第48話 日常は待ってくれない



「着くよ。マサキ起きて」

「…………!!」


 肩をすられて跳ね起きると、窓の外は見知った屋敷の門の前だった。また一人だけぐうぐう寝てしまったのか。疲れているにしても情けない。


 車は敷地内に入り、正面玄関へ向かう。玄関の前で出迎える人の姿を見て、僕は慌てて背を正した。


「幹也さん……!夕子さんも」


 夕子さんの車椅子を押すのは、スーツ姿の幹也さんだ。いつものブラウンではなく今日は黒を着ていた。夕子さんの服装も黒のノーカラーのジャケットとワンピースだ。彼女たちの前で車は止まった。

 

 葛西さんが後部座席のドアを開けに来る。 

 隣の先輩の緊張が伝わってくる。

 なんて言おう。なんて声をかけよう。


「ニー!」


 なんと出迎えはもう一匹いた。ドアを開けた途端、夕子さんの膝の上で、元気な子猫がご主人との再会を喜んでいる。


「あらあら、落っこちちゃうわね」


 膝から落ちそうだったニーちゃんを夕子さんが抱き止める。それでも猫は落ち着きなく動いている。


「そっちにいきたいのね。あなた、よろしくね」


 夕子さんは、はっきりと迫水先輩を見て言った。呼ばれた先輩は無言で前に出て、遠慮えんりょがちに受け取る。この子にした冷たい仕打ちを思い出しているのだろう。でもニーちゃんは全然気にしてないようで、先輩に跳びついて撫でられにいった。


「この方が都築夕子さん、僕の曾祖母です」


 この機に僕から紹介する。幹也さんは……先輩とは既に因縁があるか。


 呼ばれた夕子さんは会釈えしゃくをした。顔を上げたとき、彼女は一転、再会を喜ぶ曾祖母から、代表としての格のある雰囲気に変わっていた。


「私が都築グループを長らくひきいていた責任者であり、また創業者 都築久城の妻でもあります。夫に代わり、この度の事態をつつしんでお詫び申し上げます」


 夕子さんと同時に、幹也さんも頭を下げる。察しの悪い僕でも、二人の格好が謝罪と喪に服すための礼服だとわかる。

 

「このような多くの犠牲を強いる状況に至ったのは、まずもって企業の最高責任者である私の不徳の致すところであります。今後よりいっそうの水害対策と、復興支援に社を挙げて尽力して参ります。

 弊社の不手際によりご迷惑をおかけしたことを重ねてお詫び申し上げます」

  

 彼女は再び、深々と頭を下げ続けた。


 先輩は神妙な面持ちで口を真一文字にしていた。僕には、その顔から怒りや憎しみは読み取れない。

 でも安易に許すなど口にすることはできないに違いなかった。


「…………顔を上げてください」


 彼はそれだけ言った。夕子さんは丁寧な所作でおもてをあげて、話を続ける。

  

「それと正城を何度も助けてもらいありがとうございます。これからも仲良くしていただけますか?」

「……はい。それはもちろん。ありがとうございます」


 夕子さんは優しく、身内を想う曾祖母の顔で微笑んだ。場の緊張がふっとほぐれる。

 

「また後でお話しましょう。二人共お昼はまだ?」


 ラーメンを食べたとはいえ、たしか10時頃だし量も足りてないので、迫水先輩も昼は必要なはずだ。僕から返事をする。

  

「はい、まだです」

「用意させるわね。それまで客間で待っててちょうだい」

 

 

 屋敷に戻ってきたお手伝いさんに、僕も入ったことがない客間に案内された。動物はダメらしく、ニーちゃんは入り口前の棚に置いたキャリーの中でお休み中だ。

 調度品が美しい、よく日の当たる部屋。大きな窓から見える、庭の芝生しばふが絵のように綺麗だ。黒い革のソファーに座ると、壁側には大きな液晶モニターがあり、ローテーブルにはリモコンも置いてあった。


 僕が躊躇ためらっているうちに、対面の先輩はすっとリモコンを取り、テレビをつけた。氾濫の現地の映像が映る。水没した第三工場周辺、屋上やベランダに取り残された人をヘリコプターが救助している。右上には行方不明者のテロップがあり、現時点で8人。避難場所のインタビュー、こんなことになるとは、命が助かったのはよかった、これからどうなるのか…


 食い入るように報道を見ていると、ノックも無しにドアが開いた。


「見てるか。とりあえず現状の説明からだな」


 部屋に入ってきた幹也さんはテレビをミュートにし、真ん中の席に座って話し始める。


「洪水の規模はこの通り。一昨日から昨日の雨量は観測史上最大、想定されていたハザードマップ通りの水没状況だ。

 被害額は恐ろしいが人的被害は規模の割には抑えられてる。行方不明の8人は、洪水よりも上流の土砂災害……もしくは別の原因での被害が大半だ」


 別の、といっても一つしかない。悔しさで拳を握りしめた。

 その犯人の堰根はいなくなった。しかしこの地の最大の闇はどうなったのだろう。

  

「あの、例のシステムは止まったんですか?」

「ああ。もう起動することはない」

「ということは、この先も洪水は起きるんですよね……」

 

「第三工場……この旧本社工場はもともと周辺より低く一番危険な土地に作ってたから、ここを再建せずに潰して遊水地にするさ。あとは一度洪水が起きたことで国からの治水事業も再開できるだろう」

「ダムで泉を沈めるんですか?」

「多分それはない。現代の技術なら他の方法もあるからな」


 全てはこれからのことだ。幹也さんと夕子さんを信じよう。

 

「俺からは一通り。あとはお前たちから話しておきたいことや、質問があれば答える。ああ正城、お前が何をやったかは葛西からも聞いてる。ありがとうな」


 それだと何を話そう?金剛願を返すことかな?などと僕が考えているうちに、黙っていた迫水先輩が重い口を開いた。


「堰根にやられたうちの一人は原田徳光さん。顔と家を見たから間違いない。難しいかもしれないが、ちゃんと他の被害者も特定してやってほしい。遺族の心の整理がつくように」


「昨晩亡くなった方は洪水被害者としてカウントされる。それ以前の被害者がどれだけいるかだな。犯行の現地には霊的な痕跡が残るから、行方不明者の軌跡を地道に確認していくしかない」


 警察には捜査できないし、僕らでやるしかない。段取りの話は難しくなるだろう。とりあえず今日はそこまでの話し合いはしないようだ。話題に区切りがついた所で僕からも切り出す。


「えっと、金剛願がここに。ありがとうございました」


 金剛願は先輩の家で借りたミリタリーポーチの中に入れてあった。僕がこの場で返そうとすると、幹也さんは立ち上がった。

 

「正城、ちょっと向こうでいいか。悪いが迫水、家の事情だから借りてくぞ」

「別に……」


 先輩はそっぽを向きながら返事をした。やはり二人はあまり仲良くなさそうだ。殺し合ったらしいから仕方ないのかもしれないが……


 

 地下室に向かうのかと思ったが、僕らは階段を登り、二階の書斎しょさいに入った。ここは都築の経営をになう人たちしか入ってはいけない決まりで、僕は縁のないところだと思っていた。

 日をさえぎる分厚い赤のカーテンを、幹也さんが開ける。照らされた壁は一面の本棚になっていて、化学や商業の専門書、小説や歴史書などが年代を問わず並んでいた。


 アーチ枠の窓とアンティークの書斎机を背に、幹也さんは立っている。彼のために用意された部屋のように、その姿は様になっていた。


「さて、まずは受け取っておくか」


 僕は金剛願を渡し、受け取った幹也さんは陽に透かして、まじまじとそれを見た。透明な刀身と、芯にある金の筋がきらりと輝く。


「見事に使いこなしたもんだ。まだ中に霊力が残ってる」

「この芯の金色のことですか?」

「そうだ。これを貸してくれた家には、もうこいつを使う力がない。さて、なんて言い訳をしたものか」

「……だ、だめでしたか。怒られるやつですか」

「逆だよ」


 その短い返事に込められた意味が、今の僕にはよくわからない。でも、これじゃだめなんだ。


「幹也さんはどうやって術式を覚えたんですか?僕ももっと業界のことを知らなくては」

「……まぁ、やめとけといいたい。

 今回見事に正城のおかげで生き残った程度の奴が何を言うのかって話だが」

「そんなことないですよ。幹也さんがこれを用意してなかったら詰みでした」

「じゃあもう少し俺を頼りにして、あいつと普通に毎日を過ごしててくれ」


 突き放された気がして、少しむっとする。優しさからの言葉だと分かってはいてもだ。今回だって僕がどれだけ心配したか。何も知らないうちに事態が最悪になってるのが、どれだけ心細いか。

 

「幹也さんが危ないことしないなら」

「……」

「まだ僕は頼りないですけど、幹也さん一人に任せて自分は楽しくやろうなんて気は、一切無いです」

「……そうか」


 幹也さんは伏し目がちに、含みのある様子で僕の言葉を受け止めていた。


「それに、堰根みたいなのは、また何度でも現れるんじゃないですか?アイツは本を拾ったと言ってました。ある種の才能があれば、読むだけでいい……」


 あの村で老人は「降りる者に何冊か持たせた」と言っていた。その時から行方が気になってはいたのだ。写本できるのかは謎だが、そいつが世に出回ったら、危険なことは何度でも起きる。


「そうなら、次も現れるし、もう既にいるのでは……」


 自分で言葉にすると、今朝のすっきりした気持ちがしぼんで消えていくのだった。何も解決していない。また突然、日常は崩れていく。


「正城、これを受け取ってくれるか」


 肩を落とす僕に、そう言って彼は鍵束を差し出した。四本のデザインの違う鍵だ。一つはシンプルな鍵、二つは古く飾りの彫られた鍵、そして明らかに現代的な鍵。


「これは地下室の鍵と……?」

「地下室と書斎と温室と、最後の一つは俺の部屋」

「幹也さんの?」

「ここじゃなくて東京の方な」


 使うことがあるだろうか?まじまじと現代的なオートロックキーを見つめる。

 

「屋敷の鍵は、お前が術師としての都築の後継者である証に。特に温室には通って、あの生き物を観察すること。それだけで色々コツは掴める。

 別に突き放してるわけじゃない。確かに、お前の言う通り終わりじゃないよ。だからこそ、小休止は必要ってことだ」

「……わかりました。ありがとうございます」


 幹也さんは微笑んだ。

 

「最後のはおまけだ。きっとこれから俺達だけでしかできない話も増えてくだろうから」


 俺達という言葉に緊張がほどけていく。一人で抱えなくてもいい、それだけで肩の荷は少し軽くなる。幹也さんも同じ気持ちになっていたらいいな、と僕は笑顔を返した。


「とはいえ、俺もこのあとは会社に行くんだけどな」

「もうですか」

「あたりまえだ。被災状況確認して各拠点との調整が山積みだ」

「大変ですね」

「むしろ楽だよ。お前も学校で勉強してる方が楽だろ?」

「それはたしかに」

「優等生でよろしい」


 幹也さんは書斎の出口に向かい、最後にふりかえった。

 

「起きてもいないことを気にして、やりたいことを逃すなよ。お前たちの学生時代は今しかないんだ。終わってみたら怖いほど一瞬だからな。日常は待ってくれない」

「はい!」


 いい終わるやいなや、足早に部屋を出て、階段を降りていく。僕も書斎に鍵をかけ、客間に戻るとしよう。

 


 客間では迫水さんが、お手伝いさんに体のサイズを測られていた。


「新しい制服くれるらしい」

「よかった!」 

「学校、そういえばどうなってるんだろう」

「学校自体は沈んでないので、さすがに今日は休みの連絡ありましたが」


 ちょうど測り終えたお手伝いさんは、一礼して去っていった。僕らもここでずっとテレビを観ているのは気分によくないだろう。

 

「そうだ、ニーちゃんとお散歩しましょう」


 ケージの中で丸くなっていたニーちゃんを出すと、ぐいーっと体を伸ばして気持ちよさそうにしていた。僕が抱きあげて一緒に庭に出る。

 広い芝生の庭は少し風があって気持ちいい。歩いていると、遠くからヘリコプターの音がした。報道ヘリだろうか。


「そういえば、先輩の住んでたアパートって沈んでませんか?」

「うん……さっきテレビでも映ってた」

「えっ、上川のご実家から通いは厳しいですよね。家の離れ、誰も住まなくなったし使わせて貰えないかな」


 離れで一時的になら夕子さんに頼めばなんとかなるだろう。いい案だと思ったが、迫水先輩は首を横に振った。

 

「いや、次の部屋が見つかるまで避難所に行く」

「でも……」


 想像してしまう。避難所の夜、水害で最も苦しい立場の人達の間で、彼はたった一人で何を思うのだろうと。


「マサキ、オレはもう大丈夫だよ。

 なんで苦しかったのか、分かったから」


 先輩は足を止めて、僕をまっすぐ捉えて、噛みしめるように言った。その雰囲気に、はっとなる。きっと、この先が彼が一番伝えたいことだ。

 

「それは……子供たちのこと?病院のこと?」


 先輩は首を横に振る。


「もっと小さなこと。自分自身の心のあり方。オレに必要なのは、清算せいさんできないものと向き合い続ける覚悟だったんだ」


 それに気づくまで、どれだけの苦悩があったのだろう。

 

「この先は、ちゃんと自分にできることで、街や人を支えていきたい。

 きっとたいしたことはできない。オレがやってしまったこと、招いたやくへの穴埋めには足りない。

 それでも、足りないまま歩いていくから」


 彼の悲壮な決意に、僕のほうが胸が詰まる想いだった。そんな僕を見て、先輩はそっと微笑んだ。


「だって、君が連れ出してくれたんだ。君の期待に応えたいよ。

 楽しいことをくれる君の、隣にいる資格を持つためなら、いくらでも頑張れるさ」


 雨が止んだら、貴方を悪夢から連れ出したかった。そして今、雲は晴れて空は青く、広い芝生の新緑が、雨上がりに薫っている。風が通り抜けるこの場所は、僕らの運命もまた開かれていると告げている気がした。


「分かりました。……でも困ったらすぐに言ってください。先輩はちょっと、僕の前だといい格好をしたがるようなので」

「バレてるか。本当はまだ大丈夫にはほど遠いと思う」


 困ったように眉を下げて、不安を誤魔化しきれなくて、それでも彼はちゃんと笑っていた。 


「でも、これから大丈夫になっていくから。いいところ見せたいんだ。見ててくれる?」


 それは僕がずっと見たかった景色だった。

 太陽の下、未来の話をして笑う貴方から目が離せるわけがない。


「もちろんです!」



 


「あっ、でもニーちゃんは頼める?早速すぎて情けないな」

「いえいえ、まかせてください!ニーちゃんが寂しがらないよう、いつでも会いに来てくださいね」


 ふと屋敷の方を見ると、お手伝いさんがこちらに歩いてくる。


「ご歓談中のところ失礼します。昼食の準備ができましたので食堂へご案内致します」


 ニー!と腕の中の子猫は一番元気よく返事をした。


 ニーちゃんもお腹がすいてるのかな。君のお昼もあるだろうか?無いなら用意してもらおう。


 



 

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