第3話
衣食住の『衣』は母の趣味で潤い過ぎているほど潤っているが、残りの『食』と『住』は常にギリギリである。とはいえ、日々節約の中にもたまには自分を甘やかしたい。特に母の無責任に振り回された日は特に。というわけで、シアラにとって安売りの時に買っておくアイス貯金は重要なのである。
「小豆のしかないじゃん……すぐに食べたいけど固いし……どうしようかな」
一人暮らし用の冷蔵庫の小さめの冷凍庫を開けて、眺める。冷たい風が肌を撫でる。
その涼しさを感じながら、ため息を吐く。
(魔女かぁ……)
もっと自分がしっかりした魔女だったら、こんなに困らないのだろう。
シアラは魔女である。魔女として創られた存在だし、魔法が使える。それは間違いない。
しかし、それだけだ。魔女としての自覚も薄く、魔女としての力もまだまだ未熟。そんなシアラに母は魔女の自覚と持てと、魔女として早く一人前になれとせかす。
そもそも魔女の自覚を持ってほしいなら、こんな現代日本で育てず、山奥で魔法だけ教えていればよかったはずだ。それを『魔法少女』を育てたい♡というよくわからない願望で、半ば普通の人間のように育てておきながら、何をいまさら。
(荷が重い……)
鬱々として、ため息をついたとき、バサリ、と鳥が羽ばたく音が聞こえた。
やけに大きな音だった。不審に思い、シアラは窓の方をみる。
そして目を疑った。
カラスだ。あけ放った窓からやってきたらしいカラスが、窓辺のローテーブルの上にいる。
「へ?」
思わず漏れたシアラの声に、カラスは「人がいたのか」とでもいいたげな顔でシアラを見た。
一人と一羽の視線が交わる。
シアラが硬直していると、カラスは小首を傾げてから、器用にシアラのステッキ――腕輪の形にしているので、つかみやすそうだ――をつかみ、羽ばたいた。宙を舞い、窓からその身を飛び出す。
あわててシアラが窓に駆け寄り、空を見上げた。カラスはステッキを危なげなく掴んだまま、空を行く。
シアラはそれをなすすべもなく見守っていた。
「……今のって、ただのカラス?それともさっき話に出た転移者関係じゃないよね⁉そんな『力』も感じなかったし。……いや、どっちでもまずいやつ……」
シアラはつぶやいたのち、急いで部屋の隅の荷物を漁り、そこから腕輪――手作り感あふれるもの――を手に取り、腕にはめた。
「落ち着いて落ち着いて――まだ遠くに行ってないはずだから追えば間に合う……って、あ」
シアラは慌てて振りかえり、あけたままだった冷凍庫のドアに駆け寄り大急ぎで閉めた。
「――今日はもう本当全部最悪」
大きなため息が漏れた。
暑い日差しが白い肌に影を作る。額から汗を滝のように流しながら、シアラは大きく息をついた。
「こんな暑い日に、外で探し物かぁ……」
そう呟いてから、深呼吸して息を整えようとするも、なかなか難しい。先ほどから右へ左へ、ついでに後ろに戻ってを繰り返していたシアラは、うんざりしながら腕輪を眺める。
憤りで気持ちが落ち着かない。
シアラはいったん休憩しようと、背のびをして、周囲を見渡した。
コンクリートで出来た塀に、レンガが積まれた塀。様々な形の建物に、申し訳程度の緑。足元はアスファルトで覆われた道。
シアラが立つそこは住宅街のド真ん中、十字路だった。
(せっかくの夏休み、誰にもあわずにだらだら過ごせると思っていたのに、面倒ごとを招くとかめちゃめちゃついてない)
シアラは唇を噛んだ。
そもそも、アパートにクーラーがないのがいけない。
いや、それをいうと、母に「魔女なら魔法でどうにかすればいい。空調を整えることすら満足にできないの?」と、言われるだけだ。
(そもそも、せっかく現代社会に生きてるんだから、クーラーとか使えばいいし。無理に魔法だけにしなくてもいいのに!)
とはいえ、お金に余裕があるわけでもなく。
「あーもう!どこにいんのよあの馬鹿カラス……見つけたら焼いてやる」
自分に対する憤り、母に対する怒り、その他不平不満と憤慨を自分のステッキを奪った相手にぶつけることにして、シアラは腕輪に目を向ける。
そして、改めて深呼吸をし、目を閉じた。気持ちを平静に。『力』を抑制しながら腕輪に通し、探索の魔法を起動する。
今度は成功。何とか、方向が分かった。――気がする。
「ホント、精度悪いなぁ、これ……」
シアラは目を開けてため息をついた。
シアラの母である魔女はモノづくりに特化した魔女だ。そんな母が丹精込めた一点もののステッキは未熟者のシアラが作ったこれは、比べると雲泥の差。
(救うべくは、カラスが転移者じゃなさそう、ってことくらいか)
奪われて三十分は経つだろうか。しかし、ステッキを使われた感覚はない。
そもそも転移者はそのへんにいるものではない。つまり、カラスはただのカラスで、見かけたシアラのステッキを盗んだだけ。
それはそれで他人に知られたくない話だ。さっさとステッキを取り戻して、家に帰りたい。
(癖で腕輪の形にしちゃったから、つかみやすかったのかなぁ……。でも、私からあんまり離れるとステッキの形に戻っちゃうから、どこかで落とすはず……。距離と方向的にも、この辺りだと思うんだけど……)
心でつぶやき、シアラは腕輪を見た。自作の腕輪はちょっとチャちい。
シアラのステッキは彼女がこの世界に生まれ落ちた瞬間から、そばにあった。母がシアラのために作った彼女専用の『力』を魔法に変えるための魔道具なのだ。
長い経験をもつ魔女であれば、そんなもの使わずとも、自分の体一つで『力』と魔法に変換することができる。しかし、先ほど母に言われた通り、シアラは若輩であり、未だ魔道具がなければ『力』を魔法に変換することができない。
現状、シアラはステッキがないので、魔法がほとんど使えない。他の魔道具でも代用はできるが、変換効率が落ちる。
(何がなんでも早く見つけないと)
腕輪をにらみつける。即興の回路代わりの魔道具も全く使えないわけではない。向かう先はわかる。
ただ、薄ぼんやりと『視』にくいだけで。
十メートルほどすすみ、足を止め、小首を傾げる。
「方向はあっているけど」
距離がいまいち。
飲み込んだ言葉をそのままに、少女は再び足を運びつづけた。
盗んだのがカラスというのも気に食わない。カラスは昔から嫌いだ。ずるがしこそうな目、漆黒の陰気な面構え。
カラスが悪い。カラスが悪いのだ。夏休みの宿題なんてものはとっくの昔に片づけたというのに、こんなことになるなんてカラスが悪い。
(ところで、だいぶ家から離れた気がするけど、ここどこだろう)
見渡せば家々が連なる住宅街は、先ほどよりも高級な感じがする。
「ん?」
見回した景色に違和感を覚え、シアラは足を止めた。
道の反対側のベンチに一人の女性が座っている。裾の長い黒いワンピース、華美すぎない白いエプロンとヘッドドレス。モノクロの中に唯一、ピンク色のスカーフが胸元に飾られている。
いわゆるメイド服を着た、若い女性だった。
(生メイド、始めてみた)
シアラは一瞬にして目が釘付けになり、相手に気づかれたらと慌てて視線をはずした。
しかし、こらえきれずにちらちらとメイドを見る。
(こんな住宅街にメイド喫茶なんてないよね?趣味の服装とか?まさか本物のメイド?)
バスを待っている様子の彼女は大きめのバスケットを抱え、読書をしている。
(遠出って、こんなことと出会うこともあるんだすごい)
何かずれた感心を覚えながらシアラはメイドをちらちら横目で視つつ、不自然にならないように歩を進め続けた瞬間だった。
よそ見をしていたせいか、シアラの足がからみ、バランスを崩す。そして、
「あいたッ」
シアラはそのまま地面に倒れこんだ。
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