第18話 来てほしくないときに仕事は来るもの
「はい。こちらどうぞ」
今日誕生日なことは以前聞いていたので、ささやかながらプレゼントを渡した。
知っているのにお祝いしないのも失礼かな、と思ったのだ。
といっても渡したのはカフェで使えるプリペイドカード(3000円分)なので、大したものではないのだが。
「へぇっ? ……あ! 今日、俺、誕生日! えー! うれしいな! ありがとうございます、いのりさん!!」
案の定、というか……久慈くんは大変喜んでくれた。
大げさでは?と思うレベルだ。渡したのがプリペイドカードなのが悔やまれるくらい喜んでいる。
そして彼の声も大きいのでフロア中の視線が集まっている。
その中には今野さんや水島さんのように好奇の眼差しを向けてくるものも多いので、大変居心地が悪い。
そんな視線も久慈くんには全く届いていないようで、中身のカードを検めて「大切に使いますね!」と言葉を返してきた。
「有効期限があるので、気を付けてくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
彼は私に深々とお礼を言った。
……こんなに突っかかりどころ満載なやり取りをしているというのに、今日の夢子は一向にアクションをかけてくる気配がない。
いつもだったら「ハイハイ、通行の邪魔ですよぉ~」とか言って久慈くんをどかすのに、今日はそれがない。
それどころか、夢子は真顔で私たちを遠巻きからじっと見ているだけだった。
何かしら喜怒哀楽が表現されていれば彼女の考えていることが分かったかもしれないのだが。
一瞬彼女と目が合ったが、彼女はフイッと顔を背けてしまった。
……こんな反応をされたのは最初、夢子がまだ猫を被っていたころ以来だ。
「いのりさん! そういえばなんですけどね……」
聞きに行こうとしたタイミングで久慈くんに声をかけられる。
無下に扱うわけにもいかず、対応している間に夢子の姿は見えなくなってしまった。
◇
そのうち聞くタイミングが来るだろう、と後回しにしてしまったのだが早々に後悔し始めていた。
話しかけようとしても明らかに避けられているのが分かる。
話しかけても「はーハイ。そーですねぇ」とか適当な相槌を打つだけで、会話を秒で切られる。
極めつけは昼休憩だ。
久慈くんが声をかけに来てくれたのだが、その時にはすでに夢子はフロアにいなかった。
彼女に聞いてみようとアプリを開くとすでに『今日は新しくできたカフェで食べるので~』というメッセージが来ていた。
「あれ、夢子さん、フロアにいないですね」
久慈くんも気付いたようで、あたりをキョロキョロと見渡している。
「なんか、近くにできたカフェでご飯食べるらしいです」
「あー! あのカフェですね! パンケーキがすっごい凝ってて美味しそうなところなんですよ!」
そういうと久慈くんはすごい勢いで検索をかけ、画像を見してくれた。
SNSでも写真の投稿がされているようで、画面には色とりどりの果物に囲まれたパンケーキの写真がたくさん表示されていた。
「あとで感想聞いてみよ~っと。……ということはいのりさんと二人っきりってことですよね。えっへへ、ちょっとドキドキしちゃうなぁ~。あっ! ぼんやりしてたら休憩が終わっちゃいますね。それじゃ、行きましょうか!」
早く早く、と久慈くんにせかされ扉に向かう途中、周りからの視線に気が付いた。……いつもなら夢子が一緒にいるが、今日は久慈くんと2人だからか。
チラチラと私たちを盗み見ているので、「2人って付き合ってるのかな?」とかそういう話をしようとしているのが遠目でもわかる。
いや、もしかしたら現在進行形で話に花を咲かせているのかもしれない。
無意識に出たため息に久慈くんが不思議そうに首をかしげる。
「すみません、何でもないです」
早口でまくし立て、視線を振り払うように歩みを進めた。
◇
「そういえばなんですけど、いのりさん的に俺ってどうですか?」
「どう、とは……?」
「タイプだったりしますか?」
「タイプ……」
そういうと久慈くんは揚げたての唐揚げを頬張る。
先日今野さんに聞かれたような話を久慈くんから再度聞かれることになるとは。
「タイプ、というのは考えたことがないので分からないです」
「なるほど、なるほど。じゃあ、俺自身をもっと知ってもらって、好きになってもらえるように頑張りますね!」
「……ずっと気になってはいたのですが、どうして私が好きなんですか?」
「どうして、ですか?」
「一目惚れ、と仰っていましたが……」
彼に好きだとは言われるがどうしてなのかが分からないのだ。
私は彼に対して特別に何かをした訳ではない。ただ駅でスマホを拾っただけだ。
それに一目惚れとは言っていたが、中身を知ったら想像と違うことだってあるだろう。
目を丸くしていた彼は口元に手をやる。
「うーん。一目惚れ、っていう言葉にまとめて良いのかは微妙なところですけど……俺はあの日、人の波をわざわざ掻き分けて俺のスマホを拾ってくれた貴女の優しさを好きになったんですよね。それは見た目が好き、とはちょっと違うと思うので一目惚れ、とは言ったんですけど、正しいのかは分からないですね!」
「そう、ですか」
前々から思っていたが、こうもストレートに言われると何と返して良いかわからない。
彼は私のことを『優しい』と言う。
しかし、それは
……夢子はどう思って私のことを『好き』だと言ってくれたのだろうか。
美味しいはずの定食なのに、今日に限っては味が全然しなかった。
◇
急ぎの仕事というのは、『今日だけは来るな!』と思っている時に来るものだ。
昼休憩も終わり機を見て夢子に話しかけようとした矢先、課長に捕まった。
「都さぁーん。ごめんなんだけど! これ! 今日中にお願いできるかな??」
「……承知いたしました」
仕方ないと思いたい気持ちもあるが、きっと決定を先送りにして今日締め切りになっているのだろう。課長に
心の中で課長の髪の毛を
これでは夢子に話しかける余裕はなさそうだ。
しかも運が悪いことに夢子も久慈くんも別の業務で先週から捕まっているのでこちらの応援に入ってもらうのは厳しいだろう。
遠目でちらり、と夢子をみやる。
本日何度目かも分からないため息が漏れた。
現在時刻は18:30。
モチベーションが過去最低だからか、はたまた余計な雑念が混じっているからか、作業は一向に進まない。
というか進まなさすぎて終電で帰れるかが怪しいラインになってきた。
先に帰って行った人達に手伝うかどうか聞かれたのだが、どう考えても終電コースに巻き込んでしまうので丁重にお断りした。
久慈くんも手伝うかどうか聞きに来てくれたのだが、今日は帰るように伝えた。
彼は最後まで食い下がっていたが、ここ連日、夢子と一緒に1時間は残業していたのを知っていたので、なんとか言いくるめて帰ってもらった。
「無理はしないでくださいね、いのりさん。」
と困り眉のまま、久慈くんは背中を丸くして帰っていった。
◇
カチ、カチ、と時計が進む音だけが響く。
コーヒーを飲んだり、首周りのストレッチをしたりしたが、集中力が戻る気配もなく1時間が経過した。
このままでは単に座っているだけになってしまう。
どうしたものかな、と悩んでいると、フロアの扉が開く音がした。
こんな時間にこのフロアに来る人間といえば藤沢だろうか。
彼もまた上司からの依頼で資料作成することが多く残業しがちだ。そして私が残業していると決まってこのフロアにふらっと訪れ、飲みに行くか誘いに来るのだ。
最近は夢子と一緒にいたからか、飲みに誘われること自体減ったが。
まぁ、藤沢だったら別に振り向かなくてもいいか。
そう思い軽く伸びをしていると、藤沢より明らかに背の低い影が私にかかった。
「先輩」
なぜか帰ったはずの夢子の声が後ろからする。
いつもよりテンションが低いからか、声のトーンも低くなっている。
「夢子さん」
「それ、私も手伝います」
言うや否や私の隣の席に腰かけた。
なぜ、わざわざ戻ってきてくれたのかは分からないが、正直一人では終わる気がしていなかったのでありがたい。
……けれど夢子も連日、残業続きだったから疲れているのではないか?
「夢子さん、最近残業続きだったから、その。無理してませんか?」
「無理してるのは先輩のほうだと思いますけどねぇ。いっつも課長の無理難題で残業してるしぃ」
「……確かにそうですね」
「それにぃ。善意だけで戻ってきたわけじゃないんですよぉー」
「えっ?」
「これ終わった後にちょこーっと時間、欲しいんですよねぇ。……いいですかぁ?」
いいですかとは聞いているものの、声の圧が完全に疑問形ではない。
しかし手伝ってもらえるので私には断る権利はない。
「はい。わかりました」
「じゃ、さっさと終わらせますよぉ」
いつぞやみたいに二人フロアに残って仕事を片付ける。
あの時と比べると関係性もずいぶん変わったなあ、とぼんやり思っていると「先輩、終電前に帰る気ありますかぁ?」と悪態をつかれてしまった。
久々に聞いた強気な発言に思わず笑いが漏れてしまう。
そんな笑いも彼女の耳には届いていなかったようで、代わりにタイピング音だけが返ってきた。
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