(26)
ミルコからティーナを自宅へ送り届けたという連絡を受け取ったレオンツィオは、そっと息を吐いた。
レオンツィオと同じ部屋、床にひざまずくようにて座り込んでいる女は鼻血が垂れ出る顔面を押さえ、ぶるぶると震えている。女のオフホワイトの服は血の赤に染まり、床に敷かれた絨毯にもシミを作っている。
「――こ、こんなことしてタダで済むと思ってるの……?!」
「それはもちろん。勝てない勝負はしない主義なんでね、私は」
レオンツィオは優雅に微笑む。しかしその金の瞳からは明らかな殺気が放たれていた。
それでも女は気丈に振る舞い、レオンツィオに噛みつく勢いを止める様子はない。
「パパが許すはずないわ!」
「――その『パパ』から見捨てられたんだって、どうしてわからないかな?」
女の名前はヴァネッサ・バルディ。テオコリファミリーの幹部であるマッシミリアーノ・ヴァルディのひとり娘だ。もちろんそのことはレオンツィオも知っている。
そんなヴァネッサの顔面を容赦なく拳で殴ったのは先ほどのレオンツィオだ。しかしヴァネッサはそれで怯えるどころか怒り出すのだから、なかなか度胸のある女であった。
しかしその度胸はほとんど無謀なもの。蛮勇と言い換えても差し支えない。
ヴァネッサはレオンツィオの言葉を聞いて、三角に吊り上げていた目を丸くし、きょとんとした表情になる。レオンツィオの言葉が理解できなかったのかもしれない。
「見捨てられたんだよ、君は。関係を切られたの。わかる?」
幼子に言って聞かせるように、レオンツィオはゆっくりとしゃべる。
ヴァネッサは信じられないと言うような表情になったあと、また目を三角に吊り上げてレオンツィオをにらみつける。
「そんなはずないわ! デタラメ言っても無駄なんだから!」
「はあ……馬鹿の相手って疲れるなあ……。君にハッタリを仕掛ける理由なんて私にはないよ。だってもう、すべて君が画策したことだという証拠は私の手の中にあるからね」
レオンツィオが冷たい目で見下ろせば、ヴァネッサはようやく己の立場が「マズい」のだということを理解し始めたようだった。
そんなヴァネッサにレオンツィオは一歩近づく。ヴァネッサはびくりと肩を揺らした。
「ジルド・トルリーニとかいう田舎者を焚きつけたのも、デチモ・ルイーゼとかいうストーカーをヤク漬けにして利用したのも、それらが上手く行かなくてアロンツォを金で釣って馬鹿みたいな計画を実行させたのも――全部、知ってるよ」
ヴァネッサが息を呑む音がした。形勢不利を悟ったのか、徐々にヴァネッサの頬から怒りの朱色が引き、代わりに蒼白に染まって行く。
「マッシミリアーノはもう君に愛想が尽きたんだってさ」
「う、嘘……嘘よ! パパがそんなことするはずない!」
「
「――え?」
「君の身辺調査をした時に一応調べたんだけど――君ってマッシミリアーノと血の繋がりはないんだって。だからもう、マッシミリアーノは君のことなんてどうでもいいらしいよ」
ヴァネッサとマッシミリアーノの親子関係を調べたのは念のためだった。なにか攻め入る手立てになれば御の字というくらいの気持ちだったが、とんでもない結果が返ってきた。
レオンツィオにとってそれは僥倖、マッシミリアーノとヴァネッサにとっては不幸だったが、レオンツィオにはどうでもいい話だ。
「そ、そ、そんな……でも、でも、パパはあたしのこと……」
どうやら血縁関係がなかったことは、ヴァネッサは知らなかったらしい。予想外の事実を突きつけられて、ヴァネッサのまなじりには涙が浮かび始めた。レオンツィオはそれを無感情な目で眺める。
「そんなにレオナ……レオンティーナのことが気に入らなかったの?」
理由を問うたのはレオンツィオの戯れのようなものだった。なぜならば、ヴァネッサがどう答えようがその末路は既に決まっていたからだ。それでも一応、という感じでレオンツィオは問い質す。
ヴァネッサは言い訳をしたり、嘘をつく気力もないのか、顔を青くしたまま血にまみれた口を開く。
「だって! 急に現れて夫も子供もボスにしてあげるなんてズルいじゃない! それに、それに……あなただって! あたしのことなんて見向きもしなかったクセにあの女はちやほやして……!」
レオンツィオはヴァネッサがたびたび秋波を送ってきているのは知っていた。けれどもレオンツィオはヴァネッサにはその気になれなかったので、その気持ちを利用して弄ぶ気もなかった。一応は幹部の娘。面倒事は避けたいと考えるのが普通だろう。
けれどもヴァネッサはそれがお気に召さなかったらしい。両親に甘やかされて育ったワガママ娘は、気に入らないティーナへの嫌がらせをすると同時に、レオンツィオを、ボスの座を射止めるレースから脱落させようと画策したようだ。
薬物中毒のストーカーに襲撃された際のミルコの失態。アロンツォを金で釣ってティーナを拉致させる。その両者は、ティーナへの嫌がらせの意味もあったが、レオンツィオへの嫌がらせの意味も込められていたのだ。
「なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないの!? 悪いのはあんたでしょ!?」
ヴァネッサは心の底からそう思っているようだった。
両親に際限なく甘やかされ、その美貌ゆえに男たちからもちやほやされ、金を持っているために褒めそやすばかりの同性の友達も多かったのだろう。ゆえに彼女のメンタリティは限りなく幼稚であった。
毛の先ほどもヴァネッサは己が悪いとは思っていない。
しかしレオンツィオはそのことになんの感情も抱かなかった。いや、イラ立ちはした。レオンツィオの大切なティーナに害をなそうとしたのだ。けれども怒りを通り越して逆に今の心境は凪のようだ。
「……そうだね。『悪い』のは私だね」
レオンツィオは金の瞳を細めて微笑んだあと、ヴァネッサの顔面を蹴り上げた。
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