ワンダーアンダーグラウンド

咲井ひろ

落ちる!!

 死にたい。でも、自殺したいほどじゃない。


「はぁ……」


 ポケットの中で振動を続けるスマートフォン。通知の中身を目にすれば、いくらか気分が悪くなると知っているから取り出せなかった。こんなもの、いっそのこと無くなってくれたらどんなに楽だろう。


 いつもの帰り道。


 同じ方向へ進む人々は、私のように憂鬱を隠せていない人もいる。だけどそれ以上に、今日だけは楽しそうに話す人の方が、やけにチラついた。


 信号が赤に変わる。


 直前で、やはり楽しそうに待つ人達から少し離れた場所で、私は立ち止まった。一人で寂しそうとか思われているんだろうか? いや、他人はそれほど私のことなんて気にしていない。分かってる。


 ふと出来た待ち時間で、癖のようにポケットへ手が伸びた。そうして指先が触れた瞬間、また振動した。だから結局私はこの退屈な時間を、空や周りを見渡すことでしか潰せなくなってしまった。


 集団の中には、自分よりもずっと幼い子供達もいた。まるで夢と希望と魔法が、この世界にまだ存在しているみたいな顔をしている子供達。あの子達にとっては、私にとって見慣れたこの帰り道さえも、きっと小さな冒険なのだろう。私にも同じ時代があったのかな。もう思い出せないけれど。


 夕焼けに染まった空も昔はもっとずっと、遠くあった気がする。


 それがほんの少し背が伸びただけなのに、今はこんなにも近い。


 ずっと見上げてると遠近感が狂いそうだ。電線も、雲も、家の屋根の端ですら視界に無い一面のまっさらな空だから、まるで吸い込まれているみたい。今なら太陽にだって手が届きそうで──あれなんか、おかしい?


 遥か遠くにある太陽がどうしてか、視線より低い気がする。


 ふと楽しげな声が一切、聞こえなくなった。


 それどころか風の音以外、何も聞こえない。


「え?」


 子供達の姿も、他の信号待ちをしていた人々も、というか信号も、道路も標識も車も、建物も何もかも。


 見えていたモノ全てが、綺麗さっぱり消えていた。


「はぇ?」


 当然今まで立っていた、今立っている筈のも。


「え、は、え、ちょ」


 代わりにあったのはそう、視界のその先と遥か下に見えているあれは、一面の白いもやもや──そういえば似た光景を以前、見たことがあるような。ああ、そうだ。確か海外に旅行に行った時だ。


 飛行機の、窓から見えた光景と同じだ。


 じゃああれは、雲?


 見渡す限りの空があって、太陽が、雲が、なぜか視線より低い場所にある。つまりどういうわけか『私』はいつの間にかかなり高い場所に、空にいるらしい。浮かんでいる? らしい。だって視界には山だって一つも──


 雲が、近付いて来る。


 違う、落ちてるんだ。


「い、いやっ──」


 凄まじい風圧が全身に叩き付けられる。叫ぶ暇も、叫ぶ行為そのものも出来なかった。瞼だって開けていられない。だって『私』が真っ逆さまに落ちているから。


 朧げになっていく意識。雲を抜けたその先で、最後に『私』の僅かに残った視界は何か──街のようなものを映していた。

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