第41話 異界の祭提灯



 まばゆい閃光せんこうが、次第に収まっていく。

 元の暗い夜に落ち着くまで、あまり時間はかからなかった。

 

 僕の手の中で起こった奇跡に、まだ現実感が持てない。金剛願こんごうがんを見ると、芯には液体の金属を流し込んだような模様が出来ていた。


「葛西さん、これって」

「成功です。もちろん……!本当にすごい光だった」


 いつも落ち着いている葛西さんでも興奮しているのを見て、ようやく実感が湧いてきた。緊張の糸が切れて、急に体の力が抜ける。


「ふぅ……よかった……」

「いったん車に戻って休みましょう」

「それがよさそうです……」


 確かめることは山積みだが、いったん座りたい。

 レインコートの水気をはたき、くるんで金剛願を隠す。透明な刃はナイフには見えないし、実際に物を切れるほど鋭くなさそうだが、念の為にだ。


 中庭を出て建物の中に入る。


「これは……!」


 ――大きく息を呑んだ。

 金箔のような輝きがひらひらと、廊下に舞い落ちる光景に。

 

 消せない跡が残っていたはずの廊下に、むごい赤色はもう無かった。あの跡が金箔に変わり、壁や天井からがれ落ちている最中なのだ。

 金箔はさらに細かい光の粒子に砕けていき、空気に溶けてサラサラと消えていく。


 僕の心もすっと軽くなっていく。

 大抵の人には見えないとはいえ、病院が元の姿を取り戻せて良かった。この場所をけがすような悲劇が、もう二度と起こらないでほしい。


 

 外の雨はだいぶ勢いが落ち、ぱらぱらと降る程度になっていた。

 車の後部座席に戻り、真っ先に古地図を見る。


「消えてる……!」


 あの禍々しい血管図は消え、薄い墨で昔の海岸線が描かれているだけの古地図に戻っていた。


「これはもう、麓は大丈夫ってことですか?迫水さんも?」

「八淵洞からの逆流はおさまったとみていいでしょう。なら迫水辰の意識への悪影響も消えたはずです」

「よかった……!」


 あらためて、コートにくるんでいた金剛願を取り出す。

 

「この光の力は一体?」

「人に危害を加える類の呪いを祓う、魔除けの宝具です。詳しい年代は分かりませんが、戦争が多く人心がすさみ、呪いが横行していた時代に作られたようです。

 ただこれほどまでに有効範囲が広いのは、正城さんのおかげですね」


「それが分からないんです。僕は自力というより、下から吸い上げる感覚で……つまり八淵洞から霊力をとってきたような気がします。でも、あそこの霊力は危険なはずでは?」

「幹也さんに聞かないと本質的なところは分かりませんが……。

 原則的に、土地に選ばれた異能者には、その異能を使う分には霊力が土地から供給されます。

 少々特殊なケースですが、これに従ってはいるかと」


 その原則だと、生まれつき持ってる異能だけしか使えないはず。でも僕の場合は宝具を取り替えれば実質的に色々な能力を使えそうだ。

 よくわからない。願い事がひとつだけ叶う魔法に「なんでも思い通りになる」と願うインチキに近い気がする。


「結局なんとなく使えてるだけで、仕組みは分からないままか……。魔法陣とか人よけの術式なんてもうさっぱりです。これで強くなったのかな?」

「異能者でも、能力以外の術式を習得するのには相当な勉強が必要です。

 昔は術師の集団で教えていたんですが、今はかなり廃れてしまった」

「なぜ?」

汎用はんよう的に術式に使われていた比較的安全な霊力、中央霊脈ちゅうおうれいみゃくとも言われますが、それが尽きたからです。

 戦後まもなく枯渇しはじめ、業界はかなり荒れたと聞いてます」

「術式がエネルギー不足で使えないから、継承も途絶えたということですか」

「はい」


 術式も歴史も未知のことが多すぎる。真っ暗な森の前で立ちすくむような気分だ。


「休むつもりが話しすぎましたね。

 喉が渇いていませんか?飲み物を買ってきます。何がいいですか?」

「えっと、カフェオレで」


 葛西さんはロビーの自販機へ向かった。

 車内に一人になると、大きなため息が自然と漏れた。


「ニー!」


 僕を気遣ってるのか、ただ甘えたいだけなのか、ニーちゃんがひざに乗ってくる。撫でているうちに力が抜けて、横になりたい気持ちにかられた。もう朝まで休みたい。のに。

 

 堰根が見つかっていない。


 これで終わりな訳が無い。まだ気を抜くな。あいつの目的も八淵との関係も結局分かっていない。


 僕はニーちゃんを下ろすと、ドアを開けて外に出た。もう雨は傘もささなくていい程度の小ぶりになっている。


 駐車場の端からは、市街の景色が一望できる。視覚的には雨でぼやけているが、空気の違いははっきりと感じ取れた。

 あの禍々まがまがしさは、やはり消えていた。第3工場の方を見ても何も感じない。

 魔除けの光は市街全体まで届いた。


 だが「もう麓は大丈夫」なんて、よく言えたものだ。自分の無神経さに腹が立つ。これからが災害の本番なのだ。雨がおさまっても八淵川への水の流入はしばらく止まらない。


「正城さん、こっちにいたんですね」

「ええ、街が気になって……」


 葛西さんからアイスカフェオレの缶を受け取る。でも呑気のんきに飲む気分にはなれなかった。

 

「洪水自体はこの土地の宿命ですから……。警察や消防が懸命に動いています」

「…………」

「みんな自分の責務でベストを尽くしたなら、それで十分なはずです。

 大洪水が起きる前に、悪性の逆流を止められた。それだけで多くの人が救われました。 

 正城さんはやりきったと思いますよ」


 葛西さんのはげましが嬉しい。それと同時に、自分の方針も固まった。

 手の中の缶を開け、一気に飲んだ。喉が潤い、甘さが腹の底に染み渡り、まだ頑張る力を与えてくれる。


「葛西さん。やっぱり上川の迫水さんの家まで連れていってくれませんか?」


 まっすぐに、この選択に自信を持つんだ。


「堰根が見つかってない。まだ安心はできない。奴の当初の行き先はこの病院じゃなかったはずです。

 少なくとも、上川までは行ってこの目で判断したいんです」


 葛西さんは少し考え込んでいる。これまでの道のりは彼も乗り気だったが、この先は意見が違うようだ。


「私見ですが、街に呪いが及ぶ可能性がついえた今、堰根の追跡は朝を待つほうがいいと思っています」

「それは……」


 正論にたじろぐ僕に、葛西さんは微笑んだ。

 

「ただ、正城さんが行きたいのなら、私はどこでも運転していきますよ」

「ありがとうございます!」


 2人で車に戻る。後部座席でニーちゃんがすやすや眠っていたので、助手席に座った。

 ここまでの道中は波乱万丈だったが、周囲の敵は一掃できた。ここからは少しおだやかな道のりになるだろう……。

 


 甘かった。


「無事に着いてよかったですね」

「ええ……もうダメかと……」


 厳しい道中だった。途中で倒木でさえぎられバックでひき返したり、たぶん私有地を無断でつっきったり、迂回路うかいろがほぼ崖だったりした。

 かなり時間もかかり、時刻はまもなく12時だ。

 

 その間にも、携帯にはひっきりなしに災害情報の通知が届いていた。八淵川の本流は耐えているが、支流では越水や氾濫が起きている。続報は気になるが、電池残量が少ないため機内モードにした。

 


 3年ぶりに見た迫水先輩の実家は、特に変わっていなかった。誰も住まなくなっても定期的に手入れに帰っているようだ。


 だが問題はそこじゃない。車から降りる前に、一目で分かる異変だった。

 

 あの日、泉から下ってきた実家の裏手の道、この先に民家はないはずの山の森が、ぼんやりと明るく、朱色しゅいろの光に照らされている。

 

 二人で外に出る。雨はほぼ止んでいるか、レインコートを着て金剛願を持った。

 異変を指さして尋ねる。


「葛西さん、あれ、見えますか?」

「何も。この先は真っ暗な山です」

  

 慎重に入口へと向かう。そこは元々、木々の隙間があるだけで、土むき出しの道だった。しかし今や……

 

「立派な石畳が敷かれてます。そして紅白の丸提灯まるちょうちんが、いくつもいくつも、連なって道の行く先を照らしている……」

 

 この先にある村祭に、人を招いているように。道の両側の木には縄が張られて、丸提灯と飾りつけがしてある。

 

「葛西さん……僕には祭の夜が見えてます。この先には昔、迫水先輩と一緒に通った廃村がある。きっとそこが異変の中心です」


 やはり、という気持ちが驚きより大きい。何も知らない頃から、あの廃村からは嫌な気配がしていた。

 

「まだ終わってないなら、行って確かめないと」

「危険です。やめましょう」


 当然、葛西さんに止められる。

 これまでより断然強めな口調だ。 


「堰根が今夜のために準備していた呪いは消えました。せめて追跡は明日、幹也さんが帰ってきてからにするべきです」

 

「葛西さん、金剛願の魔除けで異変が消えなかった理由って分かりますか?

 あれはオカルト的な現象を全て消し去るような代物じゃない、ですよね?」

「はい。人に危害を与える呪いにしか……」


 しまったという顔をする。葛西さんも僕が言いたいことに勘付いたようだ。


「なら、少なくともこの道は僕を傷つけはしないと思うんです」

「…………見えない以上、この結界にとって部外者の私はついて行けないんです。

 あの男は生きている人間だ。金剛願で呪いの武装は解除できても、命までは消しされない。力付くでこられたら、中学生のあなたで太刀打たちうちできますか?」


 最後は暴力が雌雄しゆうを決する。単純な真理だ。葛西さんは喧嘩に慣れているのだろうか。

 僕は喧嘩なんて同年代ともしたことがない。これまでだって危険な所を葛西さんに助けられてきた。


「……やる前にできるって確信してたことなんて、今夜の出来事で一度もなかったですよ」


 屁理屈なんてもんじゃない。ハッタリもいいところだ。


「夜が明けたら、この異変はなくなって堰根も逃げてる気がするんです。

 この先に何があるのか、堰根はどこで何をしてるのか。決着をつけたいんです」


 誰かではなく自分のための行動。僕は今夜の謎に決着をつけたい。

 それに、迫水さんとの思い出の場所が汚されてるようで我慢出来ないのだ。 

 

「正城さん、私が手をつかんで引き止めれば、あなたじゃ振りほどけないし、大人としてそうするべきだと思います」


 彼は怒るでもあきれるでもなく、真剣に受け止めてくれている。


「でも……私にはきっと、あなたの運命をはばむ権利は無いのでしょうね」

「葛西さん……」


 悔しそうに眉を寄せる葛西さんに、申し訳のなさがこみ上げる。それでも行くなら、無事に戻ってくるのは僕の義務だ。


「行ってきます。朝には帰ってきますから」 

「……ご武運を」


 その言葉を見送られ、石畳の坂道へ踏み入る。靴底の硬さは、これが視界だけの幻じゃないことを示していた。


 振り返ると、葛西さんは真剣な面持ちでこっちを見ていたが、僕と目線は合わなかった。

 きっと向こうからは僕の姿が消えているんだろう。

 

 提灯が照らす坂道を慎重に登る。

 僕の方からは、迫水さんの家の瓦屋根も見える。

 

 この道を二人で降りてきた時を思い出しながら、再びあの場所へと向かっていく。


 


 


 

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