外お似合いともいえるような……
アーサーヒロイン説も頭の隅でも入れておこうかな。明日もあるし、お休み……
……
……
……
なんだ、寝苦しい……なんだ? 息が、しずらい……起きるとアーサーが力いっぱい俺を抱きしめていた。
窒息するんだけど……力強い! 骨折れるわ!
コアラじゃん! ジャイアントコアラパンダじゃん!!
いや、危ない。危うく捕食されるところだった。ヒロイン面をして俺を食べてやろうとする、ジャイアントコアラパンダライバル枠だったんだ……
いや、本当に危ない。危うく可愛い姿に騙されるところだった。そうだよ、パンダもコアラも見た目は良いけど実は爪が鋭くて狂暴なんだ。危ない危ない。
「うーん……ふぇいー」
何やら甘い声で俺を呼んでいるがもうだまされないぞ、ジャイアントコアラパンダ。アーサーはむくりと起きて、寝ぼけながら何かを探す。
「ふぇいー、だっこー」
お断りします。と思ったのだが俺と木とでも思っているのか飛びかかってきた。ひしとまた抱き着いて眠りに落ちるアーサー。
は、離れない……もう今日はいい。明日の訓練もある、寝よう……俺は眠りに落ちた。
「ふぇい、おにいちゃん」
落ちかけた時に何かを聞いたような気もしたがきっと気のせいだろう。
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