【羽月】第3話:終着地点

 結婚することになった私は、高校を自主退学することになった。

 光輝は高校卒業まで在籍してから、陽二さんが勤めている運送会社で働くことが決まっている。


 私と光輝はまだ別々で暮らしていた。

 出産して1ヶ月過ぎるまでは、実家でママのサポートを受けて赤ちゃんを育てて、それから光輝の家で暮らさせてもらうことになっているのだ。

 3人で暮らせるくらいのお金を蓄えたら、アパートを借りてそこで生活をする予定になっている。


 赤ちゃんの名前は男の子だったら『光耶こうや』で、女の子だったら『羽美うみ』にすることが決まった。




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 産まれた子は女の子だった。

 赤ちゃんが産まれてから、私の生活は否応なしに激変してしまう。

 何をするにも赤ちゃんを最優先にしないといけないのだ。

 あまり夜泣きをしない子だったので、それは助かっていたが、寝る以外の時間は常におんぶしていたので、疲れが全然取れなかった。

 ママも一緒に暮らしていたけど、日中は働いているので、甘えてばかりはいられないのでお母さんの私が頑張るしかない。




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 出産してから1年が経った頃、羽美を保育園に預けて私も働くことになった。香奈さんが勤めている会社の事務員さんが退職してしまったので、私がその人の後任で入社させてもらった形だ。


 羽美が産まれてから、たくさんのサポートをしてくれるだけではなく、働き口まで紹介してくれるんだから、私は香奈さんにすっかり頭が上がらなかった。それを言うと香奈さんは「そんなの気にしなくていいのよ。義娘なんだから当たり前じゃない」と笑顔で言ってくれる。


 光輝はというと、高校を卒業してから毎日陽二さんと一緒に頑張ってお仕事をしてくれていた。大変なこともたくさんあるだろうけど、私たちのために一生懸命働いてくれている光輝には感謝しかない。




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「久しぶり〜」


「あっ、紗雪元気してた? 最近あまり会えなくて寂しかったわ」



 私はたまに仕事のランチの時間を、紗雪と一緒に過ごすことがあった。

 高校時代の友人は、私が子供が出来たことを知ると、みんなが離れていってしまった。だけど、紗雪だけは今までと変わらずに接してくれたのだ。友達の少ない私にとって、紗雪の存在はとても大きかった。



「羽月は相変わらず大変そうね」


「えぇ、だけど毎日は充実しているわよ」


「そっか、大学生は結構暇なんだよねぇ。基本バイトばっかりだし」


「そう言えば彼氏さんとはどうなったの?」


「ん? まだ仲良くしてるよ。出会いは合コンだったけど、それでも意外と長く付き合えるもんなんだね」



 紗雪は高校生の頃は一人と付き合うと、長い間ずっと付き合っていたけど、大学生になったら短期間で彼氏が変わるようになっていた。

 やっぱり、大学生ともなると違うのかしらね。



「そういえば、羽月はこの土日なにしてるの?」


「えっとぉ、日曜日は隣町に出かける予定があって、土曜日は特に何も決まってないわね」


「そっかぁ、残念。土曜日はちょっと予定があってさ遊べないんだよ。羽月は日曜日は隣町に何しに行くの?」


「最近できたショッピングモールができたじゃない? そこに家族で行こうかなって思ってるの」


「へぇ〜、良いねぇ。羽月も幸せな結婚生活を送ってるんだね」



 紗雪に揶揄われてしまって、顔が赤くなってしまったのが自分でもわかった。紗雪とはこんな他愛もない話しかしていないけど、平日の日中は仕事に追われて、夜は子育てと家事をしている私にとって、この時間は掛け替えのない時間だった。




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 普段は優しい光輝だが、仕事から帰ってくると、無性に苛々としている時があった。私が「どうしたの?」と聞いても、「お前には関係ない」「仕事にイラついただけだ」と言われるだけで、取り付く島もない。


 そして結婚して2年が過ぎた頃から、光輝の帰宅時間が遅くなることが増えてきた。どうやら仕事が大変らしくて、みんなが忙しくしているらしい。

 陽二さんもいつも疲れた顔をしているので、本当に大変なのだろう。

 なので、せめて家では疲れを癒してもらおうと、極力ゆっくりしてもらえるよう努めた。




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 光輝の帰宅が遅い日が増えてから、半年以上が経ったある日、紗雪からRINEが届いた。私はその中身を確認すると、あまりにも驚いてしまいスマホを床に落としてしまった。



『羽月……光輝くんが知らない女の人と一緒に腕組んで歩いてるんだけど……』



 そのメッセージと一緒に複数の画像が添付されていた。

 写真を見ると、ちょっと年上に見える知らない女性と楽しそうに腕を組みながら、ラブホテルへ入っていくところが写っていた。



『街を歩いていたら見ちゃってさ。後を付けたら2人でラブホに入っていったんだよ……』



 私の頭は真っ白になってしまった。


 え? 光輝が浮気をしたの?

 嘘? 誰なの? この女の人は誰なの? 


 分からないことばかりだったけど、一つだけ私にも分かることがあった。




 私は光輝に裏切られたんだ……




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 その後私たちは離婚することになった。

 光輝がラブホテルに入った女性は、光輝の会社で事務をしている女性だったらしい。最悪なのが、その女性も結婚していたらしく、所謂W不倫というものだった。



 私は裏切られたことが許せなくて、光輝のことを口汚く何度も罵った。

 どれだけ謝罪されても許せる訳がない。

 声も聞きたくないし、顔も見たくなかった。

 人の気持ちなんて何とも思わない、穢れた人間と一秒も一緒に居たくない。


 私は部屋がある2階から降りてリビングに顔を出して、義理の両親へ今までのお礼をする。陽二さんと香奈さんは、「こんなことになって本当にごめんなさい」と何度も謝ってきた。

 私はこの2人には大きな恩があるし、感謝をすれど恨む理由はないので、「そんなことしないでください」とだけ伝えた。



 ちなみに光輝の浮気相手も離婚をして、2人とも会社をクビになった。

 そして、息子の不倫の責任を取らされて、会社でも比較的上役だった陽二さんも降格人事になってしまう。


 浮気が発覚したとき、陽二さんと香奈さんは激怒した。

 それはそうだろう。光輝は何人もの人を裏切ってしまったのだ。




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 私は北島家を出て、実家の前に着くと、優李の実家が目に映った。

 そのとき私は気付いてしまった。


 光輝が私にしたことは、私が優李にしてしまったことと一緒なのだと。

 この苦しみや怒りを私は優李に与えてしまったのだと。

 実際に自分がされてどれだけ優李に酷いことをしたのかを初めて理解した。


 私はその場で泣き崩れてしまった。

 自分がしてしまった罪の大きさに心が押し潰されそうになった。


 今更だ。

 私が今更罪の大きさに気付いて、それを謝罪しようとしても、すでに優李はとっくに前を向いているはずなので、謝罪なんてされてもただの迷惑行為にしかならないだろう。

 私にはもう優李に謝罪することも出来ないし、誠意を見せることも出来ない。私は自分が犯した罪を、誰にも話すこともできず、これからずっと背負って行かなくてはならないのだ。




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 そして光輝と離婚してから、4年の月日が経過した。

 私は社員が10人ほどの小さな会社に転職をして、事務と経理を兼務している。


 今日は高校からの友人の紗雪と一緒に、夜ご飯を食べる約束をしているので、一旦家に帰ってから小学生になった羽美を連れて待ち合わせ場所の駅前に向かった。



「お待たせぇ。ごめんね、遅くなっちゃった」


「ううん。別に気にしないで。あっ、羽美ちゃんおっす! 今日も羽美ちゃんは可愛いね」


「紗雪おねーさんも美人さんだよー」


「くぅ~! なんて良い子なんだろ! 私も結婚して早く子供欲しいなぁ。……あっ、ごめんね」



 紗雪は失言したと思ったのだろう。

 申し訳なさそうな顔をして、私に謝罪をしてきた。



「別に良いのよ。羽美さえいたら、私はどんなに大変でも頑張れるんだから」


「さすがだね、お母さんは強いな! あっ、羽美ちゃん荷物重そうだから持ってあげるよ」


「うわーい、ありがとー!」


「もう、ダメよ。自分の荷物はちゃんと自分で持たないと」


「まぁ、そんなに言わないで上げてよ。そんなことより早くご飯食べに行こうよ」



 そう言うと、紗雪は羽美の手を取って歩き始めた。

 そして駅前付近に行ったときに、紗雪が持っていた羽美の鞄を落としてしまった。私は取りに戻ろうとすると、一足先に優しそうな男性が鞄を拾って羽美に手渡ししてくれた。



(優李だ……)



 私はすぐに気がついた。

 8年ぶりに顔を見たけど、私が優李の姿を見間違えるはずがなかった。



「はい、どうぞ」


「お兄ちゃん、拾ってくれてありがとう」


「ちゃんとお礼が言えてお利口さんだね」



 お礼を言った羽美に優しい声で褒めてくれた優李は、あの頃から何一つ変わっていなかった。


 優李……、私はあなたとお話をしたい。

 あなたにしてしまった償いをしてまた、幼馴染みとして、一緒にお話をしたい。

 私は今まで眠っていた気持ちが、再び起きてきたことに気が付いた。


 膝立ちをしていた優李は立ち上がって、私と紗雪のことを見て一回小さく頭を下げた。



「優李」



 そのとき、私ではない女性の声が、優李の名前を呼ぶのを耳にした。

 その女性は……奏だった。


 優李は奏の顔を見ると、付き合っていた頃私に向けていた時と変わらない笑顔を浮かべて、奏の方へ向かっていった。そして、奏の腕の中には、小さな命が抱かれていた。


 私が優李のことを裏切っていなければ、あそこには私が立っていた未来もあったことに愕然としてしまった。そして、優李はしっかりと私の顔を見たはずなのに、私だと気付かなかったという事実にも。


 私はその場で蹲り嗚咽を漏らした。



「ママ。どうしたの、大丈夫?」



 急に泣き始めた私を心配して、羽美が頭を撫でてきた。

 私は羽美のことを抱きしめながら、ずっとずっとその場で泣き続けた。

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