第8話:引退

 梅雨時期にしては珍しく青空になったが、外は湿度が高くジメジメしてるのですぐに汗ばんでしまう。

 このまとわりつく湿気がとても不快だが、今の俺はそんなことは些細なことで、歩くたびにテンションが上がってきている。それもそのはずだ、今日は総体の2次トーナメント準々決勝で、あと3回勝てば全国に行けるのだから。


 運動系の部活動に力を入れていない進学校にしては快挙と言ってもいいだろう。そして、この快挙に大きく貢献しているのが、今俺の隣で歩いている幼馴染みの奏だ。



「ついに準々決勝だね! 今日もゆーくんのかっこいいところ見せてね!」


「あぁ、任せとけよ! 奏が強くしてくれた俺たちは誰にも負けねーよ!」


「そんなことないよ。ゆーくんたちがいつも頑張ってるからの結果だよ。いつも見てたから知ってるもん」



 そういうと奏は拳をギュッと握って、俺の目の前に突き出してくる。

 その拳に俺は自分の拳をコツンと当てる。

 奏は「絶対に勝とうね」と言い、ニッコリと眩しい笑顔を見せた。



「それにしても、今日の相手が羽月と決別したときに練習試合をした学校とはな」


「うん。あのときのゆーくんは特に凄かったから、今日は執拗にマークされると思うんだよね」


「あぁ、だけど奏にはそういうマークの外し方や、裏に出る動きとか色々教えてもらったからな。奏に教えてもらったこと、全てを出して今日の試合に挑むから、しっかり見ててくれな!」



 俺は体育祭が終わってから、部活終わりに奏に付き合ってもらって、自主練を毎日していたのだ。

 奏が様々なシーンを想定した練習方法を管理してくれたので、俺は一切の無駄をなくした効率の良い練習をすることができた。

 この恩に報いるためにも、『絶対に今日の試合に勝つぞ!』と改めて俺は誓うのだった。




 -




 試合は後半30分まで両チーム共に無得点で一進一退の攻防戦の様相を呈した。

 しかし、試合終了4分前に味方のパスをカットした相手チームが、カウンターでゴールを決めた。この失点が決勝点となり、俺たちは準々決勝で敗退することになった。


 チームメイトが泣き崩れる中で、ただ一人俺だけが泣くことができなかった。これで終わりという実感が湧いてこないのだ。俺はチームメイトに声を掛けて、センターラインまで行き、最後の挨拶をした。


 試合後は控室でみんな泣いていたが、ちょっとしたら落ち着きを取り戻して「俺たちが2次トーナメントの準々決勝まで来たの凄いよな」と互いを称えあった。このまま打ち上げをするかという案も出たが、引き継ぎ式の日にやることに落ち着いて、この日はその場で解散した。


 そして俺は今、奏と一緒に学校のグラウンドに来ている。



「終わっちまったな」


「うん。そうだね」



 まだ遅い時間ではないので、大会がなかった部活が普通に練習をしている。部活動をやってる人たちを見ていると、なぜか心がザワザワとしてしまうため、俺と奏は中庭のベンチへ移動した。



「なんかさ、終わっちゃったっていう実感がないんだよな。明日から放課後に部活をやらなくていいんだぜ? 信じられないよな」


「私もそうだよ。部活でみんなの頑張りを応援するのが当たり前だったからさ。お互いに引き継ぎ式は残ってるけど、本当にそれだけだもんね」



 その後、俺と奏は無言のまま遠くを見続けていた。隣にいる奏の顔を見ると、涙のせいか目が充血している。



「奏……。せっかく自主練にまで付き合ってもらったのに、負けちまってごめんな。俺の実力が足りなくて、マークを外すことができなかったよ。なんか全てを出し切ることが出来ずに終わっちまった」


「ううん。ゆーくんはかっこよかったよ。確かに試合には負けちゃったけど、惜しいシーンはたくさん演出できてたもん。だから、そんなこと言わないで。ゆーくんは最高だったよ」


「ありがとな。けど、なんでだろ。負けて悔しいはずなのに泣けないんだよな。俺ってこんなにも感情がないやつだっけ? って自分でも不思議な感じだよ。どっちかって言うと俺はすぐ泣くキャラだったからさ」



 不意に立ち上がった奏が、俺の首に手を回して抱きしめてきた。



「お、おい。奏急にどうしたんだよ」


「そのままじっとして私の話を聞いてくれるかな?」



 急に抱きしめられた俺は困惑しながらも「あぁ……」と呟いた。



「ゆーくんは別に感情がないやつとかじゃないよ。大変なことがたくさんあって、多分気持ちが追いついてないだけなんだよ。忙しくすることで目を背けることが出来てたんだけど、それも無くなっちゃって宙ぶらりんな感じなのかもね」



 奏が俺のことを慈しむように頭を撫でながら話を続ける。



「別にさ、試合に負けたから、みんなが泣いてるからって、自分が泣けないことを責めたらダメだよ。泣いたからその人の方が悔しいなんてことはないんだから。だからゆーくんはそのままで、今のままで別にいいんだよ。今までのゆーくんの努力は私は知ってるし、みんなだってよく分かってるよ」



 俺は奏の話を聞いて、なんか心がスっと軽くなった気がした。泣かなかったことで、俺はみんなと想いを共有できてない気がしていたんだけど、そんなことは無かったんだな。


 俺は奏の身体から離れて、目をじっと見つめた。まじまじと見られている奏の頬が徐々にほんのりと赤く染ってくる。俺はいつも助けてくれる奏に、「ありがとう」と心からの気持ちを伝えた。


 そして俺たちの話題は、これから先のことについて変わっていった。



「奏はこれから放課後はどうするんだ?」


「うーん。受験勉強を本格的にしないとって思ってるよ。ゆーくんもそうじゃないの?」


「あぁ、そうだな。最近は部活ばっかりだったし、そろそろ本腰を入れないとな。そういえば、奏はどの大学に行くかもう決めてるのか?」


「ゆーくんと同じ大学に行きたいんだ。小学校は別だったけど、中学校からずっと同じ学校に行けたら嬉しいなって思ってさ」


「それいいな。けど、奏の今の成績だと結構厳しいんじゃないか?」


「うわーん! そんなこと分かってるよー! だからこれから頑張らないとなんだよー!」



 顔を真っ赤にさせながら、頭を抱えてる奏がとてもコミカルな感じがして可愛かった。


 だけど、このままだと奏が合格するのは難しそうだな。何か良い方法は……。あっ、俺と一緒に勉強して分からないことを教えたらいいじゃん! 閃いた俺は早速奏に提案をする。



「なぁ、これから俺と一緒に勉強しないか? 奏が分からないところを俺が教えるからさ、一緒に頑張ろうぜ! サッカーで効率の良い練習法とかたくさん教えてもらったし、その恩返しでもさせてくれよ」



 すると奏の目がキラキラとして、また俺に抱きついてきた。



「ありがとー! ゆーくん、ぜひお願いします! 一緒に勉強させてください!」


「よし、じゃあ月曜から早速勉強しようぜ! まずは次の学内試験の勉強からだな。あっ、あと2人での打ち上げをどうするかも決めないと」


「ゆーくん覚えててくれたんだ!」


「当たり前だろ? 楽しみにしてるからさ」


「実は、部活が大変だったし、覚えてくれてるのかな? って不安だったんだよね。だから今すっごく嬉しい! 勉強も遊びも一緒にたくさんしようね、ゆーくん」



 俺に抱きついたまま、上目遣いで見てくる奏が可愛すぎて、俺はついつい頭を撫でてしまった。すると奏は気持ちよさそうに目を細めて、「えへへ」と照れ笑いをしていた。




 -




 家に帰ると、「おかえりなさーい」と華花の元気な声が聞こえてきた。



「今日の試合は残念だったね。好ちゃんったら人がたくさんいるのにワンワン泣いちゃって大変だったんだから」


「そっか、応援に来てくれてたんだよな。結果はあんなんだったけど、来てくれてありがとな」


「それ、好ちゃんにもちゃんと言ってあげてね?」


「あぁ、もちろんだよ。月曜日に学校で会ったらちゃんと伝えるよ」


「そんなの遅いよ! 明日何もないんでしょ? 今すぐに連絡をして、明日会って直接言ってあげてください」


「ちょっ! 今から連絡して明日会うのか?」


「当たり前でしょ? だってあんなに応援してくれたんだから、早めにちゃんとお礼を言わないとだよ!」


「お前もついてくるだろ?」


「は? 何言ってるの? そんな訳ないじゃん。2人きりに決まってるでしょ」



 当たり前だろ! と言わんばかりのプレッシャーに負けて、俺はその場で好ちゃんに電話することになってしまった。ちなみに連絡先は、前にRINEと電話番号を俺のスマホに華花が勝手に登録をしていたので知っている。

 俺は諦めてRINEの通話を押すと、まさかの1コールで好ちゃんは出た。



『ひゃっ、ひゃいっ! いったぁ〜い』



 耳元で劈くような悲鳴が聞こえる。どうやら舌を思いっきり噛んでしまったらしい。可哀想に……あれめちゃくちゃ痛いんだよな。



「だ、大丈夫? もうちょっと落ち着いて、な?」


『うぅ〜。申し訳ないです。それよりも先輩今日はお疲れ様でした! 結果は残念でしたが、とってもかっこよかったです!』


「こちらこそ応援ありがとうね。そう言ってもらえると嬉しいよ。んでさ、明日ってお昼くらい暇だったりする? もし時間があったら、今日のお礼を兼ねてランチでもどうかな? って思ってさ」


「行く! 行きます! どんな用事があってもキャンセルして行きますから!」


「いや、先約があるならそっち優先しないとダメだろ」


「ないです。ないですよ! それくらいの意気込みってことを伝えたかっただけですから!」


「お、おぅ。だったら良かった。じゃあ、駅前のファミレスでもいいかな? ……アダッ」



 急に足に激痛が走ったので、足元を見てみると華花がグリグリと足を踏んでいた。華花に抗議の目を向けると、修羅のような形相で「ファミレスなんてダメだよ! もっとオシャレなカフェとかにして!」と小声で言ってくる。



『優李先輩大丈夫ですか? 何かありましたか?』


「い、いや、大丈夫。えっと、明日なんだけど、隣の駅に新しいカフェが出来たらしいから、そこなんてどうかな?」


『あー、私も気になってたんです! 優李先輩と行けるの嬉しすぎます!』



 そして俺たちは、待ち合わせの場所と時間を決めて電話を切った。華花は満足そうな顔をして、「あそこのカフェってケーキが美味しいみたいだから、お土産に私の分も買ってきてね」なんて調子の良いことをニヤニヤしながら言ってくる。俺はそんな華花を見ると肩を竦めて「仕方ないな」と言いながら頭をグリグリと撫でた。

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