(12)

 まずったな、とティーナは思った。


 今週のデートの約束を受け入れたのは、たまたまだった。いや、ティーナは出来る限り夫候補たちとのデートは平等にしているつもりだ。だから、それを「たまたま」と呼んでいいのかはわからない。


 けれども気分としては「たまたま」だった。別にだれでもよかったところは、半分くらいはある。なにせいちいちメモを取ってまで平等に接しているわけではないからだ。


 アルチーデ・コレッティと言う幹部は、レオンツィオの次ぐらいには若く見える洒落者だ。ブランドスーツを着こなして、煙草をふかす姿が妙に決まっている。欠点はティーナに対しては妙に馴れ馴れしく気安げなところだろうか。


 しかしそれ以外にティーナの気を悪くするようなことはしない。態度は馴れ馴れしいがベタベタと触ってくるわけでもないので、女の扱いを「わかってる」という感じがするところは、ティーナは見ないフリをした。


 そんなアルチーデとデートの約束をした。建前はこのあいだの雨の日にダメになってしまったティーナの服を買いに行く、というものだった。運悪く車が撥ね上げた泥がついてしまったのと、もういい加減ずっと昔に買った服だったから買い替えようと決めたのだ。


 それは別にアルチーデが相手でなくてもよかった。しかしレオンツィオだけはダメだとティーナは思っていた。


 しかし今のところティーナはレオンツィオとデートをしたことはない。レオンツィオが誘ってこないからだ。ティーナが断ったからではない。


 ティーナに結婚を提案した割に、ティーナを口説き落とすレースはどこか静観しているフシのあるレオンツィオ。そんなレオンツィオにティーナはもやもやとした感情を抱いてしまう。


 一方、レオンツィオとのデートなんて、ティーナは想像が出来ない。前世での因縁がなければ違っただろう。敵とは知らずに過ごしていた穏やかな時間を空想するのは容易かったが、そうするとティーナの胸は苦しくなった。


 前世、不思議とレオンツィオとは趣味が合ったし、たとえ違っていてもレオンツィオの興味があることにティーナは惹かれた。だから、レオンツィオとのデートだって――。


 アルチーデの迎えを待つあいだにも、思い浮かぶのはレオンツィオのことばかりだ。スマートフォンでSNSを開いて文字を目で追うものの、頭にはまったく入ってこない始末。


 レオンツィオのせいにしたいわけではないが、ティーナの意識があちこちに散っていたのはたしかで。


「レオンティーナお嬢さん」


 ティーナの視界にゆっくりと入ってきた車のウィンドウが下りて行く。顔を出したのはアルチーデの部下のエンニオだった。たまにアルチーデが連れてくるのでティーナとは顔見知りである。


 ロックの開く音がしたので、ティーナは特に疑いを抱くこともなくドアを開く。しかし、後部座席はカラだった。


「アルチーデさんは?」

「ボスは急用で。お嬢さんを待たせるわけにはいかないので、ボスが来るまでオレが代わりを頼まれまして」


 どこかへらへらと笑うエンニオの様子に、ティーナはイヤなものを感じた。軟派なエンニオの態度が気に障ったのか、あるいは直感がなにかおかしいと告げているのか。とにかくティーナは途端に不安感に襲われる。しかし、それには正体がない。


 迷った末に、ティーナは渋々車に乗り込んだ。エンニオは相変わらず笑顔のまま、申し訳なさそうにしている。


 黒塗りの車はティーナを乗せて走り出す。けれどもすぐに方向がおかしいことにティーナは気づいた。このまま進めばさびれた漁港の跡地に着くだろうことは、そこそこ土地勘のあるティーナにもわかった。


 だから「まずったな」とティーナは思った。エンニオの車に乗り込む前に、アルチーデに連絡を取るべきだった。しかしこの行いにアルチーデも加担していたとすれば、結局は同じ展開になるだろうが、しかし一度確認をするべきだった。


「……道、間違えてませんか?」


 くだんの漁港はうしろに背負った山が土砂崩れを起こしてから封鎖されて久しい。地元の子供が磯遊びをしたり、あるいは恋人同士のロマンチックな時間のために利用される。それ以外にカタギではない人間がときたま出入りしているらしいことも、ティーナは知っていた。


 エンニオは振り向きもせずに「合ってますよ」と言う。どこか固く、冷めた響きを伴っているように聞こえたのは、ティーナの被害妄想でもなさそうだ。


「……ところでお嬢さん。お嬢さんはだれを選ぶおつもりで?」

「え?」

「幹部以外から選ぶ気はないんで?」


 ティーナはなんとなくエンニオの目的を察した。途端に、冷や汗が背中に浮かぶようだった。


 これが計画的なものだとすれば、恐らくこの車の後部座席は内側からドアを開けられないようにはしているだろう。突発的なものだったとしても、それくらいの仕掛けをする時間は確保できるはずだ。


「……今はまだ。皆さんとお会いしたばかりですから」


 ティーナは当たり障りのない言葉を口にして、時間を稼ぐ。エンニオを刺激したくなかった。今のティーナは市井を生きるただの小娘。成人男性と比べて体格や腕力に優れているわけではない。


「ボスは?」

「いい人ですけれど……少し軽いところはちょっと、気になります」

「ははは」


 エンニオの笑いが乾いているように聞こえる。


 エンニオの単独犯であれば逃げる隙はあるかもしれない。しかし複数犯で、もしアルチーデの加担していたとすれば、どうなるかなんて想像したくなかった。


 ティーナが目まぐるしく思考しているあいだに、漁港の廃れた色とりどりの倉庫群が目に飛び込んでくる。遠目でもひとの気配がないのが、なんとなくわかった。


 やがてエンニオが運転する車が停まる。


「さてお嬢さん……ちょっとお話しましょうか」


 振り返ったエンニオは、ティーナに銃口を向けて不気味に笑った。

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