(2)

 無二の友人で、実は父親で、それから仇敵になった男と、心中した。そんな前世の記憶を思い出したのは、目の前にあのときと寸分たがわぬ姿をしたレオンツィオが現れたからだ。


 仕立てのいいダークスーツに身を包み、市井を生きるティーナでも知っているようなブランド物のコートを着たレオンツィオ。浅黒い肌に油断のない金の瞳をした美丈夫は、白いエプロンドレスをつけたティーナを認めて微笑んだ。


 ちょうどモーニングの時間を終えた喫茶店に人は少ない。さきほどまで忙しく店内を、それこそ飛び回るようにしていたティーナは、疲労感とおどろきが相まってすぐに声が出なかった。


 あいにくと店長のオリエッタはキッチン担当なのでティーナの異変には気づけなかった。店内にまばらにいる客たちも、やってきたレオンツィオに注意を払ったりはしなかった。たとえレオンツィオのまとう空気が明らかにカタギでなかったとしても、この街ではそういう雰囲気を持つ男は少なくないので、特段を気を払ったりはしない。


「レオンティーナ・マーリさん?」


 蘇った前世の記憶という奔流に巻かれ、ぼうっとしていたティーナへ、レオンツィオは人のよさそうな困った笑みを浮かべて問う。


 急に名指しされたティーナはハッと我に返って、注文を取る時に使うタブレットを改めて握りしめる。しかしなんと答えるべきか悩んだ。


 ティーナのフルネームはたしかに「レオンティーナ・マーリ」である。けれども初対面であるはずのレオンツィオがそれを知っているのはおかしい。


 そもそもティーナは今目の前にいる美丈夫を「レオンツィオ」と呼んでいるが、彼が己の前世が知る「レオンツィオ」と同一人物なのかどうかはわからない。それと、前世の記憶がどうのと考える時点でそうとうにおかしいとティーナは気づいていた。


 けれどもティーナは動物的直感でこの男はレオンツィオなのだと悟る。そしてその動物的直感は間違ってはいなかった。


「……レオナ、そんな顔しないで?」


 ティーナはいつのまにかレオンツィオをにらみつけるようにして見ていた。眉間にしわが寄り、半目になっているのがティーナにもわかった。


 前世、レオンツィオはティーナから奪えるものはほとんど奪って行った。そのときの絶望感や憎悪が浮かぶと同時に、どうしようもない胸のうずきをも思い出したのだ。それが自然とティーナの顔に出ていたわけである。


「レオナ」――ティーナをそう呼ぶ人間は前世ではレオンツィオしかおらず、今世ではだれにも呼ばれたことがない名だった。


 ティーナの目の前にいるのは、ティーナの知るレオンツィオで間違いがないようだ。気がつけば手にしたタブレットをつかむ指には、痛いほど力が入っていた。


 ティーナがレオンツィオであるとわかっているように、レオンツィオもティーナは「レオナ」であることをわかっているようだ。あの、慈しみに満ちたまなざし。大切なものを見る視線。虫唾が走るほどに優しい瞳。レオンツィオによってティーナの心は激しくかき乱された。


 頭上のスピーカーから恋を歌った流行りの曲が控え目に流れる中、ふたりはしばし見つめ合う。その様子はあまりに対照的だった。


 ややあって、激しい嵐の中へと放り出されたような気になりながらも、ティーナはいつもの言葉を絞り出す。


「……一名様ですか?」

「ごめんね。飲食をしにきたわけではないんだ。外に舎弟を待たせてる」

「……ひやかしですか」

「違うよ。レオナ、君に用があるんだ。ちなみに残念ながら君に選択権はない。私たちといっしょに来てもらうよ」

「なぜ?」

「その話は車の中でしたい。君にとってもそちらのほうがいいはずだ」


 ティーナはどうするべきか悩んだ。明らかにカタギではないレオンツィオが、一店員にすぎないティーナを拉致してなにかしようとするのだとすれば、それなりに心当たりはある。前世が絡む話ではない。この喫茶店が構える土地はテオコリファミリーの縄張りだからだ。


 もしレオンツィオがテオコリファミリーと敵対する組織の人間だとすれば、ティーナを連れ去る理由はそれなりにあるように思えた。


 だがティーナが考えていることなどレオンツィオにはお見通しだったようだ。


「君が考えているようなことではないし、乱暴狼藉を働く気もないよ」

「……口先だけならなんとでも言えます」

「信用がないね」

「初対面ですから」


 レオンツィオは「やれやれ」とばかりに肩をすくめた。芝居がかった態度も妙にさまになる男だ。


 レオンツィオが口ではなんとでも言えるということをティーナは経験上知っている。前世であの抗争が始まってからも、恐らくレオンツィオはティーナの正体を知った上でぬけぬけと会っていたのだから。


「君に会いたいと言っている人がいる」


 レオンツィオは観念したのかそれだけ言った。ティーナは心当たりがまったくなかったので、やはり戸惑うしかない。


 前世ではどっぷりと暗黒街に馴染んでいたが、今世は違う。孤児なのは同じだが、ティーナはカタギの人間だ。人を殺したことだって、ない。


 だからあからさまにカタギではないレオンツィオが、わざわざ出向いてまでティーナを連れて、引き合わせたい人がいるというのは、なんだか信用できなかった。


「それは、だれのことを言っているんですか?」

「言わないとダメ?」

「言わないならついて行きません」

「ボスだよ」

「――え?」

「ボス・ガエターノが君に会いたいと言っている」


 ガエターノ・テオコリ。ファミリーネームからわかる通り、テオコリファミリーの頂点に君臨する男。もちろん市井を生きる一般人であるティーナは、名前だけ知っている見知らぬ赤の他人である。……その、はずだった。


「レオナ、君はボスの――たったひとりの孫娘なんだ。……さあここまで言わせたからには、ついて来てもらうよ、レオナ」

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