第29話 迫水辰の倫理



 マサキの番号から二度とかけてくるなと念を押して、知らない男との電話を切った。あれから何時間たったのだろうか。

 

 上の階での事件の痕跡が、ぽたぽたと赤く天井かられてラグに染みを作っている。自分はそれをベッドの上に座り、壁にもたれながら、無感情に見つめている。

 時間の感覚がうまく掴めない。都築の男に積年せきねんの怒りを伝えた時は確かに高揚こうようしていたのだが、今は反転して心がいでいる。

 

 都築の男が言っていた協力者とは、あの自称セラピストのことだろう。保健室の堰根せきね先生の紹介じゃなかったら絶対に接点を持たないような、みすぼらしい見た目の胡散うさん臭い男だった。

 だが高校一年生の夏頃の自分の心は、スピリチュアルに行き着くのも仕方ないほどに弱りきっていた。


 雨の日の体調不良、だが病院の検査では異常なし。まともな医療機関をいくつ紹介されても1つも役に立たなかった。

 それどころか、医者には「本当の悩み」を相談もできなかったのだ。


 たとえばこんな話だ。 


 僕、雨が酷くなってくると子供が死ぬ夢を見るんです。水に関わる事故で子供が亡くなる時の苦しみと、その子を見つけたご遺族の悲鳴が聞こえてくるんです。僕は傍観者ぼうかんしゃじゃなくて、当事者としてその場にいるんです。

 しかも最近それが夢じゃなくて現実なことに気づいちゃったんです。僕は山の方にいたから知らなかったけど、街に降りてきたら夢で出てきた用水路や河原が実在して驚きました。そして決定的なことが先月起きました。毎朝同じ道を通っていた小学生の男の子が、スイミングスクールのプールで溺れて死にました。ニュースにもなりましたよね。あれも僕は見ていました。とても近く、その水の中から。彼を水中に引きずり込んだのは僕なんです。

 全部本当のことです。どうか信じて下さい。


 

 医者は怪訝けげんな顔をして、別の科の病院をすすめるだけだろう。そんな扱いを受けたくはない。だが実際どう考えてもおかしいのは自分の頭の方だった。

 去年の7月頃、自分の脳や精神側に問題があるという、認めたくない事実に踏ん切りをつけるため、堰根先生に夢の内容をぼかしながら相談した。そして紹介されたのが、あのセラピストだ。


 指定された場所に居たのは、風変わりなせこけた中年男性だった。何十年も地下の独房にいて、久しぶりに外に出てきたかのような雰囲気だ。連れて行かれた事務所、と言う名の荒屋あばらやほこりっぽく謎の草の匂いがした。


「やぁ、私の研究が君の力になれて嬉しいよ!」


 歯の欠けた笑顔は不審者そのものだが、不思議と嫌悪感はなかった。

 こんな変なやつになら、こっちだって遠慮なく変な話ができる。だから悩みの全てを打ち明けた。

 男は驚いたり、悲しんだりと表情をころころ変えながら、真剣に話を聞いてくれた。一度も否定せずに。

 

 この時点で自分は男に気を許して、その後も月に三度は会う仲になった。『変だけどいい奴』とつるむのは、現実から逃げるのにちょうどよかったのだ。

 だが、結局は狂った奴に近づいていたという話だ。


 台風の発生と数日後の直撃が予報され、気分が底の底まで落ち込んでいる時に、この男は笑いながら酷い話をした。


「呪いを先に終わらせればいいんだ。君と私で儀式の準備を今すぐはじめよう!人がたくさんいて、動かなくて、一気に済むところがいいなァ。病院とか、学校とか」


 流石についていけなかった。呪いとか生贄とか、男は専門らしいオカルトの話をよくしたから、これまでは適当に話を合わせていた。独創的でよく出来た世界観を面白いとすら思っていた。

 だがこの時は毛色けいろが違った。男は病院の敷地内に我が物顔で立ち入り、呪いを押し付けるための具体的な手順を得意げに説明した。人をあやめる結果になることを、一切の悪びれもなく。


「君は本当にそうなってほしいと望むだけでいい」


 最後の仕上げ、と病院裏に盛られた土の前で男は言った。

 


 まぁ、男のせいにするのも、まさか現実になると信じていなかったと言い訳するのも、違うのだろう。

 

 なぜならオレは望んだから。

 貴方達に代わりに死んでくださいと呪ったから。


 そして呪いは叶った。悪夢は無く、台風は過ぎ去った。今度は冗談としてではなく真実として、この土地の呪いの話を受け入れるしかなかった。


 要はトロッコ問題だ。レールを切り替えなければ沢山の人が死ぬ。切り替えて最小の犠牲ですませるのは仕方ないこと。ああそう、言い分はそれだけか? 

 では、なぜ呪われた土地に人を寄せ付けたんだ。都築化学と関連会社がなければ、ここは片田舎の陸の孤島で、現に戦前はさびれた農村と漁村しかなかった。洪水が起きやすいなら、住民は引っ越すだけだ。

 欠陥だらけの土地に立派な街を作る。何も知らないで住んでいる家族の子供が犠牲になる。

 それは仕方がないで済まされるのか? 


 最悪だと思っていた自分の体質だが、この呪いに対して一石いっせきとうじる能力はあるらしい。比較的すぐに、自分はどうするべきかの結論は出ていた。

 

 もう既に街はある。病院の患者にも罪はない。どうせ人をき殺さなければならないのなら、もっと罪深いものから選出するべきだ。

 

 だが、分かりきっているのにアクセルを踏み切れない。人としては当たり前だろう。つい昨日の夜まで、吐き気と頭痛と恐怖の中で追い詰められていた。部屋で放心していたあの時が、一番辛かった。つらかったと思う。

 

 が、その感情は今やきれいに消えていた。

  

 こうして記憶を辿って、それぞれの場面で辛かったのに、今の自分にはその感覚が欠如けつじょしている気がする。当然あるべき自己否定的な気持ちが、理由なくき上がる謎の肯定感に塗りつぶされているのだ。

 殺人のために呪いを受け入れた時点で、自分は何かが致命的に変わってしまったのだろうか?


 

 窓の外は元々薄暗かったが、日が落ちて夜がはじまろうとしていた。ずっと部屋にいたのは夜を待っていたからだ。やることはもう決まっている。

 次を探さなければならない。肌感覚で分かるのだ。昨日の一人じゃ二日ももたないと。悔しいほどに都築の儀式は"効率的"だった。

 何が効率だ。どうせトロッコで人を轢き殺さなければならないなら、切り替え先は自分で選ぶ。

 

 出掛ける前に着替える。元々服をあまり持っていないし、雨で洗濯ができないうちに残りの服が黒ばかりになっていた。汚れが目立たなくてちょうどいいかもしれない。昨日よりは綺麗に処理したいところだが。


 地下道への入口には冠水かんすいを警告して「通行止め」の看板と、カラーコーンが立っていた。いつも点いている照明が間引きされていて、階段は暗闇へ落ちる穴のようだ。

 無視して階段を降りていく。冠水まで猶予ゆうよがあるのは自分が一番分かっているのだから。

 

 最後の段を降りると、足元は水が溜まっていて、ばしゃんと跳ねた。

 いつも構内を明るく照らす白色灯も消されていた。普段は光量が負けて目立てない、小さなオレンジの照明が点々と、道が続いている方向だけを暗闇に示している。


 その時、静まり返った構内に、遠くの暗がりから、硬い靴音がカツカツと反響した。


 誰なのかはすぐ予想できる。こんな道にもう一般市民が入ってくるわけがない。ため息をついて、不意討ちを狙ったわけでもないくせに、名乗りでないアイツに話しかけてやる。


「…………待ち伏せか。何時間ここにいたんだ?」

「いや、いま来た所さ」


 電話口と同じ声で、都築の男は返事をした。この先は物騒なことにしかならないだろう。

 

 自分の行動に今や迷いはない。

 それでも、ただ一人にだけ、今の状況になってしまったことを謝りたい気持ちがある。


 あの時はこうなるはずじゃなかったんだ。本当に全てを投げ出して、死のうとすら思っていた。マサキが学校を抜け出して、会いに来てくれるまでは。

 君が助けてくれたのは実は二度目だった。一度目はあの泉での出会いだ。いつも悪夢で死なれていた子供を、初めてこの手で助けることが出来た時、どんなに嬉しかったか。


 だが三度目は君もお手上げだろう。なぜなら今の自分は苦しんでいないから。

 

 マサキのおかげで二度も立ち直ったのに、君がはげましてくれたのは、こんな風に成り果てる奴のためじゃなかっただろうに、申し訳ない。

 

 これだけが消えずに残った自己否定の心だった。





 

 

 


 

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