第15話

「シアラさん、どうされましたか?」




 立ち止まったシアラにいりせが声をかけた。シアラは「大丈夫」とだけ言って、ハトに近づいた。ハトのそばに行くと、何か、膜の中にはいるような感覚があった。これは、結界だ。外側からは、中で何が起こっているのか全く分からなくなるものだろう。




「――お母さま」




『伝言は受け取りました。無事みたいね、シアラちゃん』




 ハトから母の声がする。母の使い魔のハトだ。いつもの母の軽薄さが消えた声に、シアラは背筋を伸ばす。屋敷内ではうまく魔法が使えないことを伝えたためか、わざわざ使い魔を飛ばしたようだ。




「はい、無事です」




『後ろの子は、不思議な気配の子ね。調停者ではなく……あれね、あの子は転移者なのかしら。調停者のもとでは転移者も協力しているのね』




「――そうです」




 例え、普段の言動がふわついていてもシアラの母は魔女だ。姿を見るだけでそんなことまでわかるのか。シアラよりも長く、それこそ百年以上を生きる魔女。




『ステッキを無くすなんて我が身の恥、と嘆くのは簡単だけど――』




 ハトは小さくうなずいた。




『もしステッキを取り戻すことができ、調停者との連携が取れるのであれば今回の不始末。不問としましょう。ただ、あなたはステッキがなくてあとどれくらい持つかしら?』




「……変換器の予備はあります」




『そう。東儀シアラ、貴方はこの創楽の魔女が命を分けて創ったもの。未熟とはいえ魔女のうち。誇りくらいは見せなさい。――ただし、魔女の毒にはならぬよう、それだけは厳命します。お母さんに、貴方を殺させないでね、シアラちゃん』




 母の宿ったハトはそう言い放つと、静かに羽を広げた。そして、夕焼けに満ちつつある青とオレンジのグラデーションを描く空に飛び立っていった。


 シアラはそれを見送りながら、唇を噛む。


 魔女の毒とは、魔女を売るもののこと。魔女を売りさえしなければ、他の魔女はシアラが何をしようがかまわない。シアラだって、魔女の毒になるつもりはない。なったところで益はない。


 それで不問にしてくれるなら願ったりだ。――まぁ、ステッキを自分で取り戻さなければいけないことに変わりはないけれど。




「あ、あの、シアラさん大丈夫ですか?」




 いりせがシアラに声をかけた。様子をうかがっていたらしい。もう、結界は解けている。


 振り返って、できるだけ笑顔にみえるように口の端を上げる。




「大丈夫」




 今までだって一人でやってきた。自分は魔女の子。普通の十四歳ではない。


 だから、大丈夫だ。








「遅かったな」




 屋敷に戻ると、鴉が玄関にいた。




「す、すみません、そうでした。鍵をお渡ししてませんでした……!」




 玄関の前の階段に座り込んでいる鴉に、いりせは慌ててかけよった。


 鴉は特に気にしていないようだが、だいぶ待ったようだ。家の中に入りながら、シアラは鴉にたずねた。




「どうだった?」




「カラスたちと意思疎通できたぞ。何か変わったことがあれば俺にいうよう伝えておいた」




「そう」




 どこまで状況の確認に役立つかはわからないが、少なくとも協力自体は望めるらしい。




「お前は?」




「私?」




 鴉の問いかけに首をかしげる。




「なんか、また落ち込んでるだろ。何かあったのか?」




「なんでもない」




 シアラは首を横に振った。




「母から連絡があっただけ」




 シアラの言葉に鴉が「そうか」とうなずいた。




◇◇◇




「こ、これが煮込みハンバーグ……おいしそう」




「熱そうだな、だがうまそうだ」




「アツアツがおいしいんですよ~!」




 夕食の席で披露された煮込みハンバーグにシアラと鴉は歓声をあげ、いりせはやってやりましたという顔で笑った。近づくだけで感じる熱さに立ち上るいい匂い。ごろごろと大きめに切られた野菜はホクホクで、大きめのハンバーグを割るとトロリとチーズが零れ落ちた。そして、全体を包み込むのはデミグラスソース。濃厚な味わいのそれを野菜やハンバーグと絡めると絶品だった。藤峰が喜んだというのもうなずける。


 シアラはトーストされたバケットを。鴉はご飯を選んだ。あまりのおいしさにシアラも鴉も絶賛し、いりせはうれしそうに笑っていた。


 食後、皿洗いを任せてほしいといったが、明日の仕込みもあるので、と断られてしまった。


鴉は夜回りと称して、屋敷を出た。


取り残されたシアラは、借りたタブレット端末をもって部屋で情報収集をすることにした。


机に向かい、端末で近隣の地図をだす。神社、寺で検索。




「うーん……」




 シアラが思っている以上に、この街には神社と寺があることはわかった。ひとつひとつつぶしていくのが確実ということになるが、時間がかかる。そもそも、寺や神社は『力』があるところして確定しているが、それ以外にも『力』がある場所がないわけではない。探すとすると、地図を塗りつぶしていくような足頼みの調査になってしまう。何か、もっと効率的な方法はないのだろうか……。




(もうこの街にないってことはないよね。明確な距離はわからなくても、ステッキがある気配は感じるし)




 少なくとも、街のどこかにはあるのだ。




「……結局、現状足を使えってことに変わりはないわけだよねぇ……」




 魔女の中には陣地を作り、その中にあるものすべてを把握しているものもいるらしい。それくらいの力があれば、脚を使わずにわかるだろうが、シアラはまだ畳一畳程度の陣地しか作ることはできない。それもステッキを使ってだ。




(まだまだ、学ぶものが多すぎる……)




 母の言いたいこともわかるのだ。


 人間ぶって、人の生活をまねるばかりではなく、魔女としての本質を極めろと言いたいのはわかる。多くの魔女は十五には正式な魔女になるということも。十四のシアラが未だに魔女として独り立ちすることができないのは、中学生として生活しているからだということも。


 本来であれば山籠もりでもして、魔法を極める時期だが、シアラは中学生として生活し、人間としての勉強も行っている。




(でも、捨てきれないもんは捨てきれないし。まぁ、どうにしたって、今はステッキを見つけるしかないわけだけど)




 ステッキが見つかれば、調停者との協力関係の話ができる。それがうまくいけば、シアラと調停者で協力関係を結べるし、逆を言えばそんな関係を築くとしたら、人間社会に紛れて暮らしていたシアラが一番適任のはずだ。


 そのためにはまず、ステッキを見つけて、自らの有用性をアピールしないと。




「まぁ、ステッキなくておいて何言ってんだって感じかもしれないけど、まぁそれはそれとして。結局そこに落ち着くんだよねぇ」




 シアラの中で結論がでたとき、ドアをノックする音が聞こえた。




「はーい」




 鴉だろうか。シアラが声をかけると、ドアが開いていりせが顔を出した。




「遅くに、すみません」




「いえいえ大丈夫です」




 何かあったのか、と腰を上げたシアラに、いりせは慌てた様子で左手を横に振った。




「大したことないんです!ただ、その、お菓子を作ったので、シアラさん食べるかなって」




「お菓子……?」




「はい。マドレーヌを。夜だからあんまりたくさん食べちゃダメですけど、焼き立てはおいしいので是非」




 いりせは右手をあげた。右手にはマドレーヌが積まれたお皿がある。


 いい匂いがシアラのところまで届いた。


 さっき夕飯をおいしく食べたばかりなのに、あまりにおいしそうな匂いにシアラは唾をのむ。




「ぜひ食べたいです」




 シアラの言葉に、いりせは微笑んだ。


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