第7話 パウロは難しい
時たま、英語訳聖書の箇所も目を通すがさっぱりだ。翻訳しても意味違いが多い。そう言えば僕は昔から外国語がやたらと苦手としていた。
中学の時、英語の点数一桁だったこともある位駄目だった。歳を重ねて気付いたのは英語とは言語とは知っている語彙数に左右されることが判ってきた。文法が未熟でも単語の意味さえ把握しておけばある程度何とかなる。後はひたすら反復だ。
齢を重ねると確かに記憶力は弱くなる。でも、大事なのは継続なのだ。聖書も同じで時間があったら眼を通す習慣を身に着けると少しずつ進んでいく。
そして、解らないことが更に増えていく訳だ。
「解らん」
「何が?」
「パウロが」
「そんなむずかしいの?」
「言っていることは何となく解る。けれど、一番解らないのはパウロが回心した理由だよ」
「せーしょにかいてあるよ?」
「確かに書いてあるんだけどさ」
ぶっちゃけ、僕のキリスト教研究の最初の頃はパウロを重要視していなかった。
だけど、パウロの背景を知る中で解決出来そうで出来ない問題が出てきたのだ。浅はかなことに僕はパウロと軽視していた。
だけど。
「やっぱり解らないなあ」
「パウロはね、神様にあったんだよ。だから、それはふつうできせきなことなの」
「ウリエルさんはパウロと家族だもんね、けどなあ、僕は」
やっぱり理解し難い。パウロは小さき人と言う意味合いで元の名はサウロだった。彼は当時のファリサイ派の最高指導者の一人でもあったガマリエルの弟子の一人だ。しかもローマ市民だった。
現代風に言うなら東大や京大の学部長さんのお弟子さんで金持ちな訳だ。そんな人が華やかな都会から離れた奥地で始められた新興宗教に身を投じるのか? どうしても利点が思い浮かばない。
その利点を無視してただひたすら与えるのが、捧げるのが、歩むのが、信仰の基だって言われたらそれまでだけどさ。
「ファルマコはむずかしくかんがえすぎだよう」
「そうだね。よく一つのことしか考えないって僕自身も感じるよ。なんて言うか、見方が狭いんだろうね」
「道はひとつじゃないの。むげんにあるの」
「ふーん、そんなものかねえ」
ウリエルの言うことが今一理解出来ない辺り、僕は道半ばなのだろうな。そう感じる朝だった。
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