越境
藤 夏燦
越境
これはまだ新型コロナウイルスが世界中に広まる前の2019年8月頃の出来事だったと思います。
僕は長い大学の夏休みを利用して、本州の山間部の「とある地域」でスマートフォンのアプリを用いた自動車シェアリングサービスの運転手をしていました。ここの地域では鉄道やバス路線は廃止され、こうしたシェアリングサービスが代替交通手段として重宝されています。
スマートフォンにアプリを入れて登録しておくと、「お迎え」を希望する利用者からアプリの地図上に通知がくるシステムです。僕たちドライバーは通知がきた場所にお客様をお迎えに行き、目的地へ届けるとアプリ会社から報酬が払われる仕組みになっています。このあたりは某フードデリバリーサービスによく似ていますが、こうしたシェアリングサービスももともとその会社が始めたものです。
「いつもいつもすみませんねぇ」
「いえいえ、こちらこそいつもご利用いただきありがとうございます」
アプリの利用者はほとんどが高齢者でした。山二つ分隔てた街へ、買い物や病院、習い事などへ向かう時に使われます。
「お迎え」にいくおじいちゃん、おばあちゃんたちもみんな親切でしたし、何より車を運転することが好きな僕にとってこの仕事は天職みたいなものでした。
「今日も病院ですか?」
「ううん。今日はね、お出かけなのよ」
限られた地域内で活動しているので、利用者の顔ぶれはいつも変わりません。近所のおばあちゃんに会いに行くような感覚です。
「お出かけですか。どちらまで?」
「うん。市民会館でクラシックのコンサートがあってね」
「なるほど。いいですね」
「そうなのよ。ところで、あなた勉強のほうは大丈夫なの?」
「はい、今のところは。出されていた課題もすべて終わりましたので」
「あら、すごいわね。うちの孫とは大違いだわ」
利用者同士も顔見知りであり、近くの集落でも僕の評判は良かったと聞きました。
そんな感じでおばあちゃんを一人後部座席に乗せ、僕は他愛もない話をしながら車を進めます。タクシーよりもかなり利用料が安いのですが、それだけがうちを選ぶポイントではないだろうと思っていました。孫世代との会話、それを楽しみにしている利用者も多いはずです。
この地域には「○○」と「××」という二つの集落があり、隣県へ抜ける国道からそれぞれの集落へ抜ける道が細かい枝のように分岐していました。この国道は21世紀になってから開通したもので、トンネルや高架化されたとても広い道です。
途中、現在は使われていない旧道と何度も交差します。おばあちゃんの話によると、旧道は酷い峠道で隣県まで行くのに何時間もかかったようでした。新道のバイパスができてからは旧道を使う人はほとんどいなくなったそうですが、今でも整備されているのか旧道の路面は比較的整備されています。
「こんなにいい道があるのに、旧道を使う人なんているんですか?」
ふと気になったので、僕はおばあちゃんにそのことを尋ねてみました。
「『△△』という県境の集落にはね、こちら側からは旧道でしかいけないのよ。若い移住者も含め、何人か住んでいるらしいわ。でもみんな隣の県へ出かけるみたいでね。それにうちらと違って車を運転できるから、おたくのお世話になることはないのだろうけど」
「なるほど。そうなんですね」
僕は旧道との分岐を横目に、おばあちゃんの話に納得しました。あとで調べてみると△△という集落は確かに隣県との県境にありました。
「ご苦労さま。ありがとうね」
『目的地です。運転、お疲れ様でした』
依頼者をのせて目的地へ着くと、自動音声でスマートフォンからそう流れます。
僕は町までおばあちゃんを送り届けるとそのままコンビニに寄り、次の依頼が来るのを待っていました。一日4、5件依頼があればいいほうで、それ以外の時間はコンビニの駐車場でスマホゲームをして過ごすことが多かったです。同じ仕事をしている戸田さんという20代後半の男性とも、ここで知り合いました。
「今日は何往復目?」
「まだ片道一回目です」
「そうか。俺はもう2往復したよ」
戸田さんは気さくな方で、あまり似合っていない茶髪にスポーツブランドのジャージをいつも着ていました。もともとタクシードライバーで自由な時間を求めて転職をしたと聞きました。
『お迎え依頼です』
そのとき、僕と戸田さんのスマートフォンに同時に通知が来ました。女性の機械音声が画面の地図上にピンを指し、依頼者の位置を知らせています。
「なんだ。またか……」
戸田さんはすぐにスマートフォンを持ちましたが、あきれたようにまたポケットへしまいました。
「なんですか?」
「最近よくあるバグだよ」
画面をみると確かに○○でも××でもない山奥の座標から「お迎え」の依頼が来ています。そこは国道から離れた旧道沿いで△△とも離れていました。
「こんなところに人が住んでいるわけがないっていうのに。このあたりはGPSがよく乱れるのさ」
そのときは僕も戸田さんの言うようにバグだと思っていました。しかし次の日もまた次の日も同じ場所から通知が入りました。
もしかしたらこの場所に人がいるのかもしれない。おばあちゃんの話で若い移住者さんも多いと聞いていたので、新しく誰かが旧道沿いの静かな場所に家を建てたのではないかと思い、依頼者のもとへ「お迎え」に行ってみることにしました。
そのときはまだお昼過ぎで、ストリートビューで依頼がきた場所を確認していたので、怖いとか不安といった感情は全くありませんでした。旧道も比較的道はしっかりしており、△△からきた車2台ともすれ違いました。
車一台がやっと通れる蛇行した森のなかを進むと、小さな川に沿って道が続きました。苔の生えたお地蔵さんが佇む小川を跨ぐ橋のあたりが「お迎え」依頼あった場所です。地図上では私のアイコンと依頼者のピンが完全に重なりました。しかし家らしきものも人らしい人も見当たりません。
「やっぱりバグだったのか」
僕は車をとめてあたりを散策し、また車に戻りました。綺麗な小川が流れる静かな山林です。移住者が多いのも頷けました。
しかし車に戻ると驚くべきことが起こっていました。スマートフォンの画面には依頼者を乗せたときと同じように目的地が指定されています。もちろん車には僕以外誰も乗っていません。
「あれ?」
僕はすぐにキャンセルのボタンを押そうとしますが、ボタンが活性化されず押すことができません。このまま目的地まで依頼者を届けなければ、元の画面に戻せない状態になっています。しかもその目的地は△△の集落を超えた隣県の海沿いの街でした。ここからでは3時間以上かかります。
「あれ、ちくしょう。どうなっているんだ」
しばらくスマートフォンと格闘しましたが諦め、仕方なく隣県の街まで一人でドライブをすることに決めました。今まで利用してきてここまで酷いバグは初めてです。僕は走り終えたらアプリ会社に文句を言ってやろうと躍起になっていました。
アクセルを踏んで山道を進んでいると、車のなかから嗅いだことのない匂いがしてきました。様々な花を混ぜたような甘く苦く深い匂いです。バラ、シクラメン、ヒヤシンス、スイセン……。いろいろな匂いが混じり合っています。こんな匂いを僕は山奥で嗅いだことはありません。
それから何故だか悲しい気持ちになってきました。理由は全く分かりません。両側に抜ける旧道の景色が胸を重く引っ張るのです。昔よく遊んだ遊園地の廃墟を見ているような、虚しさと懐かしさが入り乱れた寂しさです。
△△の集落を過ぎ、県境を越えて「※※県」へ入りました。そこから国道を進み、見たことがない景色の町を抜けていきます。次第に都会になり、また少し田舎になりました。
『目的地です。運転、お疲れ様でした』
海沿いの街の知らないお店の前で、僕のスマートフォンからそう流れました。とても長いドライブで目的地へ着いた時には日も暮れかかっていました。
バグとはいえ、どうしてこんな遠い場所が目的地に指定されたのか分かりません。僕は疲れた体をぐったりとハンドルへ倒すと、スマートフォンから普段は流れない音声が突然流れました。
『アリガトウ、見ツケテクレテ』
「え……」
驚いて画面をみると、依頼は終了したようでホーム画面に戻っています。まるで誰かをここまで送り届けたかのようでした。
体を伸ばそうと車の前へ出ると、さらに驚くことが起こりました。僕が「誰か」を送り届けた目的地、その場所の看板に『生花店』と書かれています。指定された目的地は遠い隣県のお花屋さんだったのです。
薄気味悪さを感じて、僕はその日急いで自宅へ帰りました。それから1年が過ぎ、2020年はコロナウイルスの影響でシェアリングサービスは利用していません。
ただコロナ禍で家のなかにいるときに入った一つのニュースに、僕は目と耳を疑いました。
『△△へむかう旧道○号線沿いの山林で、白骨化した女性の遺体が発見されました。警察が身元の特定を進めたところ、女性は4年前から行方不明になっていた※※県の生花店勤務○○○○さん(当時22)だと判明しました。○○さんは4年前に友人と外出してから行方不明になり……』
僕はこのニュースを見てから、シェアリングサービスのアプリをアンインストールしました。それでもあのとき嗅いだ沢山の花の混じった匂いと悲しい感覚は、忘れることができません。
越境 藤 夏燦 @FujiKazan
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