第17話
「――その、私がここに来たのは一年半くらい前なんですが、それまで、私って自我がなかったんですよね」
「自我がない?」
シアラは首を傾げた。いりせはうなずき、少し黙ってから、話を続けた。
「そこにあることを望まれる存在でしかなかった。記憶はあるんです。記録というか。でも。意思はない。私はそういう存在でした。でも、ある日私はここにきてしまった。そして、ここでご主人様に会いました。そのとき、ちょっとした事故がありまして。気づいたらこの姿になっていて、自我も生まれていました」
なんか、いまいち想像ができない。シアラの困惑した顔にいりせは笑った。
「自我が芽生えて、私は生きることを知りました。で、問題はここなんですけど、ようは私まだ生後一年半みたいなものなんですよね」
「せいごいちねんはん」
「自我ができてすぐなので……、それも含めて、私はここから離れることはできませんし、私の保護者であるご主人様はあんまり遠くには行けないんです」
「なるほど?」
全然状況がわからないが、少なくとも、いりせの存在は色々複雑だということはわかった。
(もしかしたら、転移者というより転移物みたいな?それなら魔法の使い方を習っていなかった理由もわかるかも)
どう見ても人間に見えるが、まぁ、異世界は数多とあるし、その中でどんな存在や現象が蔓延っているのか分かったものではない。
(追々確認しよう)
これは思考停止ではない。いったん横に置くだけだ。
シアラは野次馬根性をどうにか押しとどめ、うなずいた。そして、ふと疑問をつぶやく。
「ん、ちょっとまって。いりせさんとご主人様――じゃなくて藤峰さんって結局保護者と被保護者ってほうが正しいの?主従ではなく」
「主従もありきです」
「………」
謎が深まった。
シアラが脳内に疑問符を浮かべていると、いりせは「あ」と手をたたいた。
「そういえば、今日の日中、ご主人様は戻られましたよ。三十分もいなかったですが……」
「え⁈」
シアラは思わず声を上げた。
「い、いつのまに⁉」
「シアラさんと鴉さんが外に出ている間ですね。荷物を取りに来ただけだといって、すぐ出ていかれました」
「ええ……」
挨拶くらいしたい、というか、顔くらい拝みたいのに。シアラは眉を下げた。
(そんなに忙しいのか、そもそも私に会いたくないとか?)
そんなことを考えた時だった。
人の声が聞こえた。いりせと視線を合わせる。彼女も聞こえたようで、シアラにうなずいた。シアラは窓を開け、耳を澄ます。
「鴉の声……?」
「なにかあったんでしょうか」
心配そうないりせを見て、シアラは「大丈夫」といった。
「使い魔は身体能力を強化されているから、例え襲撃だとしても対応できる。――ただ、魔女が隠れてるっていうのは、性に合わないかな」
「シアラさん⁉」
一気に窓を開け放ち、身体に『力』を回し、魔法に変換する。
肉体強化は、魔法への変換器が要らないから得意だ。
「ちょっと見てくる!」
シアラは腕輪に慎重に『力』を注ぎ、自分の存在を『視』えにくくした。そして、窓から飛び降りる。屋敷内は魔法をかけにくいが、これくらいなら問題ない。
「!」
いりせが悲鳴のような声を上げたが、あまり気にしない。
地面に着地し、強化した足で地面を蹴る。塀の外にでて、声の方に向かう。
「――鴉ッ」
すぐに長身の影に気づいた。
「魔女」
振り返る鴉に声をかける。
「どうしたの?」
「屋敷の周りにいるやつに声をかけたら、突然とびかかられた」
「相手は?」
「逃げたよ」
「……」
「そんな顔をするな。ほら」
シアラに向かって、鴉は持っていたものを放り投げる。
「……帽子?」
受け取ってシアラが首を傾げた。
「ああ」
鴉はうなずいた。
「鳥人間がかぶってただろう。帽子。多分それと同じだ」
「……これが」
一瞬しか見ていないが、確かに鳥人間がかぶっていた帽子に見える。
「……この屋敷は知られているってことね」
「そうなるな」
鴉の言葉にシアラはため息をついた。そのとき、鴉が後ろを振りかえった。そして、唐突に走り出す。
「……ちょっ」
シアラも慌てて追いかける。追いかけっこはすぐに終わった。
立ち止まった鴉の斜め後ろにシアラが追い付く。鴉の視線の先、電柱に照らされる陰に、人がいた。コートは着ていない。ジーパンに襟付き半そでの、ごく普通の中学生くらいの少年だった。見覚えがある。
「……待って」
緊張感を保ったままの鴉の前に一歩出た。
「東儀さん?」
「……由加賀くん、なんでこんなところに?」
シアラはためらいながら、口を開く。
「僕の家がこの近くなので散歩してただけです」
小柄で華奢、生真面目そうな顔立ち。彼は突然追いかけられたことを何とも思わないような、妙に穏やかな表情で答える。
「……そう、なんだ。お休み」
シアラはすぐに彼から視線をそらして、背を向け、端的に伝えた。
「え。なんかあったんですか」
「何もない」
振り返って、強めの口調で繰り返し、シアラは屋敷の門に向かって歩き出す。
鴉は逡巡したのち、シアラのあとを追う。少年――由加賀はそれ以上何も言わなかった。
「……おい」
屋敷の敷地に入ってから、鴉がシアラに声をかけた。
「あいつ何者?」
「クラスメイト」
「それだけ?」
「それだけ」
シアラは今なら視線だけで何かを射殺せそうなほど渋い顔をしていた。
夏休みでせっかく顔を合わせずに済むと思ったのに。なんで。
「……お前、あいつに何かされたのか?」
「嫌なことがあっただけ」
「嫌なことって」
「思い出したくないから言わない!」
「もともとガキだが……その言い方だと、一気にガキっぽさが増すな」
鴉の言葉をシアラは無視した。
◇◇◇
「おはよう」
その日、シアラはいつもより少し遅れて、台所に顔を出した。
「おはよう、なぁ、魔女、今日は、――なんだその恰好」
朝食を食べていた鴉はシアラをみて、動きを止めた。
「制服。今日登校日だから」
シアラは自分の服を見下ろす。
白の上着に紺色の大きな襟。赤いリボン。スカートも紺色でプリーツはしっかり跡がついている。屋敷にやってきて早四日。早くステッキが見つかるといいなと思いつつも、登校日までに見つからなかったら困るし、と、屋敷に泊まり込む荷物にいれておいたのだ。
「セーラー服いいですよねぇ、可愛いですよねぇ」
いりせはにこにこしながら言った。そして、楽しそうにシアラの周りを回って、セーラー服を観察している。
「髪の毛は縛るんですか?」
「うん、いつも二つに縛ってる」
「……良ければ、私が縛ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
「ちょっと準備してきますね!」
嬉しそうに部屋から出て行ったいりせを見つつ、シアラは席に着いた。
席に用意されているパンは、黄金色に焼けている。その上にたっぷりのバターをのせ、口に運ぶ。しょっぱさと、甘さ。焼き目の触感と、ふわふわの中身。
たまらなく豪華だ。おまけに目玉焼きとハムも、簡単なサラダもある。最高だ。
(新学期もこういう朝ご飯が食べれますように……)
と祈りつつ。
もぐもぐと食べ始めたシアラをみて、鴉は言った。
「じゃ、今日はどうすんだ」
パンを飲み込んでから、シアラは鴉を見た。
「私は学校に行くから、鴉は鴉だけで見回りお願い。あ、忘れるところだったけど、これ渡しておくわ」
ポケットから取り出したものを、鴉に差し出した。シアラの腕にはまっているものと同じような腕
輪だった。鴉は受け取りつつも、言った。
「これ、いりせならともかく、俺でも使えるのか?」
「これはあんた用に調節したやつだから使える」
魔道具の使用対象者をシアラ個人から、使い魔である鴉を含めるように調整したものだ。
「これを持っていれば、遠隔で私もそっちの『ステッキがあるか』の探知ができる――と思うから」
ちょっと逃げのある発言だった。
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