第20話 誕生日を迎えたら
「はあ~~!? 出張!?」
朝からオフィス中に夢子の声が響いている。
どうやら課長から出張に行けとの指示が出たらしい。
「しかも!! なんで!! 久慈となんですかぁ!!」
「いやぁ~、彼のこと先方に連れて行って紹介してほしくってねぇ」
「ちょっと、夢子さん、俺のこと嫌いすぎじゃないですか……?」
「別に嫌ってないでえええす」
不機嫌をまき散らしているが出張が取り消しになることはなく。
彼女はブーブー言いながら席に戻ってきた。
「せっかく大阪まで行くんだから楽しんできてください」
私が慰めの言葉をかけると、夢子は仕方がない、と言ったように一つ大きなため息をついた。
「まあ? 久慈といのり先輩が一緒じゃなかったからよかったですけどぉ」
「えー? 俺はいのりさんと一緒がよかったんですけどね」
「ハイ、そこ。うるさいですよぉ」
久慈くんへの突っかかりは復活してしまったが、久慈くんも夢子がいつもの調子に戻ったことが嬉しいみたいで積極的に絡みに行っている。
「いのりさん! お土産何がいいですか?」
「あっ! 何一人だけ好感度上げようとしてるんですかぁ! 抜け駆け禁止!」
先ほどまでの行きたくないオーラはどこへやら。
今は久慈くんにどちらがいいお土産を買えるかという勝負を仕掛けていた。
◇
夢子と久慈くんの出張は今日から1泊2日。
『お土産楽しみにしててくださいね』と二人から連絡があった。
帰ってきたら、どちらのお土産の方がいいか聞かれるのだろう。
『ありがとうございます』と返信をして、業務に取り掛かった。
カタカタとキーボードを打つ音だけがあたりに響く。
いつもだったら夢子が「いのり先輩、ちょっといいですかぁ?」と話しかけに来たり、久慈くんが「いのりさん!これ、限定発売してたので、おすそわけです」とお菓子をくれたりするのだが……
そこで気がつく。
いつも頻繁に話しかけに来る人が二人ともいないから、静かだったわけだ。
夢子が配属される前はこれが当たり前だったのに、いつからか賑やかなのが当たり前になっていた。
以前の私だったら、もっと目立たない様に静かにしていただろうに。
この変化を受け入れているところを見るに、私は思っていたよりここの空気が気に入っているらしい。
ちょうど二人は大阪に着いた頃だろうか。
現地でも喧嘩しているであろう二人に思いを馳せていると、井口さんが私の席に近づいてきた。
「都さん、お疲れ様」
「お疲れ様です」
「頼まれてた過去分のデータ見つけたからあとで送るわね」
「ありがとうございます」
彼女は夢子と久慈くんの席を見やる。
「二人がいないとずいぶん静かね」
「ええ。そうですね。静かすぎて驚いています」
「普段賑やかだから、いないと寂しいわね」
以前はあんなに煙たがっていた夢子のことを『賑やか』だと、しかも『いないと寂しい』と思っていたのか。
久慈くんのこともひっくるめて話しているからかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
夢子の活躍を見て、井口さんが認識を改めたのは知っていた。
しかしそれでも夢子を苦手だと思っている節があったのだ。それが変わっていただなんて。
彼女の言葉に驚愕し顔を凝視すると、彼女はばつが悪そうに顔を赤くしていた。
「まぁ、以前は彼女の行動が良くなかったからああ言っていただけで……別に嫌っているわけではないのよ?」
よほど私の視線が不躾だったのだろう、井口さんは「それじゃ」と言って自席に戻っていった。
環境が変われば人も変わる。
職場の雰囲気もいい方向に変わっていっているみたいだ。
私は午後片付ける仕事をまとめて昼休憩に入った。
◇
今日は珍しく定時で上がれた。
いつもは日がどっぷり落ちてから帰社しているので外が明るいことに違和感がある。
……定時で帰ることに違和感を覚えてしまっているあたり、立派な社畜だ。
せっかく早く帰れたのだし、買い物でもしよう。
会社の最寄り駅の商業施設は、平日だというのに中は人でごった返していた。
スーツ姿の人もいるところを見るに、彼らも仕事終わりに買い物に来たのだろう。
当てもなくさまよっていると、雑貨屋のクリスマスコーナーが目に入った。
ついこの間ハロウィンが終わったというのにショップはクリスマス一色になっていて、サンタクロースやツリーが所狭しと陳列されている。
クリスマスコーナーの横には誕生日プレゼントのおすすめコーナーがあり、『迷ったらこれ!』という手作りのポップが商品見本についていた。
『先輩。そろそろ誕生日ですよねぇ? 欲しいものとかありますかぁ?』
『いのりさんのお誕生日、来週ですね! プレゼントって何がいいですか?』
久慈くんと夢子からそれぞれ個別に誕生日のプレゼントは何がいいのか聞かれていたことを思い出す。
もちろん、何かを強請ったわけではなく、『お気持ちだけでうれしいです』と伝えたのだが、二人は納得しなかった。
……大阪土産の時のように、どちらがいいプレゼントを選べるのか勝負をしそうだな。
想像して笑いそうになった。
今年の誕生日は嫌なことばかりだと思っていたのだが、二人のおかげで少しだけ楽しみなことができた。
……今年で29歳になる。
きっとこの生活も近いうちに終わってしまうのだろう。
『29歳までだ。そこまで自由にしているといい』
父の言葉が聞こえた気がした。
◇
買い物に興じる気分でもなくなってしまい、踵を返す。
商業施設から出て帰路へ着こうとしたところで、真横に車が止まった。
不思議に思ってそちらを見ると、そこにはメルセデスベンツが。
どうしてこんなところに高級車が?
そう思ったのもつかの間、ドアガラスが下がり、見知った顔が出てきた。
「いのりっ!」
「実……!?」
彼が口を開こうとする前に走り出す。
私の行動に驚いたのか、急いで車から降りているような音が聞こえた。
「待って、いのり! 話がっ!」
制止する声を振り払い、人ごみに紛れる。
途中まで追ってきている気配があったが、どうやら私を見失ったようだ。
どうして、このタイミングで彼にあったのだろうか。
完全に彼の姿がなくなったものの、動悸は止まらない。
どくどくと落ち着かない脈のまま、身を縮めて駅の改札へと走た。
◇
「いのり、家を出たいというのは本当か」
目の前に父が座っている。
広い応接室に私と両親だけ。
普段だったら父が来客応対の際に使う部屋だが、この部屋で話していた。
「はい。間違いありません」
父は顔色一つ変えない。
何かを確かめるような、試しているような目つきで私を見ている。
「お前ひとりで生活していけるのか? 外の世界のことを何も知らないお前が?」
「父さん。でも、私は」
「いのり。我がままを言ってお父さんを困らせないの」
母が父の肩を持つ。
いつもそうだ。母は私の味方など一度もしたことがない。
「……わかった。ただし条件がある」
父が重たい口を開く。
「29歳までだ。そこまで自由にしているといい」
「お父さん、いいんですか?」
母がおずおずと父の顔を覗き込む。
「ああ。社会を知っていたほうが後の役に立つ。そのほうがいいと判断したまでだ」
父は私を見てなどいない。
私という存在が使えるかどうかしか見ていないのだ。
父の言葉に返事もせずに立ち上がる。
母から「いのり、返事くらいしなさい!」と言われたがその言葉も無視して応接室から出た。
◇
ゆっくりと意識が浮上する。
むくりと体を起き上がらせ、辺りを確認する……どうやら寝てしまっていたようだ。
あの後、帰ってきてからすぐにベッドへ倒れこんだらしい。
スーツを着たままだし、化粧も落としていない。
はぁー、と一つため息をつき風呂場へ向かう。
先ほど見ていたのは過去の記憶だ。
父の思うようにはなるまいとしていたはずなのに、結局最後はあの人の掌で転がされるのか。
ぬるま湯で化粧を丁寧に落とす。
見上げた先の鏡に、ひどく不安げな顔をした自分が映っていた。
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