第46話 解答


 マサキが腕の中にちゃんといて、彼と目を合わせて少し話すこともできた。ちゃんと間に合ったんだ。無事か心配だったが、ひとまず安心した。

 とはいえ苦しそうに眉をひそめ、今にも落ちそうな意識を必死にたもとうとしているのが伝わってくる。

 

「寝てていいよ」


 君は十分がんばったんだから。

 そう言って頭を撫でると、マサキはすっと目を閉じてくれた。触れた手首の脈は正常だし、息もちゃんとしてる。顔色も悪くない。気絶は一時的なもので、彼は大丈夫だ。


 泉にマサキの体をけると、その部分の水だけが少し盛り上がり、彼を岸へと運んだ。小さな水龍を呼び出し、背に乗せたのだ。マサキをのせた龍は泉を出て、背後にあるやしろの中へ入っていく。龍がそのまま戸を守ってくれるはずだ。


 あらためて正面の堰根とにらみ合う。奴が再会を邪魔してきたら、もしくはマサキが手遅れだったら、一言も交わす前に始末するつもりだったが、あいにく空気が読めるのか奴は黙って立っていた。


 堰根は大きくため息を付いた。

 

「これで万策ばんさく尽きたかな。迫水くん、見逃してくれないでしょ?」

「ああ。無理だ」


 決してお前を野放しにはしない。どう決着をつけるかはともかく、それは確かだ。

 水面を歩き、堰根と距離を詰めていく。

 

 堰根は両手を広げ、わざとらしく降参こうさんするような態度をとって、話を続けた。

  

「己の特異性とくいせいを一つも知らず、いくらでもいる子供のために気を病む。君を、哀れに思ったんだよ」

「…………」 

「これは君にとっても素晴らしい機会だ。自分の本当の能力を発揮して、新しい人生をはじめるための、」

 

「オレはもう無力であることから逃げない」


 それは向こう岸に渡った者の見方だった。どこにでもいる子供と、特別な自分の間に川をへだてて。特別な力を使って思い通りにしたがるくせに、こっち側でもがいていた自分の姿は、さぞ滑稽こっけいで哀れにうつったのだろう。

 ……それでかまわない。

 

「自分の小ささを、彼が許してくれる限り、受け入れるとも」


 オレは力あるものとして向こう岸に渡るよりも、非力な者の一人として、彼といたい。

 彼が望んでくれる限り、この街の難問を解いていく道を、一歩ずつ共に歩いていくつもりだ。



 

 ――車が突っ込んできたのかと


 瞬間的にそう捉えて、衝突ルートで迫るその物体をギリギリで避ける。

 泉から上がる直前、高速で襲ってきたその白っぽい物体は、車ではありえない弾んだ軌道で急停止した。 


「…………そう、これが」


 都築の男が言ってた手遅れの意味か。


 ずんぐりした全体の形状は、地上にいるどんな生物とも似ていない。だが、見覚えしかない人間のパーツが、ありえない位置についている。右と左がバラバラの脚が複数、胴体には引き伸ばされた耳やまぶた、ちぎれた髪がまばらに生え残っている部分も点在している。


 おしゃべりは棒立ちにさせるための時間稼ぎか。

 

 ふたたび白い怪物がこっちへ向かってくる。まばらに生えた人間の脚が、壊れそうなほどの筋力で地面を蹴り、足に対して重すぎる体が急加速する。


「くっ……」


 避けることは容易いが、反撃ははばかられた。小さい水龍では質量を止められず、かといって最大出力の水のかたまりをぶつければ、遺体がぐちゃぐちゃに壊れるに違いない。

 足の数が正確なら最低5人が、これを作るのに犠牲になった。こいつは、この街にたどり着くまで、そして巣食ってから、いったい何人殺してきた?


 また白い怪物が突進してきた。かわす途中、その胴体の表面で引き伸ばされた爺さんの顔面に、見覚えがある気がした。この近所で人を集めてきたなら、おかしくはない。予想はつく。だが脳裏でぶつんと音がするような衝撃があった。

 

 森へ逃げていく堰根の白い後ろ髪を捉えた。小さく木の陰に隠れていくそれに、焦点しょうてんが異様に合う。狩りをする獣のようだ。この距離でも奴の半笑いが一瞬見えた。

 逃げられると思っているのか。この程度の呪い、遠慮さえやめてしまえば即片付くのだ。そんな足止めにもならないものを作るために罪を重ねた愚か者め。


 堰根を追って森へと走る。とはいえあせることはない。なぜならオレはこの場所のことを誰より知ってる。奴は袋の白鼠にすぎない。

 

 木の隙間に怪物の巨体は通らないかもと一瞬期待したが、すぐに裏切られた。

 めきめき、ぐちゃと嫌な音を立てて、細長い形にかわった。足が左右で一対の5列になり、ムカデのように追いかけてくる。正しい配置だからか、むしろスピードはさっきより上がっている。追いつかれる。


 だが、細長いのは好都合だ。


「……ごめん!」


 ムカデの体の上に影ができる。直上、すっと現れた水龍がその軌道を重ねた。

 龍はくるりとムカデに巻きつく。

 どん!と音を立てて、ムカデは地面に押し込まれる。これ以上変形できないよう、水龍はさらに細かく関節をからめ取っていった。 

 ここはもう大丈夫だろう。追われる心配はなくなった。


  

 足を止めて、瞳を閉じる。


 深く息を吐きながら、思い浮かべるのはきりの森。夢で何度も見た、この泉のもう一つの姿。

 

 目をひらくと、泉の周囲には濃霧のうむが立ち込めていた。空も朝日も霧の向こうに隠れて、明るくも暗くもない、白い世界に変わっている。

 濃い霧に行く手をはばまれ困惑する堰根が、はっきりと見えた。こちらからは全て筒抜けなのだ。堰根は闇雲やみくもに走っている。こうなったら外には出られないというのに。


 霧に隠れたまま堰根を追いかける。

 足音はわざと大きく響かせて。

 逃げても無駄だと、近づく音から分かるように。


 どうやって片付けよう。こいつの罪にふさわしい死に方はなんだろう?

 体を締め上げるか?少しずつ溶かすのもいい。このまま餓死するまで閉じ込めるのもありだ。こいつは人を苦しませた分だけ苦しんでしかるべきだ。


 ――ふと、マサキの顔がよぎった。

 きっと今の自分の顔は、このあと彼に会うには少し怖かっただろう。


 うん。そうだね。きっと君なら……


 、堰根に追いつく。いや、方向感覚が狂った向こうから来てくれる。奴は正面の霧から出てくるオレと目が合って、絶望のような半笑いの表情を浮かべている。


「私、君にはそんなに酷いことしてなくない?復讐のチャンスだったじゃないか」

「…………」


 このおよんでまだ口が回るとは。

 

「私だけ殺すのか?私を殺したあと、都築の他のやつを始末しに行くのか?」

「お前で最後だ」

「なぜだ?許したのか?」


 ……無視はできなかった。

 オレはこいつにではなく、自分自身に対して、この質問の解答を出す必要があった。

 

「許すも何も無い……。結局、間違えてる感覚から逃げたくて、自分こそ正しいって理由を探したいだけだったんだ。後からつけただけの理屈は、どんなに筋が通ってる風でも意味ない。

 本当に変えたいなら、間違いをただしたいなら、とがめている場合じゃないってことだ」

 

「わ、わからない」

「お前は分からなくていいよ。変わらなくていい。お前を見てると間違えてる自覚を持てることは不幸ではなく幸福なんだと実感するよ」

  

「さよなら」

 

 選んだ方法はシンプルだった。

 呪いも龍神も必要ない、そのへんにある枝を折って、先をするどくした槍で十分だ。

 人を殺すのは奇跡や魔法ではなく、元来こういうものだと思う。普通は石か金属を先端につけるので、失敗も覚悟していたが……杞憂きゆうだったらしい。

   

「痛いなぁ……」


 心臓を木の槍で一突きにされた堰根は、最後にそう言った。


「…………」


 数秒で意識を失った堰根の体から力が抜け、槍に体重がかかる。槍を抜くと返り血が飛ぶので、事が切れるまでそのまま待つ。死体使いは最後に、自分の死にかけた体も操るだろうか?

  

 だが霧の森の静寂せいじゃくは、数分たっても乱されることはなかった。念の為、脈や瞳孔どうこうを確認したが間違いなく絶命している。もうこれは、たぬきや鹿の亡骸なきがらと同じように、森に分解されて土に戻るだけの物質だ。

 これほど同情の余地がない男なのに、後味の悪さが残った。まだ自分には、そう感じられる心があるようだ。

 

 彼のもとに帰りたい。泉へ急ごう。だがその前に……



 泉に戻る途中に、やはりそれは残っていた。白い怪物に変えられた遺体は、堰根が死んでも消えたり、元通りになりはしなかった。地面に倒れ、接合の甘い部分がほどけて、赤い中身が見えている。

 このままにしておけない。あの世も来世も無いなんて、彼らの前で思いたくなかった。


「……ごめん、元には戻せない。こんなことしか……」


 夢の中で何度もやってきたことだ。歩み寄り、その皮膚に手の平をあてた。亡骸には体温とは違う、燃えるような熱が残っている。

 ざぁと、水が彼らの全身を包んだ。綺麗で冷たい水が、彼らの血と泥を流し、無念と痛みの熱を取っていく。変わり果てた体を溶かしていく。


「さよなら……全部綺麗にするから、向こうではきっと……」


 泉に立ち込めていた霧が晴れる。

 そこに彼らの体はなく、大きな水たまりができていた。その水は透明で、泉のそれと寸分変わらず美しいままだった。


 

 見上げると、青の時間は終わり、空は明るくなっている。柔らかな朝日が木々の隙間から差し、みずみずしい葉を照らしている。

 

 よく晴れた朝、この場所が最も美しくなる時間がまた訪れる。


 


 

 

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